70話 玄関口の対決
その部屋は少し薄暗かった。
日光は厚みの足りないカーテンを通り抜けて室内へと差し込み、ちらちらと宙を舞う埃に反射している。
照明は天井から下げられたランプがひとつだけ、ぼんやりとした灯りを放っていた。
家具は人が暮らすに困らない程度には揃っていたが、どれもが古ぼけ、あるいは壊れかけている。
亀裂が入ったまま放置されている机、雑な修復痕が目立つ椅子、綿のはみ出たソファ、空っぽの本棚、あちこちに染みが残るベッド。
日頃から人の出入りがあまり無いことは、明らかであった。
そんな部屋の中、ソファに座る人物が1人。
赤い長髪が特徴的な男性、ファストだ。
彼は背もたれに惜しげもなく上体を預け、天井のランプをぼうっと見つめている。
更には右手で無造作に三つ編みをした横髪をいじっており、まさに手持ち無沙汰といったふうであった。
だがファストはふとした拍子に髪をいじる手を止め、すっと背筋を伸ばすなど姿勢を整え始める。
視線は真っ直ぐ部屋の入口に、服に付いた埃を払って。
「お帰り、ヨクヨ」
言うと同時に、入口の扉が開く。
入って来たのは青い長髪の男性――そう、ライルたちから件の箱を盗んだ男であった。
「ああ。ただいま戻った」
ヨクヨと呼ばれた彼は、足音も無くファストに歩み寄る。
そして無駄のない動きで懐から箱を取り出し、すっと差し出した。
ファストは疑う素振りなどひとつも見せず、その箱を受け取る。
「期待通りの成果だ」
満足そうに口角を上げ、彼は箱の蓋を静かに開いた。
現れた水晶は眩い光を放つ……ことは無く、ひとすじの淡い光をどこかへと向かって伸ばす。
ますます機嫌を良くしたらしいファストは、箱を脇に置いてヨクヨに笑いかけた。
「我ながら無茶を言ったと思ったんだが、いや、よくやってくれた。ありがとう」
しかしヨクヨはすました顔で首を横に振る。
「当然のことだ、称賛は必要無い」
喜怒哀楽、何をも覚えさせない表情。
役割を遂げた達成感も、労いを受けた充足感も、もちろん見えない。
「あなたは我の全て。我はあなたの為に在る」
舞台上の役者が紡ぐような台詞を、これまた平然と吐くヨクヨ。
ファストは彼に苦笑しつつ自分の隣、ソファの空き場所を指し示した。
「まあ座れ。お前さんと言えど多少は疲れたろう」
「有難う、失礼する」
意外にもと言うべきか、ヨクヨは素直に示された通りの位置に腰を下ろす。
ソファは成人男性が2人並んで座るにはいささか狭く、肩と肩が触れ合ってしまっていたが、両者とも特段気にしてはいないようだった。
「……ファスト」
「やめろ、ここに居るのは俺とお前さんだけだ。今はそのふざけた名前で呼んでくれるな」
「すまない。気が利かなかった」
数秒間を置き、ヨクヨは切り出す。
「この『地図』だが、どうやら一部が欠けているようだ。欠けた部分も探した方が良いだろうか」
「ああ、それなら心配無い。欠片の場所は既に判明している」
ファストは己の目元を指先でとんとん、と叩いて答えた。
真っ黒い瞳が照明の光を反射する。
状況を理解するのにはそれだけで十分だったのだろう。
欲しい情報を察したヨクヨは、僅かに眉間に皺を寄せた。
「ティカは優秀だな」
言い終えるや否や、ふ、とファストが息を漏らす。
「妬いているのか?」
「少し」
「くく、相変わらず素直なことで」
おかしそうに笑うファストを、ヨクヨは眉間の皺を深くして見やる……かと思いきやすっと元通り、全くの無表情に戻った。
またしばらくの間があり、先ほど同様ヨクヨから話を切り出す。
「ゼンゴたちは何処へ?」
「さあ? また勝手にどこかへ行っているんじゃないか」
当たり前のようについて来ようとしなかったしな、とファストは事も無げに言った。
