71話 言わない
少し時を遡り、飲食店でのこと。
地上国軍の捜索隊が『地図』の欠片を持っている、と口にしたムメイは続けて言った。
「彼らは『地図』の存在と、その実態を理解しています。そこで皆さんが『地図』について話せば、少なくとも無視はできないでしょう」
柔らかな笑顔のまま、粛々と説明を続ける。
その様子はやはりどこかおかしな――と言っても嫌な雰囲気の無い――感じがした。
「『地図』を知る者、敵が執行団、必要不可欠な『地図』の大部分……消極的にも積極的にも、捜索隊側の利益は少なくありません。そこからは交渉次第ですが、一時的にでも協力関係を結べるはずです」
「こっち側の得は?」
カシャが尋ねると、ムメイはその質問を待っていたかのように答える。
「単純に戦力の問題ですね。執行団を相手取るなら、武力も情報収集力もかなり必要でしょう。その点では、彼らは考え得る限り最も心強い味方ですよ」
彼の主張にライルたちは概ね納得した。
確かにこの状況では、多少のリスクを負ってでも積極的に動くべきだろう、と。
話はまとまり、一同は以降しばらく楽しい食事の時間を過ごした。
最後までムメイは料理に手を付けることが無かったが、まあ彼には彼の事情があるのかもしれない。
敵意を感じられないのだから不躾に理由を聞く必要はないと、少なくともライルはそう結論付けた。
「そうだ、皆さん。ひとつだけお願いがあります」
別れ際、ムメイは一行に言った。
「捜索隊が『地図』の欠片を持っているという話、私から聞いたことは秘密にしておいてください」
何かと思えば当然で、妥当すぎる「お願い」が告げられ、ライルたちは却って驚く。
恐らく捜索隊、ひいては国に協力しているであろう研究者が冒険団に手を貸したとなれば大問題だ。
ここまで善くしておいてもらって、まさか恩を仇で返すようなことはできるまい。
「わかった。ところで、どうしてお前はそこまで俺たちに肩入れするんだ?」
ライルが尋ねると、ムメイは笑ってひと言。
「あなたたちを信じているからです」
そんなわけで、雷霆冒険団一行は捜索隊の拠点に向かい――見事足を踏み入れることに成功したのである。
「運が良かったな、お前ら。今リンネさんは新人と一緒に外出中だ」
ライルたちが通されたのは、客間らしき一室だった。
掃除の行き届いた壁や床、整頓され置き物の飾られた棚、ひびひとつ無い机。
部屋の中央近くに置かれたソファには、地上国軍『箱庭』捜索隊の副隊長、ミョウが腰かけている。
「久しぶりだな。雷霆冒険団の諸君。ま、適当に掛けてくれ……おっと、場所が足りないな。ツイナ、フーマ、予備のソファも並べてやれ」
「はーい」
「はい」
2人が指示通りテキパキ場を整えると同時に、別室に居たのであろう、他の隊員たちが部屋に入って来た。
結果そう広くは無い空間に約20人が収まることになり、室内が少々手狭になる。
ライルたちは着席し、ミョウと向かい合った。
周りはしかめっ面の軍人たちにぐるりと取り囲まれており、いささか圧を感じる空間だ。
「じゃ、洗いざらい話してもらおうか」
ミョウが話を始める。
その表情はにこやかで、さして敵意を感じない……と、思いきや。
「何で俺たちを訪ねて来た」
笑顔は一瞬で消え去り、彼は冷たい視線をライルたちに向けた。
ぴりりと空気が緊張する。
ライルは室内に冷気が下りて来るような気さえした。
「盗品を取り戻すなら憲兵を頼ればいい。冒険団がわざわざ捜索隊の元に来て、『地図』の名を出す利点は何だ」
ミョウは返答を待たず続ける。
「俺たちが『地図』の一部を持ってると知っていたな?」
まさかこんなにも早く看破されるとは、とライルは固唾を呑み込んだ。
その強張った表情を、ミョウは見逃さない。
「なぜ知っていた。答えろ。答えなければ、1人を残して全員殺す。残った1人を拷問にかけて情報を吐かせる」
畳みかけるように言葉を並べ立てる彼に、しかしライルは臆することなく、ゆっくりと口を開く。
