香るバタークッキー
私、中谷美玖は自分で言うのも何だけどクラスで一番人気があった。鮮やかに伸びた黒い髪、毎日何分もかけて丁寧に整えた肌、美を体現したかのような顔、全てが周りを魅了出来ていた。
それと同時に、私はお人好しでもあった。この間のバレンタインでは、異性同性関係なくクラス中に手作りチョコを配ったものだ。大変ではあったけれど、この地位にいる以上誰からも好かれる存在でありたかったから気にもとめなかった。
同性のドギマギする顔には流石に笑いが込み上げて来たが、ここで笑えばこの地位にヒビが入ると思ってぐっと堪えた。異性は下心丸出しのヤツから怯えて様子見するヤツまでさまざまだったが、全員に受け取らせたし取り敢えず喜んではいたから問題ない。
そして、今日。ホワイトデー。
異性から、同性から、色んなお返しを貰った。同性から貰ったものにはお近づきになりたいという手紙が入っていた。異性からのものに至っては…ここで語るのも憚られる。
兎に角、まともな返しなんて数えるほどしか無かった。慣れてはいるが、辛かった。私自身がこの地位を望んでいるからこそだが、この程度の代償はつきものだと信じて気にしないようにしてきた。しかし、とうとう限界が来てしまいそうな気がした。
私は昼休みはいつも屋上に来ていた。屋上は私が私でいる必要が無くなる学内唯一の場所だった。ここでだけは私は本当の私でいられた。
私はフェンスに背を預けて座り込んだ。何故か涙が流れてきた。端的に言うなら辛かった。私自身が望んだことで私自身が苦しむとは不愉快なことだな、とは思う。けれど、仕方ないことであった。
今でこそ至高の存在として振る舞っている私だけど、昔は多くの同級生にいじめられる日々だった。それが悔しかったから、進級するタイミングで一気にキャラを変えて見せた。それは成功した。けれど、その先に待っていたのはまた別の苦悩だった。
「あ、あの…」
声をかけられて意識を現代に戻す。その先にいたのはバレンタインの時おどおどしながら辛うじて受け取らせた同級生の男子だった。名前は…確か荒川光夜。裏でこき使われているとか虐められているとかあまり良い噂は聞かない子だった。
「何」
睨みながら目的を問う。無意識に警戒してしまっている。
「バ、バレンタインのお返しです! 」
そう言って彼は小包を差し出した。またこの類か、と感じ断ろうとした。
「て、手作りのクッキーです、お口に合えばいいんですが…」
が、次の発言でその動きを止める。手作りのクッキー?この子が?そう思うと興味が湧いた。
私は黙ってそれを受け取ると、縛りを取って中を開ける。中には不揃いながらしっかりと焼かれたクッキーが数枚入っている。好奇心そのままに私はその1つを取って口に運ぶ。光夜の息を飲む音が聞こえた。
美味しい、と思った。芳醇なバターの香り。硬すぎず柔らかすぎない歯応え。ほのかに感じるはちみつの甘み。目の前の少年が作ったとは到底思えない代物だった。
「ど、どうですか…? 」
緊張した顔持ちで光夜が聞いてくる。
「これあなた1人で作ったの? 」
「は、はい…! 」
おぼつかないけど、しっかりした答えに私は静かに答えた。
「美味しい」
光夜の顔が薔薇色になる。その顔を見ているとこっちが恥ずかしくなってきた。僅かに顔を赤らめる。
「わー、光夜が美玖さんにプレゼントしてやーんの! 」
後ろから不快な声がした。見るといつも光夜…というか何人もの男子生徒…を虐めていると有名な同級生がいた。名前は大善学だった筈だ。学の周りにはいつもひっついてるアホがいた。彼らもまた光夜を馬鹿にしていた。
光夜が先程の表情から一変し、怯えて泣き出しそうになっていた。その事に怒った私は立ち上がって光夜の元へ行くと、光夜を抱きしめる。光夜が素っ頓狂な声をあげ、学が愕然とした表情になる中、私は学に対して言ってやった。
「私の彼氏に手を出さないで貰える」
学はぽかんとした表情をした後、ひっつき虫達を引き連れて回れ右して帰っていった。光夜もまたぽかーんとしていた。
「これから何かあれば私に言いなさい」
耳元に囁くと、両手を離して屋上を後にする。光夜は恐らく顔を真っ赤にしていることだろうと思った。何故分かるかと言えば、私も真っ赤になっているに違いなかったからだ。あそこまで大胆なことを言ったのは初めてだった。
教室に戻れば数多の視線が私に集中する。男子勢は羨むような視線が大多数だった。女子勢に関してはほっとしているようである。わかりやすい奴らだ、としか思えなかった。
この時点で既に美玖は光夜以外眼中に無かったのだが、本人が気づくにはもう少し時間がかかりそうである。
その日から美玖と光夜の不思議なカレカノ生活が始まることになった。お互いの距離感を測りながら、ゆっくり、確実に…