「何故彼女らを手元に置いておく。我は理解し難い」
「利害の一致だ。ただそれだけ、奴らの感情にはさして興味が無い」
軽く笑って肩をすくめる彼に、ヨクヨは黙る。
ぱちぱちと瞬きをし、どうにか溜飲を下げようとしているらしかった。
ファストは駄目押しとばかりに言葉を続ける。
「俺が感情を気にする人間はお前さんだけだよ」
お前さん「だけ」。
こういう類の人間が放つにあたっては全く信用ならない台詞だ。
実際、この男は何度もこれを哀れな被害者たちに囁いて、金銭やら情報やらを搾取して来た。
前科にまみれた言葉である。
だがヨクヨはかすかに満足そうな声色で「そうか」とだけ返し、口を閉ざした。
「さて、じきにティカが戻って来る。そしたら支部に戻るとしよう。あの気狂いどもを喜ばせてやらなくてはな」
薄暗い部屋に、ファストの上機嫌な声が響く。
日はほとんど落ち、しかし薄くかかった雲によって、星空の兆しは見えないままでいた。
* * *
地上国、ハルルの街近郊。
天気は概ね晴れ、風は穏やか、気温やや高め。
2階建ての質素な家屋を前に、ライルたち雷霆冒険団の面々はずらりと並んで立っていた。
「よし……行くか」
「ああ、やってやろうぜ」
「緊張しますね……」
「武器は抜かない、魔法も使わない。いいわね?」
「はあい!」
皆それぞれ覚悟を固めた後、先陣を切るようにライルが1歩前に出る。
彼は深呼吸をひとつし、玄関扉の脇を見た。
そこには札が掲げられており、札には仰々しい文字で「地上国軍『箱庭』捜索隊第三拠点」とある。
すなわちライルたちは来たのだ。
ムメイの助言通り、捜索隊の元へと。
ライルはすっと手を伸ばして備え付けられたベルを鳴らした。
と、ややあって扉の向こうから、足音と間延びした声が聞えて来る。
「ほーい、何の御用で――」
ガチャ、と小気味の良い音と共に扉が開いた。
声の主は黒髪をポニーテールにした褐色の青年。
彼は出迎えの文句を口にし、しかしライルの姿を見た途端に途切れさせ。
「ウワ!!」
思いっきり嫌な顔をして叫んだ。
「おいツイナ、なに大声出して――うわっ!」
今度は黒いマスクをし、橙色の髪をこれまたポニーテールにした青年が後ろから顔を出したが、彼もまた似たような反応をする。
というかよくよく見れば、橙の彼は以前ライルが戦った魔人族の新兵であった。
いや、ともあれ今は会話を試みなければ。
ライルはどうにか耳を貸してもらおうと、努めて平和的な雰囲気を出し、口を開いた。
「あー、ええと、ちょっと話を聞いてく」
「フーマ、副隊長呼んで来て! 俺が足止めする!」
「わかった! 無理するなよ!」
駄目であった。
踵を返して応援を呼びに行こうとする彼らを、咄嗟にフゲンが扉との隙間をすり抜け先回りして制止する。
相変わらずの異様な速度だ。
「待て待て待て待て! 今日はそういうんじゃねえんだって!」
「どういうのさ!」
完全に囲んで襲い掛かる悪党の構図になってしまったが、逃げられないようにするのが優先だ。
ひとまずはこれで良い。
「『地図』! 『地図』について相談……交渉したいんだ!」
敵意をむき出しにして今にも腰の剣を抜こうとする2人に、ライルは必死に弁明する。
「……もうちょっと詳しく」
幸いにも『地図』の文言に引っ掛かってくれたようで、ツイナの方が警戒しながらも話を促した。
「端的に言うと『地図』の大部分を持ってる奴を知ってる。中に入れてくれるなら、もっと詳細に話す」
場に静寂と緊張が走る。
凶と出るか、吉と出るか。
軍人2人はゆっくりと顔を見合わせ、す、す、と互いに歩み寄る。
フーマがツイナに何やら耳打ちをすると、また顔を見合わせ、頷き、そしてライルたちの方を見た。
「わかった、入れ。ただし武器はこっちで預かる」