シーブリーズ
夏の匂いが好きだ。登校時のむわっとした暑さに混じる山の匂い。夕立が降り始めアスファルトを濡らす匂い。運動部の汗の匂い。
教室では女子が文句を言っているが、私は好きだ。
「サッカー部! 部室で着替えてきてよ!」
「しょうがねぇだろ。朝練の後時間ないんだから」
サッカー部のコウキ君はワイシャツを椅子にかけ、カバンの中からシーブリーズを取り出した。水色のボトルにピンク色のキャップ。
「ちょ、コウキあんた! 何それ!?」
「あ? なんだよ」
「そのボトル!」
クラスで一番コウキ君と仲が良いミキちゃんが、驚きとショックを受けたような表情でコウキ君に詰め寄った。尋問するかのような剣幕に、コウキ君は少し恥ずかしがりながらも、話題を逸らそうとシーブリーズをカバンにしまった。
「誰とキャップ交換したのさ!」
「別に誰とでも良いだろ」
「はぁ!?」
ミキちゃんはコウキ君のことが好きなのだ。公言はしていないが、女子たちはみんな知っている。ミキちゃんは強がりな性格で、思ったことを素直に伝えられない女の子。だから、コウキ君とは友達以上になれていない。
ごめんねミキちゃん。コウキ君のキャップは、私のカバンの中にあるの。誰にも明かしていない秘密の恋。だって、コウキ君みたいな一軍の陽キャが、私みたいな喪女と付き合ってるなんて知れたら、コウキ君の迷惑になっちゃうから。
だからごめんね、ミキちゃん。コウキ君の匂いは私だけのものなの。
教室の隅で誰からも興味を持たれない私を、コウキ君だけは見つめてくれた。今は、一瞬だけ、目が合った。
私はそっと、カバンにあるシーブリーズに手を伸ばした。