61話 呼応するもの
ローズの視線はライルとフゲンに向いていた。
「どういうこと?」
カアラは聞き返す。
心底、わけがわからなかった。
ライルとフゲンの実力は常人のそれを超えている。
それは火を見るよりも明らかで、だからこそカアラは2人をここまで同行させたのだ。
だのにその判断が誤りだったなどと、いったいこの女は何を言い出すのか。
「まあ貴様にはわからないか。だが本人は知っているはずだぞ? 特に、なあ、ライル」
薄く笑い、ローズはライルを見下ろす。
「…………」
ライルは口を開くことなく、ただじっと彼女の瞳を見つめた。
それは単に反論できず観念しているというより、どうにか心の内、否、底を見透かそうとしているようだった。
「言えないか? くく、そうだろうな。私は既に貴様の素性を見破った。だから知っている……万が一にも、貴様は私に勝てない」
だがそんなライルの秘めたる目論見には気付かず、ローズは勝ち誇ったように言い放つ。
実際、彼女はこの計り知れない青年に勝っていた。
「ライルさん、聞く耳を持つ必要はありません! 奴は舌先三寸で士気を下げようとしているだけです!」
「そーだぜ! オレはあんな奴よりも、お前のことをバッチリ信じてるからな!」
動かぬ体で必死にカアラが訴えかけ、フゲンもそれに同調する。
力で劣ろうとも結束と精神の面では一歩も退かないぞ、と2人は抵抗していた。
「随分な言われようだな。それにフゲン、だったか。貴様も同じだ」
所詮は負け犬の遠吠えと取ったのか、ローズは軽く鼻で笑うと次なる矛先をフゲンに向ける。
「あ?」
顔をしかめる彼に、まるでいたずらをする子どものようにローズは言った。
「貴様の怪力には恐れ入る。が、その拳は迷いにまみれていてまるで役に立っていない」
「迷、い」
「否、迷いというより恐怖か。何をも恐れぬような顔をして、何かを酷く恐れているな?」
フゲンはここに来て初めて、自分の心臓が撥ねるのを感じた。
図星、である。
彼の脳裏に、あの記憶が再び蘇った。
魔人族の友人を意図せず傷付けてしまった時の記憶。
手に残る感触、耳に残る悲鳴。
そして底なしの恐怖。
ローズに何か言い返そうと開いた口から漏れたのは、ひゅ、という空気の音だけだった。
「そのような弱弱しい拳で私に勝てるはずも無い。貴様は私に挑むべきではなかったのだ」
連なって引き出されるように、また別の記憶も思い出される。
カラバン公国で交戦した茶髪の軍人に言われた言葉、そして返した言葉。
あの時、フゲンは「新しい目標ができた」と、何でもないことのように言った。
――あの言葉に偽りは無かった。
だが同時に浮かべた表情、そしてその態度は虚勢であったのだ。
魔人族とも戦えるようになりたい。
けれども今だ、心に刻まれた恐怖は消えていない。
故に、フゲンはローズに何も言い返すことができなかった。
「黙りなさい、ローズ!」
フゲンの様子がおかしいことに気付くや否や、カアラはまた吼える。
「これ以上、2人を愚弄するのは許しません!」
精神的にも引けを取れない、というのもそうだったが、何より善き協力者を好き放題言われるのが、彼女には我慢ならなかった。
しかしそんなカアラを、ローズは冷めた目で一瞥する。
「許さなかったら何だ? その安っぽい怒りで私に打ち勝てるのか?」
彼女は玉座から立ち上がり、ゆっくりと歩き出した。
カツ、カツ、とヒールが硬い床を叩く音が響く。
「貴様らには何もかもが足りない。力も、覚悟も、怒りでさえも」
ライルはなおも、彼女から目を離さない。
懸命に、ひたすらに、眼前の恐ろしき魔女を見つめる。
人間。
魔女も、人間だ。
瞼を持ち上げる力さえも無くなっていく中、ライルはそう頭の中で反芻しながら、視線だけでローズに食らいついた。