「……答えない。教えてくれた人と約束した」
それは他の4人も同様に思っていることだった。
法に背いて進むこの旅路、義理まで失くすわけにはいかない。
「何か勘違いをしているようだな」
大きく溜め息をついて、ミョウは右手を軽く上げる。
呼応するがごとく、周囲の軍人たちが一斉に武器を手に取った。
ライルとフゲン、カシャは反射的に警戒態勢をとろうとするもこれを堪え、平静を装って相手を見据える。
モンシュとクオウも辛抱強く、思考を巡らせながらも無反応を貫いた。
「この場所においては、お前たちに勝ち目は無い。逃げ場も無い。そして俺たちは軍人だ。国のためならば人を殺せる」
言いながらミョウ自身も短剣を抜き、机を軽く踏み越えてライルの目前に迫る。
それでもまだ回答の兆しが無いのを認めると、短剣を逆手に持ち替え、勢いよくライルの肩に突き立てた。
誰がともなく息を呑む。
悲鳴は上がらなかったが、空気がまた一段と張り詰めたのは明らかだった。
「さあ言え。誰からその情報を得た」
ライルの肩からじわりと血が滲み出る。
肉が裂かれる音と鉄臭いにおいが、場に居る人間たちの感覚を刺激した。
この剣に手加減は無い。
いや、腕を完全に落としてしまわない程度に力は調節されているのだが、相手を傷付けるという点においては一切の躊躇が無い。
この男は本当に人を殺せるのだろうと、ライルはそう確信した。
必要とあらば誰でも、それこそ女子どもでも殺すだろう。
だが、それでも。
「っ……言わ、ない」
ライルと、4人の覚悟は揺らがなかった。
ここは決して譲ってはならないという思いは、ひりつく空気の中でも健在だった。
「……そうか、よくわかった。お前たち」
ミョウがもう一度、手を挙げる。
フゲンとカシャはいつでも立ち上がって応戦できるよう、気を最大まで張った。
モンシュは竜態に変じて4人を攻撃から守る算段を付けた。
クオウは前方の窓に視線を向けながら、魔法を撃つ用意をした。
そしてライルは右手を軽く握り、静かに力を集中させた。
十中八九、隊員は別室にも居る。
ミョウの合図ひとつで、規律のとれた動きで以て雷霆冒険団を追い詰めんとするだろう。
ライルとカシャが武器を取られている上、圧倒的な多勢に無勢、加えて地の利も向こうにある。
どう少なく見積もっても、まず無傷では済まない。
しかし、せめて退路は築けるように。
この場を切り抜けられるように。
ライルたちは、ひとつも諦めることは無かった。
「――――」
ミョウの口が開く。
息を吸う微かな音、そこから吐き出された言葉は。
「ご苦労さん。もう下がっていいぞ」
……拍子抜けするほど、あっけらかんとしたものだった。
予想外の展開に驚くライルたちを余所に、ミョウは短剣を引き抜いて鞘に戻し、周囲の軍人たちはぞろぞろと部屋を出て行く。
「あー怖かった。ほんとに刺すとは思わなかったよ。見てこれ、鳥肌立っちゃった」
「お前、言動と顔が一致してないぞ……」
「じゃあ一致させる。いい気味!」
「明け透けすぎる!!」
緊張感の欠片も無い会話をするツイナとフーマを最後に、とうとう軍人たちはミョウを除いて1人もいなくなった。
「どうしたそんな面食らった顔して。交渉、するんだろう?」
彼はどっかりとソファに座り直して笑う。
「……ああ!」
ライルたちは安堵すると共に、ここからが本番だと気合を入れた。
交渉の席に着くことができた今のこの状況は、これ以上ない好機だ。
何せあのリンネがおらず、さらに彼女と最も近しい立場のミョウと話ができる。
察するに度胸も思考力も上等な彼のことだ、雷霆冒険団と協力する価値を証明できれば、リンネへの対応は上手くやってくれるだろう。
さてどこから攻めるか……とライルが考え始めた、その時。
「副隊長!!」
慌ただしい足音を立て、先ほど去ったはずのツイナとフーマが部屋に飛び込んできた。
「今すぐそいつら隠してください!」