91話 町の安寧
「おらあッ!」
男の1人が手斧を振りかぶる。
技も何も無い大雑把な動きだが、本人のガタイの良さと容赦の無さは間違いなく脅威であった。
しかしシュリは大盾を掲げてそれを易々と受け止める。
そればかりか、盾を引っ込めたかと思うと素早く男の腕を掴み、ぐるりと一回転させるように投げ飛ばした。
「こんの、デカブツが!」
「くたばりやがれ!」
大盾で攻撃を防ぐ、距離を詰めて体術をお見舞いする、また防御に転じ、今度はそのまま盾で打撃を与える。
2人、3人と次々襲い掛かる男たちを、冷静かつ的確な動きでいなすシュリ。
町の人々に頼りにされるだけあって、なるほど戦い慣れしていそうだった。
「へへっ、食らえ!」
だがそれは男たちも同様。
1人が怪しく口角を上げ、次の瞬間、手のひらに乗るくらいの小さな布袋を投げつけた。
シュリの死角から飛来したそれは、宙で紐がほどけて中身――青色の粉がぶちまけられる。
「ぐ……っ」
意表を突かれ、シュリは思い切り粉を被ってしまった。
途端に目がくらみ、息が苦しくなる。
どうやら毒か、そうでなくとも有害な物質だったらしい。
残る男たちはこれ好機と一斉に突進して来る。
迎撃するべく盾を構えようとするシュリは、しかし粉の影響で体勢を整えられない。
迫る凶器を止める術も無く万事休すかと思われた、その時。
「おいおい、荒事ならそう言えよなァ!」
威勢の良い声と共に、フゲンがシュリと男たちの間に割って入った。
彼は先頭にいた男の頭を鷲掴みにすると、いつもの怪力で軽々とぶん投げる。
ボールのように簡単に飛んで行った男は、後ろにいた者たちにぶつかり彼ら共々そのまま伸びた。
「オレも混ぜろよ」
予想だにしなかった青年の乱入に男たちはたじろぐ。
一方、当のフゲンは心底楽しそうに笑っていた。
「やりすぎんなよフゲン!」
「わかってる!」
同じく駆け付けていたライルの声を背に、彼は意気揚々と地面を蹴る。
「我流体術、《ぶん殴る》!」
目標は男たちの中でもひときわ目立つ体格の1人。
男は咄嗟に手に持つ巨大な鎚で迎え撃たんとするが、フゲンの拳がその程度で止まるはずもなく。
「げっ、鎚が……!」
得物は呆気なくへし折れ、男は間髪入れず飛んで来た蹴りで地に伏すこととなった。
「チッ、退くぞ!」
さすがに尋常でない力を感じ取ったのか、筆頭格の号令で男たちは退散して行く。
ここでがむしゃらに向かって来ない辺り、ただの荒くれ者ではなさそうだ……と、参戦のタイミングを失ったライルは彼らの背中を眺めながら考えた。
「ンだよ根性ねえな」
「まあそう言うな。町の安全が第一だ」
ライルが不満を漏らすフゲンと共に踵を返すと、ちょうどシュリがカシャたちに介抱されているところだった。
「大丈夫?」
「ああ。ありがとう」
口元を布で覆っていたのが幸いしたのだろう、彼はさほど重篤な状態でもなく、既に調子を取り戻しているようだ。
「にしても、厄介なことになったわね。あいつら、絶対また来るわよ」
カシャは眉間に皺を寄せて言う。
街の用心棒だっただけあって、悪党の習性についてはよく知っているらしかった。
「じゃ、今度は全員戦闘不能にすっか」
「わたしも次は戦うわ! 縄でぐるぐる巻きにする魔法とか考えておこうかしら」
「それより、根本的な解決策を……」
などとあれこれ話していると、不意に賑やかな足音と声が飛んで来た。
「シュリにーちゃん! 冒険者の奴らー!」
賑やかの発生源は孤児院の子どもたち。
先ほどまで外で遊んでいて、院に帰って来たばかりだろうに、全く元気の良いことである。
彼らはばたばたと駆けて来てシュリに挨拶をしたのち、ライルたちのところへ集まった。
「なあなあ、話聞かせてくれよ」
「話?」