仲間と共に歩んで来た自分なら、多くの人間と関わって来た今の自分なら、「わかる」はずだと。
「お喋りにももう飽きた。そろそろ終わりにしよう」
やがてローズはカアラの目の前で立ち止まった。
「終末式魔法戦闘術《処刑の鋏》」
彼女が右手を宙にかざすと、そこに茨が集まり始める。
束になり、ねじれて絡み合い、茨は大きな鋏を形作った。
ローズがこれで何を為そうとしているのか、などと疑問を持つまでもない。
けれどもカアラは、ライルは、フゲンは、這いつくばっていることしかできないのだ。
「私の勝ちだ。ああ、全て全て、上手く行った。これで私の苦労は報われる。嬉しいものだ」
「…………」
もはや声を出す力さえ無くなり、カアラははくはくと唇を震わせる。
彼女の心は、未だに少しも負けていない。
負けていないが、この状況下ではもうどうすることもできなかった。
「さらばだ、忌まわしき王の子孫」
茨でできた鋏が開き、刃の部分がカアラの首筋に当てられる。
棘のひとつが皮をぷつりと破り、赤い血がひとすじ流れ落ちた。
カアラは最後の気力を振り絞ってローズを睨む。
例え死んでもお前を倒すと、呪いじみた思いを込めて。
遂に鋏が閉じ始める。
それを止められる者はおらず、公国民の希望の象徴はあえなくその首を落とされる……かと思われた、その時。
「……何?」
茨の鋏が、消失した。
枯れ落ちるでもない。
焼け散るでもない。
文字通り跡形も無く、忽然と、カアラに迫っていた凶刃が消え去った。
ローズのみならず、ライルたちまでもが動揺する。
唐突にして奇妙と言わざるを得ない事態に、場の誰もが混乱した。
と、そうこうしている間にまたもローズの茨に変化が起きる。
部屋中に張り巡らされていた茨が、次々と消滅し始めたのだ。
やはり枯れるでも焼けるでもなく、根元からきれいさっぱり、無くなっていく。
「どう、なっている。これは何だ? 何が起きた?」
ローズは慌てふためき、辺りを見回した。
けれども不審な人物はおらず、魔道具も魔法陣も見当たらない。
「まさか」
サッと彼女の顔が青ざめる。
彼女の頭に、「考え得る中で最悪の事態」が思い浮かんでいた。
そんなはずはない、「それ」はもう起きないはずだった、とローズは必死に考える。
計画はほとんど完璧だったはず。
邪魔者は排した、愚者は手の平の上だった。
なのになぜ、どうして、こんなことに。
「なんだかよくわかんねえけど、やったな。九死に一生って感じだ!」
溌溂としたライルの声に、ローズの意識は現実に引き戻される。
《悪夢の園》の茨が消失したということは、3人の動きを封じる力が失われたということ。
ライルたちは己の足で、ローズの前にしかと立っていた。
「まだ魔力も体力も全快とはいきませんが、体が動くなら十分です」
手の平の上に小さく炎を灯し、カアラは言う。
「おのれ……!」
ローズは再び《悪夢の園》を発動せんと、手を伸ばした。
が、茨を出せはするものの《悪夢の園》としての力が出ない。
状況が悪化してきていることを嫌でも理解してしまい、ローズに焦りばかりが募っていく。
どんどん余裕を失っていく彼女に追い打ちをかけるように、今度はカアラの前に魔法陣が出現した。
誰が何を言うより早く、その魔法陣から一振りの剣が姿を現わす。
「…………!」
引き寄せられるように、カアラは剣を手に取る。
上品な装飾が施されたその剣は、不思議と彼女の手に馴染んだ。
「この剣……とても、とても強い魔力を帯びています。それも炎魔法由来の……」
カアラは軽く剣を振る。
剣は呼応するように、淡い光を放った。
溢れんばかりの魔力に、彼女は理解する。
この剣は、誰かが強い意志で以て自分に届けてくれたものなのだと。
カアラは深呼吸をし、力いっぱい剣の柄を握りしめた。
「ライルさん、フゲンさん、今一度お力を貸してください。今度こそ、ローズに勝ちます!」