68話 スリ
「カアラはこれのこと何て言ってたんだ?」
フゲンが問うと、クオウは記憶を掘り返しながら口を開く。
「えっと……『公国が所有する宝物の中で、最も手ごろなもの』って」
「じゃ、そこまでべらぼうなモンじゃねえってことだな」
「少なくとも中身が何なのかだけは、確認したいところですが……」
「眩しすぎて何にも見えなかったもんなあ」
カアラがくれた物であるからには、悪い物では無いはず。
しかし具体的にどういう物なのか、そこが見えてこない。
首を捻る面々だったが、そこでカシャが挙手する。
「待って。さっきは蓋を開けきってから光ったわよね? 半分くらいまで開けた状態なら、中を覗けるんじゃないかしら」
「お、名案だな。それでやってみよう」
彼女の指摘に、ライルはすぐさま賛成した。
「今度は俺が持つよ」
こうして箱はクオウからライルの手に渡り、一同は彼の正面に移動した。
彼が慎重に箱の蓋を開けて行くと、確かに光が発されないまま徐々に中身が見えてくる。
半開きくらいまで行ったところでライルは手を止め、皆に尋ねた。
「どうだ? 何がある?」
「これは、水晶? かしら」
「青みがかっていて綺麗ですが、ちょっと欠けている箇所がありますね」
ね、とカシャとモンシュが頷き合う。
「あとは下にクッションが敷いてあるわ」
「特におかしいとこは無いぜ」
ひと通り確認し終えたところで、ライルはまた慎重に蓋を閉じた。
「やっぱ何かの魔道具か? でもどの辺が『手ごろ』なんだ、これ」
彼はクオウに箱を返しながら、これでいったい何度目か、首を傾げる。
カアラが何を指して『手ごろ』と言ったのか、それすらよくわからない。
かと言って、わざわざカアラに聞きに行くのも躊躇われる。
何せ彼女らは国の立て直しで大忙しだ。
これくらいの用に時間を割かせるわけにはいかないだろう。
「もしかしたら、カアラさんが確認した時にはちゃんと動いたとか?」
「なるほど、本来は光る以外にも何かしら有用な効果を発動するはずって仮説ね」
「あ、そうかも! もし古い魔道具なら、上手く動かなくなっちゃっててもおかしくないものね。公国でもそういうのが廃棄されてるの、見たことあるわ」
「まあこれが何であれ、貰ったモンだし大事に持っとくか。な、ライル」
「そうだな」
ひとまずそういうふうに議論を終わらせ、ライルたちは歩き始める。
次の目的地は南方面で最寄りの街・ハルル。
もう今日は昼を過ぎておりそう長距離は移動できないため、近場で休息と情報収集を行おうという計画だ。
道中は平穏そのもので、揉め事や怪しい人物に遭遇することはもちろん、天候が崩れることすら無く、一行は順調に歩を進めた。
特筆するとすれば、強いてもクオウが終始あちこちを見回しては嬉しそうにしていたことくらいだ。
「世界を見て回りたい」という彼女の望みがいかに強いものか、事情を知らない者であっても察することができただろう。
そんな具合で、ライルたちは日が落ちる前にハルルの街に到着。
帰路に就く人々の流れに乗って、宿を探すことにした。
「わあ……! この街並み、周りの人たちも、公国とはまた違った雰囲気ね」
「はぐれないよう気を付けてね、クオウ」
「ええ! ちゃんとついて行くわ!」
街中でも変わらず周囲に興味を引かれっぱなしのクオウに、カシャが優しく注意を促す。
恐らくクオウの方が年上であろうが、こうしているとカシャが姉で彼女が妹のように見えた。
「宿屋、宿屋……いや、この辺は住宅ばっかみたいだな」
ライルはそんな彼女らから視線を外し、宿探しに注力する。
どうやら一行が居るのは商店の少ない通りのようで、ひとつかふたつ、向こうの通りに行った方が良さそうか……などと考えるライル。
と、その時。
「わっ」
耳に飛び込んできたクオウの声に、彼は振り向く。
見ると彼女の目の前には長身の男性が立っていた。
青く長い髪に切れ長の瞳、服装からして聖職者のような彼は、つんとすました表情だ。
「ごめんなさい、怪我は無い?」
「ああ、問題無い。こちらこそすまなかった。気遣い感謝する」
察するに、この人混みの中でぶつかってしまったらしい。
幸い大事には至らなかったようで、男性は軽く会釈をして去って行く。
「悪いことしちゃったわ……」