「先生から聞いたぜ。お前ら冒険者なんだろ? 俺たち冒険者になりたいんだ!」
目を輝かせる3人は、順に元気よく名乗る。
「俺、ムーファ!」
「ぼくはララク」
「オレはトウィーシャってんだ」
ちなみにリーダーはオレ! とトウィーシャは胸を張った。
無邪気な子どもたちにライルは頬を緩ませて尋ねる。
「『箱庭』に願い事があるのか?」
「別に無い。でも冒険したい!」
ララクは万歳をして、やる気のほどを表現する。
誰にも気付かれないよう、ライルはそっと安堵した。
「あ、でも……」
ふと思い出したように、ムーファが付け加える。
「先生のことは……お願いしたいかも」
「先生? スアンニーがどうかしたのか?」
ライルが首を傾げると、彼はこくりと頷いた。
「うん。先生、時々すっごく悲しそうな顔するんだ」
「聞いても教えてくれないけど……」
「ぜってーなんかあるんだ。じゃなきゃ、なあ」
子どもたちは口々に言い合う。
3人が3人、皆揃って言うのだから、よほど顕著なのだろう。
一方で、スアンニーが子どもの前で意図的に弱みを見せるとも思えない。
恐らく無意識に零れ出てしまうほど、深く刻み込まれた何かがあるのだろう、とライルは思考を巡らせ結論付けた。
そうしていると、噂をすれば何とやら、当のスアンニーがやって来た。
「お前たち、ここにいたのか。行く先を言わずに出て行くなと言っているだろう」
彼は3人を軽くたしなめたのち、声を落としてシュリに問う。
「何やら騒がしかったが」
孤児院が町の入り口から離れた場所にあるからだろう、彼は騒ぎの詳細を知らないらしかった。
「盗賊、らしき一団が来ていた」
「お前1人で対処できたのか」
「いや。彼らのおかげで追い返せた」
「…………」
その言葉を聞き、スアンニーは何やら神妙な顔をした。
それから子どもたちの方を向いて、孤児院のある方を指差す。
「チビども、先に戻っていろ」
「えー、俺たち今から冒険者の話聞こうと思ってたのにー」
「なら帰ってから聞かせてもらえ。……悪い、お前たちでチビたちの相手をしてやってくれるか」
「もちろん、いいぜ!」
むしろ子どもたちと関わるのは楽しいから歓迎だ、とライルは快く頷き、皆で連れ立って場を後にした。
「……すまない」
ライルたちの姿が見えなくなったのを確認してから、スアンニーは口を開いた。
「俺が剣を振るえたなら、お前にここまで負担をかけることは無いのに。もしくは……俺が居なければ……」
彼は懐から煙草入れを取り出し、中から1本を抜き取って咥える。
それから右の人差し指に炎を灯して煙草に移した。
「シュリ、お前は良い人間だ。多少口下手だが、よく働くしチビたちにも懐かれている」
彼は魔人族で、肩にとまる蝶は使い魔だった。
「なあ、どうだ。金はこっちがどうにかするから、俺の代わりに――」
「やめてくれ」
シュリはスアンニーの言葉を遮る。
口元を隠す布がひらりと揺れた。
「……やめてくれ。そんなことを言うのは」
眉間に皺を寄せ、彼は悲痛に満ちた声を絞り出す。
しかしスアンニーは仄かに諦念を滲ませて笑った。
「とっくに錆び付いているのに無闇に恐怖だけを振り撒く剣、なんて害悪でしかない」
静かに煙草を吸い、煙を吐き出す。
肩に止まっていた蝶が翅を2、3度羽ばたかせた。
微かな風に吹かれ、白い煙は宙に散る。
「物事には潮時ってものがあるんだよ、シュリ」
スアンニーはまた一口、煙草を吸った。
じじ、と火が進み、先の方から燃え尽きた灰がぽとりと地に落ちる。
シュリはそれを憐れむように見下ろした。
見下ろしたが、既に砕けて千々になった灰は、もはや覆水と同じだ。
どうすることもできない。
「……帰ろう」
ただそれだけ、かろうじて絞り出す。
蚊の鳴くような弱々しい声で。
そんな2人のやり取りを、密かに覗き見る影があった。