80話 冷たい
キン、と甲高い音が響く。
カシャの目前まで迫っていた針は、すらりとした細身の剣により受け止められていた。
「少々呆けていました」
剣の主、リンネはゼンゴの前に立ちふさがって言う。
その顔にたたえた微笑みはいつも通り、静かで真っ直ぐな殺意に満ちていた。
「話、などと生ぬるいことを言っていては殺せるものも殺せません。私は犯罪者を殺す。まずはあなたです、執行団二番隊副隊長ゼンゴ」
一瞬、「話そう」という自分の言葉に応じてくれたのかと思ったカシャは、しかしそれとは別方向で彼女が奮起したらしいことに拍子抜けする。
だが今はそれでいい。
彼女が立ち上がってくれるのなら、自分の言葉など拒まれてもいい。
生きてさえいれば、いつかは彼女の抱えるものを取り除ける日が来るはずなのだから。
「あらあらあら! 復活! してくれたのね。嬉しいわ」
ゼンゴは嬉しそうに言う。
強者の再起は彼女にとっても望むところであった。
が、リンネは彼女のそれに何ら反応を見せることなく、一度距離を取って、また一気に斬りかかる。
「あら……!」
その一撃が先ほどまでとは違うことに、ゼンゴはすぐさま気付いた。
重い。
かかる力はさして変わっていないはず、けれども体の芯にまで響くような重さがあった。
「あなたの戦法は既に見抜きました」
勢いそのままに、リンネは次々と斬撃を繰り出す。
「攻撃が来ると思えば構えるように、隙があると思えば食いつくように。私たちは相手を見て動いています。あなたはそれを逆手に取り、『無駄な動き』を誘発させているのでしょう」
カシャは満身創痍の体を奮いたたせて双剣を握り直しながら、彼女の言葉を聞いていた。
なるほど、と合点がいく。
いつもより早く、重く積もる疲労の正体はそれか。
「うふふ、正解。さっきまで腑抜けていたのに、やるじゃない。隊長たるものそうでなくっちゃ」
「黙りなさい」
手札を看破されたというのに、依然ゼンゴは楽しそうに笑う。
「でも……仕組みがわかったからって、何が変わるのかしら? そう簡単に対応できるものじゃないわよ」
挑発するように並べられる言葉は、しかし確かに事実であった。
彼女の動きは相手の無意識に作用するもの。
からくりがわかったことで多少は抵抗できるかもしれないが、完全に誘導から脱することは困難だ。
何か策は無いか、とカシャは考える。
今の状況は近接対近接。
遠距離からの攻撃を混ぜれば、ゼンゴを翻弄し返せはしないだろうか。
だが剣使い2人でどうやって……。
と、そこまで思考を巡らせたところで。
「! これは――」
部屋の壁の色がにわかに変わる。
否、壁の表面に、急激に霜が降り始めた。
ゼンゴは急いで壁の前から飛び退く。
一拍遅れて、一面霜の降りた壁が轟音と共に砕け散った。
「カシャ! 隊長さん!」
大きく空いた穴から場に飛び込んで来たのは、クオウだった。
彼女は息を乱しているが、幸いにもほとんど無傷でいる。
「観念しなさい! あなたの部下たちはみんな捕まえたわ!」
カシャに駆け寄り、クオウはゼンゴに向かってびしっと指を差した。
「クオウ……!」
思わぬ乱入への驚愕と、彼女がこの短時間でそこまでの戦果を挙げたことへの感嘆と、駆け付けてくれたことへの仄かな喜びが一緒くたになった声でカシャは言う。
「秘密ね、実は思い切りすぎて隊員の人たちごと氷漬けにちゃったの」
ちゃんと溶かしたけど、とクオウはひそひそ声で言い、恥ずかしそうに笑った。
「隊長さん、ちょっとだけわたしに任せてちょうだい。きっと隙を作ってみせるわ」
「…………」
リンネは何も言わなかったが、ややあって数歩退く。
言外に、やって見せろと告げるようであった。
「魔人族も歓迎よ。遠慮しないでかかってきなさいな、お嬢ちゃん」
ゼンゴはあまり期待していないふうに言う。
目の前の女性は戦闘慣れしていない「お嬢ちゃん」であることを、既に見抜いていた。
