72話 修羅場
尋常でない焦り具合とその言葉に、ミョウは即座に事態を理解する。
彼は立ち上がり、最善の指示を出すため思考を全力で回すも、「それ」は無慈悲に訪れた。
「おや、おかしな光景ですね」
穏やかな声が室内に響く。
次いで、小柄な有角族の女性が部屋に足を踏み入れる。
「なぜここに犯罪者共が?」
声色とは真逆の威圧感。
それは他でもない、外出していたはずの隊長、リンネその人だった。
「違うんですリンネさん、これには訳が」
「大丈夫ですよミョウさん。あなたのことは信頼しています。この犯罪者共を殺したら、詳しく話を聞きますね」
先ほど見せた気迫はどこへやら、猛獣を前にしたかのように焦るミョウ。
扉の脇でおろおろするツイナとフーマ。
リンネおよびから逃げるか、いやここまで来たのだから、と行動を決めかねる雷霆冒険団の面々。
ものの数秒で混沌とした場に、また新たな人物が現れた。
「あ、あのう、どうしたんですか?」
リンネの後ろから、困惑した顔を覗かせる影。
それは年若い少女だった。
銀色の髪を短く切り揃え、まだ新しそうな緑の軍服を着ている彼女。
瞳は赤く、肌は色白で、大人しそうな顔つきをしている。
そして何より、その風貌は。
「お……」
少女はライルたちの方に視線を向けるや否や、目を見開いた。
は、と吐息が震える。
「お兄ちゃん!?」
――その風貌は、フゲンと似通ったところがあった。
ライルはパッとフゲンの方を見る。
他の面々、ミョウたちでさえも、驚きを隠せない様子で彼と少女を見比べた。
突然かつ予想外のことに、束の間の静寂が訪れる。
「ア、アン……?」
沈黙を破ったのはフゲンだった。
彼は少女の、妹の名前を呼び、ふらりと一歩前に出る。
「お前、お前……生きて……!」
いつになく震えた声だった。
徐々にその表情が、驚愕から喜びに変わっていく。
あと数歩、あと数歩進むだけで、愛する妹に触れられる。
何度も念じ、願った再会だ。
しかしアンの前に辿り着くより早く、彼に剣が突き付けられる。
立ち塞がるミョウを躱して前に出た、リンネだった。
彼女はフゲンの文字通り目の前で、剣をぴたりと静止させる。
斬るまでしなかったのは近くにミョウが居たからだろう。
本気で当てるつもりでやれば、この距離では必ず彼に阻止されるとリンネは理解していたのだ。
「うちの隊員に手を出すつもりですか?」
「アンはオレの妹だ!」
しかしだからと言って、感情の面で何かが変わることは無い。
リンネとフゲンの間に一触即発の火花が散る。
両者今にも戦闘を始めてしまいそうなほど、敵意が高まっていた。
「リンネさん、こんなとこで暴れたら危ないですって!」
「フゲン、ひとまず落ち着け! ここで戦ったら駄目だ!」
ほぼ同時に、ミョウとライルが2人を引き剥がす。
「そ、そうですよ。フゲンさん、どうか冷静に……」
「隊長、一旦引き下がりましょう。ね」
生じた空間にすかさずモンシュたちやツイナたちが割り込み、さらに両者に距離をとらせる。
ほどなく騒ぎを聞きつけた他の軍人たちがやって来て、リンネたち捜索隊側が別室に移動する形で場は収束した。
残されたライルたちは、ミョウが出て行く直前に言った「ちょっと待ってろ」という言葉通り、大人しく待機する。
嵐は過ぎ去ったものの、重苦しい空気が各々にのしかかった。
良くない雰囲気を感じながらも、モンシュとクオウはどうしたらよいのかと行動を起こしかねている。
カシャもまた何もせずにいたが、こちらは敢えてそれを選択しているようだった。
「大丈夫か?」
ソファで柄にもなく静かに、ただ項垂れるフゲンにライルが声をかける。
先ほど刺された肩は血が止まっており、傷の存在は既にライルの意識外にあるらしい。
「ああ。悪いな、こんなことになっちまって」
