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破天の雷霆  作者: F.ニコラス
第3章 融和:分かたれど末に
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87話 離別と希望

 少し時を遡り、ハルルから2つ西の街の路地裏。

 誰の目も無いそこに、1羽のカラスがいた。


 カラスは所在なさげに翼をもぞもぞさせ、少し歩いてみたり、立ち止まって、元の位置まで戻ったりしている。


 と、にわかにカラスの落とす影が蠢いた。

 影は見る見るうちに大きくなり、かと思えばむくむくと形を持って膨らむ。


 大人の人間でも抱えきれないほどまで肥大化した影は、ある一点まで到達するといっぺんに溶け崩れた。


 中から出て来たのは5人の男女――つい先ほどまで自分たちの拠点にいた、ファストたちだった。


 動く影は魔法で、カラス……ティカは使い魔。

 ファストはあの危機的状況を、ティカを座標に転移魔法を使うことで脱したのである。


「クッ……ソ、あの野郎……!」


 憎々しげに吐き捨てて、彼はその場に倒れ込んだ。


 派手に斬られた背中からはいまだに血が流れ出ている。

 サリーたちの前では、演技で以て身動きをとる力もないほど弱っているふうに見せていたが、実際もかなりの深手だ。


「器用ね。綺麗に骨を避けて斬ってあるわ」


 ゼンゴは少々ふらつきながら、ファストとヨクヨの傷口を見て言った。

 次いで長手袋に仕込んでいた小さな刃物で、氷魔法から代わって両手を縛っていた縄を切る。


「双子ちゃん、おいで」


 彼女は自分と同じく拘束されているシンフ、グスクを呼び寄せた。

 こういう時の彼女は妙なことを企まないと知っているので、双子は素直に従う。


 ざく、ぶつり、と繊維の切れる音が間隔の狭い壁で反射し、響いた。


「ファスト。どうして俺たちまで助けたんだ」


 シンフは自由になった手を握ったり開いたりする。

 見るとファストはどうにか体を起こして、打ち捨てられた木箱に寄りかかって座っていた。


「実はワタシたちのことが好きだったり?」


「気味の悪い勘違いをするな。ヨクヨ以外の人間を好きで助けたりなんかしない」


 ティカが飼い主を案じるように身をすり寄せる。

 触れ合った部分から、ほのかに魔力が流れ込むのをファストは感じ、これをやんわりと拒否した。


「情報漏洩対策だ。お前さんたち、ほっとくと保身のために何でもベラベラ喋るだろう」


「あらよくわかってるじゃない」


 おかしそうに笑うゼンゴに、黒い目がぎゅっと細められる。


「……お前さんもう何か喋ったな?」


「約束しちゃったんだもの」


「このクソ女……!」


 何が約束だ、そんなものを律儀に守る殊勝さなんて持ち合わせていないだろうに。

 どうせ殺し合いで気持ちが高ぶり、口が軽くなっていたに違いない、とファストは心底うんざりした。


「安心してちょうだい。6年前のアレについてちょっと教えただけよ」


「ああ、コットの町のか……まあそれくらいなら大目に見てやる」


 言いながらも、ファストは依然憂鬱だ。

 傷に響かないよう、控えめに溜め息を吐いた。


「これからどうするかな」


「『地図』を奪い返されて、下っ端は全員捕まって、敵を誰も殺せなくて……うふふ、面白いくらいの惨敗ね」


 ゼンゴは言葉に違わず、楽しそうに笑う。

 どうやら悲観というものを知らないらしい。


「ファスト、今は傷を癒そう。無理は禁物だ」


 ヨクヨがふらりと立ち上がり、手を差し伸べる。

 残りかすもいいところの僅かな魔力で傷口を薄く塞いで、ファストはその手をとった。


「そうだな。しばらくは大人しく潜伏するか」


 彼はヨクヨの傷にも同様に応急処置を施す。


「それに、気になることもある」


「と言うと」


「あのガキ……ライルといったか。あいつが俺のことを『イッセン』と呼んだ」


 えっ、とグクスが真っ先に声を漏らした。

 彼女は兄と顔を見合わせ、自分の聞き間違いでないことを確かめる。