それでも一応、単独でここまで来るだけの機動力か機転はあるのだから、魔法の出力によっては楽しめるだろうと彼女はあたりを付ける。
「エトラル式魔法戦闘術」
クオウが両手を前に突き出す。
呼応して、ゼンゴの足元に魔法陣が浮かんだ。
エトラル式……聞いたことは無いが、見るに魔法陣を用いて、使用者と離れた場所から魔法を発する形式のようだ。
ということは、先の氷の壁もこの魔人族の仕業だったのか。
理解すると同時に、ゼンゴは歓喜する。
恐らく、いやきっと強い。
さてどう料理するか、と胸を躍らせながら彼女は魔法陣の上から飛び退いた。
もうクオウは魔法を発動させかけている。
ひとまずこれで一撃は叩き込めるか。
ゼンゴは僅か1秒にも満たない時間で思考を終わらせ、攻めの姿勢へと移る。
しかしそれは、早計であった。
「――《千年凍土》!」
クオウが言い終えると同時に、魔法陣が急激に広がる。
人ひとり入って丁度くらいだった円が、その3倍もの大きさに膨れ上がったのだ。
直後、魔法陣から強烈な冷気が発され、宙を舞う埃が一斉に凍り付いてキラキラと光る。
「っ!」
ゼンゴは咄嗟に回避行動に戻り魔法陣の外へ出ようとするが、時すでに遅し。
逃れ損ねた左足が一瞬にして凍り付いた。
凍結からまぬがれた部位も魔法陣から漏れだした冷気でこごえ、かじかんだ手は得物を取り落とす。
「今よ!」
クオウが合図を出した時には、リンネがもうゼンゴの目前まで迫っていた。
細身の剣が一直線に、彼女の首を狙う。
片足が使えない状態で避けられるほど、鈍い攻撃ではない。
もはや避ける手立てがないことは誰の目にも明らかだ。
ゼンゴは満足そうに笑って、目を閉じた。
* * *
ファストの魔法によってライルと分断されたフゲンは、ひとまず目標をヨクヨに定めて戦闘を始めていた。
本当ならライルの元へと向かいたいが、ここを離れれば残されるミョウや他の隊員たちが危ない。
あれから続々と執行団側の増援が来ており、ミョウたちは既に手いっぱいだ。
少なくとも自分たちから逃げおおせるほどの身体能力を持っているこの男を野放しにしては、隠密行動中のアンにも危険が及ぶかもしれない。
もどかしさを感じつつも、一方で、フゲンはヨクヨとの戦いを楽しんでもいた。
「ギャハハハッ! 強いなァお前!」
拳を正面からぶつけ合い、衝動のまま目一杯に体を動かしながら、彼は叫ぶように言う。
フゲンが下品な声で笑うのは――もとい、思い切り暴れるのは久しぶりだ。
イシュヌ村では早々に脱落したし、ローズとの戦いでは搦め手が多く思うように拳を振るえなかった。
しかし今はどうだろう。
相手は容赦しなくてもいい悪人で、しかも魔人族でなく、さらには自分と同じ体術使い!
策略も加減も要らない。
この戦いにおいては自分のやり方が「最善」なのだ。
諸々の状況を抜きにして見れば、最高と言っても過言ではなかった。
「なあお前、マジであいつとつるんでんのか?」
拳が弾かれ合った拍子にフゲンとヨクヨの間に距離ができ、2人は睨み合いに入る。
一旦互いの攻撃が止まったのをいいことに、ふとフゲンは気になっていたことを尋ねた。
「あいつ性格悪いし、部下も平気で斬り捨てる奴だぜ? ロクでもねえ奴だよ。悪いこと言わねえからやめとけ」
そう、彼は戦いながら疑問に思っていたのだ。
ヨクヨは決して馬鹿ではない。
強者にへつらうような人間でもない。
表情も視線も冷たく、欲というものを感じない。
なのになぜ、わざわざあの性悪の部下をやっているのか。
拳を交わせば交わすほど、フゲンには甚だ不思議に思えた。
「彼への侮辱は許さない。撤回しろ」
「お前なあ。なんかアブナイぜ、そういうの」
「我は問題無い。全て承知の上だ」
どうやらイマイチ会話が通じないタイプらしい。
フゲンは持っていた疑問に「わかんねえ」のラベルを貼り、思考のゴミ箱に捨てた。