93話 尾行大作戦
それからというもの、青年は何度も孤児院を訪れた。
必ず数人の部下と思しき男を引き連れ、スアンニーと会うことを要求し、大して何もせずに帰って行く。
何度もこのようなことを繰り返すという、なんともおかしな具合だった。
「そろそろ名前を教えろ」
と、ある時スアンニーが尋ねれば。
「……フアク」
と、青年。
意外と受け答えが素直なのも、奇妙なところであった。
しかし無害そうだからと言って油断はできない。
何せ、彼らがあの町を襲おうとした一団の仲間であることは確実なのだ。
懐に入れた瞬間に刃を向けられるかもしれない。
気のゆるみを突いて何か悪事をはたらくかもしれない。
スアンニーは決して警戒を怠らず、彼らが訪ねて来ると必ず子どもたちをシュリに託すようにしていた。
ライルたちもまた、再出発の計画を進めながら彼らの動向を注視していた。
そんな日常がいくらか続いた日のことである。
照らし草の光が弱まって来た時分、フアクが孤児院の扉を叩いた。
「また来たのか」
げんなりしつつも隙を見せないよう、スアンニーは応対する。
幸いにも今、子どもたちは町の広場で遊んでいる最中だ。
ここはいつも通りに……と思いきや、どういうわけか玄関に立っていたのはフアクひとり。
イレギュラーに警戒心を強くするスアンニーをよそに、彼は低い声で言った。
「忠告だ、スアンニー」
使い魔の蝶がひらひらと羽ばたき、密かに建物の外に出て偵察をする。
誰かが待ち伏せをしていたりだとか、攻撃を仕掛けようとしているだとか、そういうことは無かった。
ひとまずは安堵しつつ、スアンニーは続く言葉を待つ。
フアクはひと呼吸置き、語気を強めて言った。
「明日は絶対にここから出るな」
「……どういうことだ」
「無論、子どもたちもだ。いいか、必ずここに居ろ。外に出たらひどいぞ」
いつになく真剣な眼差し、だがそれも演技かもしれない。
本当のことを言う表情で他人を騙し殺める者たちをよくよく知っているスアンニーは、負けじと声に力を込めて言い返した。
「理由くらいは聞かせてもらおうか」
「その必要は無いな。お前は選択肢を持っていないのだから」
どうやら対話をしに来たわけではないらしく、言い終えた彼はさっさと帰って行った。
その後しばらくして、シュリの家にもフアクはやって来た。
「はーい、いま出るわ」
鳴った呼び鈴に応えて扉を開けたのはクオウ。
シュリはまだ仕事、フゲンとカシャはムーファたち相手をしに行っており、彼女はライル、モンシュと共に留守番をしていた。
「あら? あなたは」
警戒心の欠片も無く開けた扉の先に立っていた人物に、彼女は目を丸くする。
「どうした、クオウ……って、あ! お前、何の用だ!」
様子を見に来たライルも同様に驚いて目を見開き、槍を片手にクオウの元に駆けつけた。
次いでモンシュも異変に気付き、壁の陰からチラリと顔を出し状況を窺う。
「喧嘩なら買うけど表出ろよ、人ん家だからな」
ライルが言うと、フアクは呆れまじりに息を吐いた。
「ふん、血の気が多いな。俺はそんなことをしに来たわけじゃない」
「じゃあ何だよ」
「忠告だ」
そうして、先刻スアンニーに言ったのと同じように、続く言葉を口にした。
「明日は絶対に家から出るな」
* * *
「ってことがあったんだが」
日が完全に落ち切った後、ライルはカシャと共に孤児院に赴き事の経緯を説明した。
「奇遇だな。俺もだ」
煙草を吸いながらスアンニーは答える。
何かさせているのか、今は使い魔の蝶は近くにいないようだった。
「この辺り……って言うか町の人たち、みんなそうみたいよ。突然やって来たかと思えば『明日は外に出るな』とだけ言って帰ったって」
カシャはシュリ宅に帰ってから事情を知り、町の人々に軽く聞き込みをして来ていた。
訪ねた限りではどこの家も、フアクまたはその取り巻きの男が一方的に忠告をしていったのだという。