 ヨクヨは眉間に皺を寄せ、ゼンゴは好奇心に口角を上げた。


「へえ……いつの間に本名を知られたの?」


「さあな。チッ、知ってる奴は全員殺したと思っていたが」


 ファストの脳裏にかつての記憶が蘇る。


 月明りが差し込む部屋、充満する鉄の匂い、開け放った窓から吹き込む涼しい風。

 頬にまとわりつくぬるりとした液体、やけに重たい服、震えなどとうに忘れた手足。


――やめよう、イッセン。今なら引き返せる。


 優しい声、善意に満ちた目、武器のひとつも持たない手。

 「彼」は傷を負い、血濡れてなお。


「少なくとも、だ。あいつはただの人間じゃない。素性を調べる必要がある」


 かぶりを振って、ファストは思い出すのをやめた。


 ライルとよく似た顔の、あの青年のことを。



* * *



「ん? これ、手紙が付いてるぞ」


 今しがたフゲンが文字通り掴み取った矢を見て、ふとライルは気付いた。

 矢柄の部分に何やら折った白い紙が括りつけられている。


「ほんとだ」


 フゲンはそれを破らないよう慎重にほどき、そっと開いた。


「なになに……」


 さほど大きくない紙に、走り書きをしたのだろう、少し乱れた字が並んでいる。

 ああこれはアンの字だ、と彼はすぐさま理解した。


「『お兄ちゃんへ。この手紙を読んでるってことは、私の矢がちゃんとお兄ちゃんのところまで届いたってことだよね。どうかな、私、ちょっとは強くなったでしょ?』」


 1音1音を噛みしめて、フゲンは手紙を小さな声で読み上げる。


「『改めて、今まで心配かけてごめんなさい。これからは軍人として、もっと強くなれるよう頑張ります。お兄ちゃんも冒険頑張ってね』」


 乾ききらないインクを手で擦ってしまったと思しき跡があった。

 それだけ一生懸命に書いていたのだろう。


「『それからモンシュさん。私の背中を押してくれてありがとう。あなたのおかげで、お兄ちゃんと話をする決心がつきました』」


 仲間の名前が出て来たことに、フゲンは少し驚いた。

 一旦読むのを中断し、半身で振り向いて問いかける。


「モンシュお前、いつの間にアンと話してたんだ?」


「探索中に、少し」


 竜の大きな尻尾がくるりとうねった。


「最初は何を考えているのかわからなかったんですけど、やっぱりアンさんが悪い人には思えなくて。もしかしたら今もフゲンさんのことが好きで、だからこそ避けてるんじゃないかって……尋ねてみたら、色々話してくれましたよ」


「へえ! そうだったのか」


 そう言えば、昨日作戦が終わった後も2人で話していたっけ。


 フゲンは大事な妹と大事な仲間が仲良くなっていたことを知り、得も言われぬ嬉しさを覚える。


「『皆さんも、どうかお兄ちゃんのことをよろしくお願いします。アンより』」


 最後まで読み終えると、彼は手紙を後生大事に鞄にしまった。


「お願いされちゃったわね!」


「ええ、フゲンが無茶しないよう見張っていないと」


 クオウとカシャはくすぐったそうに言う。

 当の本人も、ちょっぴり恥ずかしそうだ。


「なあフゲン。お前の望み、叶っちまったけどどうする?」


 ふと思い立ち、ライルは尋ねる。


 彼が『箱庭』を目指していたのは、妹に会うため。

 望んだそれが思わぬところで実現した今、果たして彼は何を思うのか。


 純粋な疑問と、ほのかな不安と、確かな期待が混じった視線でライルは相棒を見つめる。


「どうするって……まアそうだな、別に他に願うことは無いし」


 フゲンは髪を揺らし、屈託なく笑った。


「これまで通り、お前らと楽しく冒険するさ!」


 人の歩む生は千差万別。

 例えば三叉路があったとして、右の道を選ぶ者もいれば左の道を選ぶ者もいる。


 それは共に発った者同士でも同じ。

 歩み続ける以上、どこかで道を違えることは珍しくない。


 しかし翻って、歩み続けていれば、分かたれど末にきっと相見える。

 その希望が見えているのなら、ひと時の離別など少しも悲しむに足りないのだ。


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