フゲンはゆっくり顔を上げる。
「いや、仕方ねえよ。……本当に妹さん、だったんだろ?」
「そうだ。間違えるはずがない。絶対に、オレの妹……アンだった」
「でもその子、亡くなったのよね? どうして生きて、しかもここに居るのかしら」
おずおずとクオウが尋ねると、フゲンは緩く首を横に振った。
「わからねえ。でも……そうだな、思えばオレはアンの死体を見ていない」
「ええと……つまり?」
「あの時アンは家にいたはずで、その家が跡形もなく燃え尽きてたんだ。かろうじて残ってたのは、あいつの付けてたブレスレットの残骸だけ。アン本人も他の痕跡も、その後どれだけ探しても見つからなかった」
記憶を蘇らせながら彼は語る。
話す内容こそ筋が通ってはっきりしていたが、声には覇気が無かった。
妹が生きていた、しかし軍人の格好をしており、リンネに部下と呼ばれていた――なんて、そう簡単に受け入れられることではないだろう。
まるでわけがわからない、と顔に書いてあるようだった。
と、そこでカシャが口を開く。
「確か、3年前のことって言ってたわよね。出火の原因は?」
「放火だ。目撃者がいたみたいでな。犯人はオレが家に戻った時にはもう取り押さえられて、憲兵に連れて行かれるとこだった」
「動機はわかってる?」
「オレに恨みがあったんだと。尤も、あそこまで大事にするつもりは無かったみたいだが」
「……そう。いえ、ごめんなさい。少し気になって」
何やら浮かない顔だったが、彼女はそう言うとまた無言に戻った。
どれくらい経ったろうか、しばらくしてミョウが部屋に帰って来た。
「ああ、良かった。落ち着いたみたいだな。リンネさんは何とか宥めたから、まあひとまずは安心してくれ」
「…………」
「疑問だらけ、って顔だな。気持ちは……半分くらいはわかるぜ。こっちも急なことでてんやわんやだ」
ミョウは自身に鋭い視線を向けるフゲンに、苦い笑みで返す。
「まずはわかっていることを、端的に説明しよう。……あの子、アンを連れて行ったのは俺だ」
ぎち、とフゲンが拳を握りしめた。
が、それが振るわれることは無かった。
「意外だな。一発くらい殴っても文句は言わないぞ」
「本気で殴ったら話聞けなくなるだろ」
肩をすくめ、ミョウは先ほど座っていたソファに着く。
「俺はあっちこっちぶらつくのが好きでね。あの日はたまたま近くまで隊が来てたもんで、調査を抜けて地底国に行ってたんだ」
「え、勝手にそんなことしていいの?」
「もちろん私服で、バレないように行ったさ」
純粋な問いを投げかけるクオウに、彼はへらりと笑った。
バレるバレないを別にしてもサボりなのは間違いないのだから問題なのだが、罪悪感などは全く無い様子だ。
「まあ適当に散策してたんだが、その時に放火の現場を見たんだ。そう、お前の家のね」
ぴくりとフゲンの肩が動く。
「着火は恐らく魔道具で行われていた。火の燃え広がり方が尋常じゃなかったからな。俺はとりあえず犯人を昏倒させて通りに放って、家の中に入った。そしたら女の子が1人いたってわけだ」
「……アンか」
「ああ。幸い彼女の怪我は軽い火傷だけで、意識もあったからそのまま連れて外に避難した」
「ますます意味がわかんねえ。じゃあ何でアンはオレのところに帰って来なかった。何でお前らと一緒に……軍人なんかになってやがる」
フゲンは立ち上がり、ミョウを正面から睨んだ。
掴みかかるようなことは無かったが、抑えきれない苛立ちが仕草から、言葉から漏れ出ていた。
「アンに会わせろ。後でいいから。直接、話がしたい」
けれどもミョウは首を横に振って返答する。
「いや、それはできかねるな」
「あ?」
「そう凄むな。俺は別に意地悪してるわけじゃないんだ」
溜め息をひとつ、そして彼は続けた。
「彼女の意思だよ。アンはお前には会いたくないってさ」