66話 継ぎ、変わる
「では、お望み通り」
長く短い沈黙を経て、カアラは口を開く。
「エトラル公を継ぐ者として、あなたに裁きを与えます」
彼女はローズの背後に回り、ゆっくりと剣を振り上げた。
ローズは少し項垂れ、カダの方にちらと視線をやる。
止める者も、止められる者もいなかった。
カアラが剣を勢いよく振り下ろす。
風を切る音、次いでザクリという音が響いた。
そうして、ローズの赤い赤い――髪が、ぱらぱらと床に散った。
ローズはパッと顔を上げる。
何が起こったのかてんで理解できない様子で、後ろを振り返った。
短くなった彼女の髪が、軽く肩に触れて揺れる。
首を斬るのではないのか、お前は何をしているんだと、ローズの顔にはそう書いてあるようであった。
それはライルたちも同じで、皆やや安堵を覚えつつも困惑したふうである。
ただ1人、カアラだけが平静を保っていた。
「あなたは公国を乗っ取り、長年に渡って公国民を苦しめた。これは許されざることです」
彼女はローズの正面へと、ゆっくり歩いて戻る。
「けれど動機は理解できます。100年前の時点では、あなたは確かに被害者で、エトラル公と公国民は加害者だった」
「…………」
ローズはカアラの次の台詞を察し、故に黙った。
苦虫を嚙み潰したような表情だ。
「情状酌量です。命までは奪いません。ただし、これから言うことに従いなさい」
やはり、至極落ち着いた態度でカアラは言う。
葛藤など一切見えないくらい、ハッキリとした声と語調であった。
「ひとつ、この国から出て行くこと。今後一切、公国の門をくぐることを許しません。ひとつ、私たちに本名を教えること。もしまた何かしようというのなら、即座にあなたを処罰しに行きます」
ローズは静かに、しかし深く息を吐き出し、吸う。
「民衆共はそれで納得するのか?」
「してもらいます。全てを公表し、私が説明と説得をします」
数秒。
「……カダは、どうなる」
「あなたと同様、国外追放です」
十数秒。
「そっか」
絞り出されたローズの声は、まるで別人のように穏やかだった。
* * *
かくして、ローズ公国での戦いは反乱軍の勝利で幕を閉じた。
ローズとカダは北の塔に軟禁、国内が安定し正式に処罰の命が下るまで待たされることに。
カアラは戦いで傷付いた街の修復をひとまずの目標として指揮を執り、同時に法の修正、国外との関係の正常化、そしてエトラル公を継ぐ儀の準備などに奔走。
グラスとシタも積極的に街に出、人々と接すると共に建物の修理を手伝っていた。
無論ライルたちもあちらこちらで手を貸し、誰もが慌ただしくしている内に早くも7日が経とうとしていた。
「本当に何もいらないのですか?」
太陽が真上に昇る頃、休憩していたライルたちにディーヴァがそう問うた。
彼もまたカアラと共に膨大な作業に追われているのだが、此度の功労者に礼をするべく、欲しい物品等の希望を尋ねに来たのである。
しかしライルたちは顔を見合わせ、一様に「何も」と返した。
それでディーヴァがもう一度問うたわけだけれども、やはり彼らは「いらない」と言う。
「城とかで働いた分の賃金は貰ってるし、それで十分だ。な?」
「ああ」
「はい」
「ええ」
4人共、さも当然かのように口を揃えた。
「それよりもあの件、どうだ? 頼めそうか?」
その上さっさと別の話題に移るライルに、ディーヴァは苦笑する。
「承っていますよ。というか、ローズの仕舞い込んでいた資料を整理していたら偶然有力な情報が見つかりました。思わぬ幸運ですね」
「本当か!」
ライルたちは目を輝かせた。
「あの件」というのは、ユガの親戚探しである。
国の問題にひと段落が着いた今、彼らはここに来た本来の目的に向かって足を進めていた。
その一環として、ディーヴァに「勿論後回しで構わないから」と情報探索を依頼していたのだ。
「ユガさんは『青の魔女』の血縁者だと思われます。ここ数百年の魔女の中で、彼女だけが伴侶を持っていましたから」
「じゃ、他に親戚がいるかもしれないんだな?」
ニコニコと上機嫌にフゲンが訊く。
ディーヴァが頷くと、彼はさらに顔を明るくした。
「可能性はあります。それに『青の魔女』は死者の魂から人造人間を作っていたという記録もありました」
「使い魔とは別なの?」
