63話 決着、集う面々
「見て、あれ!」
長い通路を走る中、不意にグラスが窓の下を指差す。
つられてカシャとシタが外を見下ろすと、反乱軍と茨人形の大群、そしてグラスの硝子人形たちが戦っているのが視認できた。
しかし何やら様子がおかしい。
ぶつかり合い、拮抗しているはずの両軍の間に、少しずつ空間ができていく。
よくよく見るとそれは、茨人形が次々と朽ちて行っているがためのよう。
遠くで細部までは見えないが、人型だった茨がほどけて消えていくのは、グラスたちにも確かにわかった。
「カシャさん!」
ややくぐもった声に、カシャは視線を上げる。
と、窓の外で、竜態のモンシュがゆっくりと下降して来ていた。
「待って、いま開けるわ」
カシャは急いで窓を開き、両手を伸ばす。
「こっち来れる?」
「はい!」
モンシュはできる限り窓に身を寄せ、光と共に人間態に戻った。
宙に放り出された彼の体を、すかさずカシャが身を乗り出して受け止める。
彼女はそのままぐいと身を引き、モンシュを城の中へと引っ張り込んだ。
「ありがとうございます。それで、下、見ましたか? 茨人形がみんな消えましたよ! ライルさんたちが勝ったってことですよね?」
疲れと反比例して気分が高揚しているのか、自分の足で立つや否や、矢継ぎ早にモンシュは言う。
「ええ、きっと」
カシャは半ば彼を落ち着かせるように、いささか丁寧にそう発話した。
「でもまだ気は抜けないわ。早くライルたちのところに行きましょう」
「はい!」
力強く頷いたモンシュだったが、しかしすぐに首を傾げる。
「あれ? その方は……?」
彼の視線は、カシャたちの後ろに向けられていた。
* * *
静寂。
呼吸さえ忘れるほどの、静けさが室内を満たした。
「……終わりです、ローズ」
カアラがゆっくりと、口を開く。
手に持つ剣の切っ先はローズの喉元にひたりと当てられており、少し動かすだけで彼女の首を刎ねることができるだろう。
しかしカアラがそれをすることは無い。
もう茨を出せもせず、ただ膝をつくローズに対しては、暴力は無用の長物と化しつつあった。
「抵抗はやめなさい。あなたの魔力は底をついた。それは私とて同じですが……こちらにはまだ動けるライルさんとフゲンさんがいる」
カアラは弾む息を押し殺し、出来得る限り淡々と言う。
こちらが優位に立っているのだと言い聞かせるように。
「……ああ、そうだな……。認めよう、私の負けだ。煮るなり焼くなり、好きにしろ」
ローズは静かに答える。
その潔さをカアラは信用した、が。
「だが」
喉元の剣を引っ掴み、ローズは前のめりに立ち上がる。
伸ばした右手にはギラリと光る短剣。
まだ上手く力が入らない――すなわち、命中したところで大した傷を付けられない――にも関わらず、彼女はカアラの首を狙う。
「貴様だけは――!」
避けられる攻撃だと、カアラは直感的に理解していた。
けれどもなぜだかローズの瞳に、その奥に、目を逸らせない何かを感じた。
反応が遅れる。
それに気付いたフゲンが一歩、踏み出す。
僅かに遅れて、ライルもまた駆け出さんとする。
間に合う、はず。
一瞬にして空気が張り詰める。
――と、そこへ。
「ローズ様!」
大きな音を立てて扉が開き、1人の青年が飛び入った。
「カダ……!?」
意識外からの闖入に、ローズの動きが止まる。
その隙を見逃さず、ライルは彼女の短剣を弾き飛ばし、フゲンはカアラとの間に割って入った。
加えてライルが槍を突き出し、これ以上動くなと牽制する。
ローズの最後の抵抗は、ほんの数秒のうちに無に帰した。
「お前ら、ローズ様から離れろ!」
カダは声を荒げ、怒りの形相で走り出す。
手には簡素な剣があったが、明らかに持ち慣れていない。
重さの問題ではなく、剣の握り方を知らないようであった。
「ローズ様に酷いことするな! あっち行け!」
理解しているのか、していないのか。
いずれにせよ、カダ自身はそれを気にも留めず、猪突猛進に「敵」を排除せんと突っ込んで来る。