「今のは仕方ないですよ。お互い、近くの人を避けようとしたんですから」
しょんぼりとするクオウと共に、仲間の方にも気を配って置けばよかった、とライルも少し反省する。
が、そこで彼はある違和感に気付いた。
「ん? クオウ、鞄開いてるぞ」
箱をしまった後、クオウがきちんと閉じていたはずの鞄の、封をする金具が外れていたのである。
「え? あ、ほんとだわ。わたしったら浮かれすぎて――」
「っいけない!」
突然そう言うや否や、カシャが走り出した。
「さっきの男、スリよ!」
さすがは有角族、彼女の背はあっと言う間に遠ざかって行く。
「すり?」
「スリ……?」
クオウと、それからライルは状況……と言うよりカシャの発した言葉を呑み込めず、ぽかんとして目を丸くした。
「物盗りだよ、ドロボー! クオウ、鞄の中身確認してみろ!」
フゲンに言われ、クオウは慌てて鞄の中を見る。
「あっ! カアラから貰った水晶が無いわ! 箱ごと!」
「早く追いましょう! ライルさんとフゲンさんはこのまま真っ直ぐ、クオウさんは僕とこっちから回り込みを!」
すぐさまモンシュが指示を出し、彼とクオウは共に脇道へと向かう。
同時にライルとフゲンも、カシャの後を追うように駆け出した。
「待ちやがれスリ野郎!」
相変わらずの人間離れした身体能力を以て、2人はぐんぐん前に進む。
通りがずっと真っ直ぐ伸びているのが幸いしてか、ほどなく青髪の男と、彼を追うカシャが視界に入って来た。
「クソっ、人が多い……!」
けれども徐々に人の密度が増して行き、完全に追いつくことはできない。
それは男とカシャも同じで、一定の距離を保ったままの追いかけっこになっている。
ライルの脳裏に、ウィクリアの町でのことが浮かんだ。
そう、フゲンと出会った時のこと。
暴漢を仕留めようと走っていたあの時も――あれは野次馬であったが――群衆が前方を阻んでいた。
今回も、状況はほぼ同じ。
しかし十分な助走をつけるだけの場所が無い。
であれば。
「フゲン!」
「! おうよ、任せろ」
ライルはフゲンに視線を送り、フゲンはその意図を即座に理解して手を下に構えた。
次いでどうにかライルの前方まで出、腰を落とす。
速度を維持したまま軽く跳躍するライル。
着地の足はちょうどフゲンの手の上に乗った。
そしてフゲンは手に、ライルは足にぐっと力を込める。
「行ってこい!」
「ああ!」
場所が確保できないなら、踏み切る足場をつくってもらえば良い。
相方の力を借り、ライルはバネの要領で大きく跳ね上がった。
ぐんと体が上昇し、人々はおろか、建物の屋根までもが下に見える。
男は待ち伏せを警戒してか、路地に入ろうという動きは少しも見せていない。
が、じきに通りが交差する十字路に突き当たる。
さらに混雑するそこに行かれては、いよいよ見失ってしまうかもしれない。
ライルは槍を構え、狙いを定めた。
「天命槍術、《晩鐘》!」
放たれた槍は一直線に、正確な軌道で男めがけて飛んで行く。
風を巻き起こしながら、人々の隙間を器用に通り、そうして数秒もかからず男の足元すぐ右方に突き刺さった。
地面に衝撃が走り、男は反射的に足を止める。
「今だ!」
その声が届いたか、十字路の直前の路地から、クオウとモンシュが飛び出して来た。
「観念しなさい、いけない人!」
何だ何だとどよめく人々をかき分けて、一足早くクオウは男の元へと走る。
加えて手のひらに魔力を集中させ、場合によっては実力行使も厭わないと言外に示していた。
無論、カシャ、フゲン、着地したライルも足を止めない。
男が立ち止まったのはほんの僅かな間だったが、その隙を捕えて一行は彼を一気に追い詰める。
これだけ距離が縮まれば、攻撃も確保も圏内だ。
ライルたちは皆、いける、と思った。
「残念だったな」
にわかに男の影が揺らめく。
それまで少しも表情を変えなかった男が、うっすらと笑った。
「あれは――」
一番近くにいたカシャが異変に気付くが早いか、影が大きく膨らむ。
生き物のように蠢く影はあっと言う間に男の姿を包み、隠していった。
「『地図』は我らが貰い受ける。さらばだ、雷霆冒険団」
かと思えば影は男もろとも溶け崩れるように消える。
唖然とする一行と困惑する民衆を残し、男はまんまと逃げおおせたのであった。