「恐らくは。人造人間の寿命は不明ですが、長寿であるなら魔女亡き今もどこかで生きているかもしれません」
ともあれ、とディーヴァは続ける。
「関係者が居ようが居まいが、ユガさんが移住を希望するなら歓迎しますので、そこはご安心ください」
「ありがとう。恩に着るよ」
ライルはホッと胸を撫で下ろした。
と、そこへぱたぱたと軽やかな足音が聞えて来る。
「あっ、いたいた」
曲がり角から姿を現わしたのは、クオウだった。
彼女はライルたちを認めるや否や安堵の表情を浮かべる。
「休憩中に見つけられて良かったわ」
「どうした? 何かあったか?」
「あのね、ライルたちにお願いがあるのだけれど」
少々興奮した様子で、それでいてひと呼吸を置き、クオウは口を開いた。
「わたしも冒険団に入れてくれないかしら?」
弾んだ息もそのままに彼女は言う。
「わたしね、どうしても世界中を見て回りたいの。なんでかは自分でもわからないわ。でもそういう、凄く強い気持ちがずっと前からあるのよ」
ここに来るまでに余程色々考えていたのだろう。
堰を切ったように言葉が溢れ出した。
「今までは塔の中で、この国とローズ様を見ながらどうしたら良いのかわからずに、ずっと迷ったままでいたわ」
自分だけ逃げるのか、むりやり現状を壊すのか。
『機会を待つ』ことを選んだ後も、これで良いのかと考えるばかり。
ほとんど誰にも知られない場所で、クオウは独り悩み続けていた。
「でもライルたちが来て、カアラたちと共にローズ様に立ち向かった。わたし、世界が開けた気がしたの。『わたしが一歩踏み出すのは今だ』って思ったわ」
実のところ、クオウは反乱に勘付いた当初、これに加わるか否か決めかねていた。
自分で大きな行動をしたことも、それを評価されたことも無い彼女にとって、決断はとてつもなく難しいことだったのだ。
だが彼女は善意の旅人と、勇敢な叛逆者に心を動かされた。
クオウの背中を押したのは、反乱を起こした者たちの強い意志だったのである。
「それでもこれを言おうかどうか、まだ迷ってて……けどやっぱり言おう! って今朝決めて、休憩時間になったからすぐ走って来たの。だから、ええと、つまり……」
しどろもどろになりつつも、クオウは言葉を、できるだけ単純で純粋な言葉を紡ぐ。
「わたし、あなたたちと一緒に旅をしたいの。旅をするなら、あなたたちと一緒にした。良い、かしら?」
ライルたち4人はまた顔を見合わせた。
視線を通わせ、互いの考えが一致していることを確認し、そして。
「勿論!」
異口同音にそう答えた。
「やったあ! ありがとう、みんな! わたしきっと役に立つわ!」
クオウは幼い子どものようにぴょんぴょんと飛び跳ねる。
嬉しくてたまらない、という気持ちが溢れ出ているようだった。
「どうも、皆さんお揃いで」
そうしていると、今度はカアラがやって来た。
ライルたちにとっては見慣れたメイド服から、少し古びた礼服に衣が変わっている。
「お。その剣、持ってることにしたんだな」
フゲンがカアラの腰を指差す。
そこにはローズとの戦いで使った、あの剣が下げられていた。
「はい。これは歴代のエトラル公に受け継がれてきたものだそうなので」
つまり80年前には、城に来たローズに向けられたであろう剣だ。
ローズが剣を見て怒りを覚えたようだったのは、そういうことだったのだろうとカアラは推測していた。
「人の憎悪、偏見、怨恨……悲劇を引き起こした真の悪はそれらなのだと、私は考えています。……何としてでも、負の連鎖は終わらせなければなりません」
カアラは剣の柄をそっと撫でながら言う。
小さな声ながらも明朗に発話された言葉は、独り言のようでもあり、誰かに決意を表明しているようでもあった。
そんな彼女をじっと見つめ、ライルはしばし思案する。
今回の一件では、自分は戦闘以外ではさして役に立たなかった。
反乱を計画したのも、民衆をまとめ上げたのもカアラだ。
それは自分の実力不足と同時に、彼女の強さをも示唆する。
であるのなら。
「……頑張れよ、カアラ!」
ライルは笑顔でそう言った。
「はい、頑張ります」
カアラも、笑顔で頷いた。
「――私は公国と、民と、そしてこの剣に誓いましょう。この公国を生まれ変わらせる、悪を断ち斬る刃になると」