――勝てる、少なくとも負けはしない。
ライルと目を合わせ、彼の意思を汲み取ったフゲンが前に出る。
だが両者が接触する前に、ローズが声を上げた。
「貴様、何をしに来た!! 私の言い付けを忘れたのか!?」
空気が震えるほどの怒号。
カダはびくりと肩を震わせ、立ち止まる。
「ご、ごめんローズ様、でも」
「うるさい! 言うことを聞かない奴は嫌いだ! さっさと出て行け、私の言った通りにしろ!!」
その気迫に、隣に立つライルは肌がひりつくのを感じた。
ライルは息を呑む。
彼女の心の底にある、怒り以上の感情がちらちらと見え隠れするのがわかった。
「や……やだ! だって、だってローズ様が……俺、ローズ様を助けるよ!」
カダはなおも食い下がる。
「っもう、いいから」
俯き、ローズは呻いた。
言葉の合間に挟まる吐息が震える。
「黙れ!!」
上擦った声で彼女は叫ぶ。
途端に、カダは糸の切れた人形のように力を失い、するりとその場に膝をつき、何の抵抗もなく倒れた。
「な、何……?」
状況、というよりローズとカダの間にあるものを理解できず、カアラは困惑する。
フゲンもまた、訝しげな表情で倒れたカダとローズを交互に見た。
一方でライルは、何かを察したふうに眉をひそめる。
「ローズ……なあ、やっぱりお前は……」
しかし続く言葉が零れる前に、北側の壁が轟音と共に破壊される。
「3人とも、大丈夫!?」
もうもうと立ち込める土煙を振り払い、複数の人影が現れた。
カシャ、モンシュ、グラス、シタ。
ライルはその影をひとつずつ認識していく。
仲間たちがちゃんと揃っていることに安堵し、次いで視界に入った5人目に驚き、目を見開いた。
「クオウ!」
「ちょこっとぶりね、ライル」
少し照れくさそうに笑い、クオウは数日振りに会った友人に手を振る。
「無事で良かった……けど、なんでここに?」
「ここに来る途中に偶然会ったのよ」
ね、と彼女はカシャたちに言った。
今までどこに、とか、あの後何が、とかいった疑問は一度置いておき、ライルは「そうか」と返す。
思いがけず友人と再会できた、それだけでひとまずは満足だった。
「やはり貴様か」
と、和やかな雰囲気にローズが水を差す。
先ほどの激情は鳴りを潜め、彼女の表情は何度も見たあの『赤の魔女』に戻っていた。
「どうやって塔から出た。私の魔法を、どうやって解除した」
「解いてはいないわ。むりやり壊したの」
「……魔法をか」
「ええ」
一拍置いて、ローズは大きく溜め息を吐く。
「ああ……本当に、全て水の泡だな。あんなに準備したものが、何一つ上手くいかなかった」
誰にともなく投げやりに言い放ち、彼女は口を閉じた。
「ねえローズ様、わたし、この国の記録を見たわ」
しばしの沈黙を置き、今度はクオウが話を切り出す。
その手には1冊の、古びて汚れた書物があった。
「私の部屋に忍び入ったのか。趣味の悪い」
「ごめんなさい……部屋に入ったのはわざとじゃないわ。でも見つけてしまったから、もう見ない振りはできなかったの」
ぎこちなく言葉を連ねるクオウに、ローズは面白くなさそうに鼻を鳴らす。
「下手な言い訳など、しない方がマシだな。それより、さあ、話すなら早く話せばいいだろう。それとも何か? この娘に気を遣っているのか?」
言って、彼女が視線を向けたのはカアラだった。
カアラは事情が読めないながらも、ローズの言い草を遠まわしな挑発と受け取る。
「遠慮などは不要です。クオウ、あなたが知ったことを教えてください」
上等だ、と彼女は思った。
お前が何を考えていようが私はそれを超えてやる、と、そういう気概であった。
「わかった。なら、全部話すわ。80年……それよりももっと前に、この国で何があったかを」
目を閉じ、目にした記録を脳裏に蘇らせながら、クオウは語り始める。
「ローズ様が生まれたのは110年前のこと。その時のエトラル公国では――魔女は迫害対象だったの」