「何が目的なのかしら」
「さあな。善意なのか悪意なのかもわからない」
スアンニーは肩をすくめる。
先ほどは念のためとフアクを疑ってかかったが、正味の話いったい彼の意図がどちらなのか判断はつかない。
これまでの奇妙な訪問も、復讐のためかそれ以外の理由があってのことか、スアンニーは前者と想定してはいるものの、結局のところそれも憶測でしかなかった。
「どうする? 俺は一応、言われた通りにした方が良いんじゃないかと思うんだけど」
「罠だったらどうするのよ」
「いやあ……なんか悪い奴じゃなさそうだったし……?」
言って、ライルは曖昧に笑う。
このお人好しめ、とカシャは溜め息を吐いた。
「スアンニーさんはどう思う?」
「どちらにせよ、明日も俺はやるべきことをやるだけだ。が、警戒するに越したことは無い」
不意にスアンニーはライルたちから目を外す。
移動させた視線の先には、ムーファたちの眠る部屋があった。
「明日、昼頃までチビたちの子守りを頼む」
「お前は?」
「仕事だ。風邪をこじらせた爺を診に行くことになっている」
煙草の煙をふうっと吐き出し、彼は言う。
そう、スアンニーは孤児院の経営者であると共に医者でもあった。
子どもたちの面倒を見る傍ら、彼らを養うための金を医者業で稼いでいるのである。
「大丈夫なの? もし道の途中で襲われたりなんかしたら……」
「俺の心配などしてどうする」
不快感の滲んだ声色でスアンニーは吐き捨てる。
どうにも引っ掛かる言い草に、しかしライルとカシャは顔を見合わせることしかできなかった。
翌朝になり、雷霆冒険団一行とシュリは孤児院にやって来た。
無論、昨日の約束通り万一に備えてムーファらを守るためだ。
「じゃあ行ってくる」
「ああ。気を付けて」
「せんせーいってらっしゃーい!」
皆で出かけて行くスアンニーを見送る。
子どもたちには例のことを知らせていない。
無闇に不安がらせないよう、ライルたちはただ「今日は室内で遊ぶ日」ということにしていた。
「にーちゃん、ねーちゃん、みんなで絵かこ!」
「にがおえ大会しようぜ!」
「やりたーい」
さっそく無邪気にはしゃぎ始めるムーファたち、そして彼らの相手をするシュリや仲間たちを横目に、ライルはそっと槍を手に取る。
「……よし」
そのまま踵を返し、隣に立つフゲンの肩を叩いた。
「追いかけるぞフゲン」
「おうよ」
2人はこっそりと、かつ素早く部屋を出、玄関から外へと飛び出す。
尾行対象は当然スアンニーだ。
「元傭兵とか言ってたけど、剣が無きゃ戦えねえもんな」
「お前が言うと説得力無いけどな、フゲン」
ムーファたちが2人の不在に気付くのは時間の問題だろうが、モンシュたちには事前にこうすることを伝えておいたから何とかしてくれるはず。
ライルとフゲンは心配することなく、ひたすら物陰に隠れつつ前進した。
だがしかし。
「何してる」
家屋を数件過ぎたところでスアンニーが振り返った。
「ゲエッ! もうバレた!」
「想定外だな!」
計画が破綻し、フゲンとライルは肩を落とす。
なぜこうも早々に気付かれたのかと言えば、何のことは無い。
足音が消し切れていない、気配も視線もまるで隠せていない、といった具合に、2人の尾行が死ぬほど下手くそだったからである。
間抜け丸出しのライルたちに、スアンニーは盛大に溜め息を吐いた。
「俺のことはいいから、チビたちを見ていてくれ」
「あっちにはシュリもモンシュたちもついてる。でもお前には誰もついてないだろ。なあフゲン」
「そうだそうだ! 危ねえぞ!」
「馬鹿。成人男性と児童を一緒の扱い方するやつがあるか」
スアンニーは煙草を取り出し火を点ける。
呆れた奴らだ、と顔に書いてあるようだった。
「いいから帰れ。仕事の邪魔――」
と、次の瞬間。
彼らの背後で、大きな爆発音が鳴った。