57話 天を舞う竜
「戦闘が不得手な者は後方、あるいは己が家で幼子らを守っていてください。腕に覚えのある者は城の周辺を固めて。城内への突入は少数精鋭で行います!」
引き続きカアラが民衆にそう伝えると、ほどなく人の群れが二分され始めた。
一方は市街地に留まり、一方は彼女らと共に城へ進み続ける。
万を超える人間たちが、皆一様に、カアラの声に従っていた。
「凄いわね」
カアラと共に先頭を行くライルの隣に、カシャが降り立つ。
どうやら屋根の上を移動してやって来たらしい。
「お、カシャ。おかえり」
「ただいま」
2人はこつんと拳を合わせた。
「カシャさん、どうでしたか?」
「ちゃんとみんな指示に従ってるわ。パニックも起きてない」
「それはよかった。ありがとうございます」
カシャの報告を受け、カアラは胸を撫で下ろす。
そう、彼女の持つ魔道具では声を届けることはできても、相手の反応や様子を窺うことはできない。
状況を把握するには、どうしても高所から見渡したり、誰か……今回であればカシャに直接見に行ってもらう必要があったのだ。
「グラスの声も届いてたわよ。みんな最初は不審がってたけど、今はあなたを信じようって空気になってる」
頑張ったわね、と微笑むと、グラスはぷいとそっぽを向いた。
「別に、あれくらい簡単よ。私が本気出したら人前で喋るくらい、どうってことないんだから」
「御主人、かっこつけちゃってー。めちゃくちゃ震えてましたよねえ?」
「もう! シタは黙ってて!」
グラスはシタの肩をぽこぽこと叩く。
良い意味で、いつも通りのやり取りだ。
「! 来ました」
カアラの声に一同が視線を前に戻すと、城門や城壁の向こうから何かがぞろぞろと出てきているのが見えた。
概ね人型をしたそれらは、しかし人間とは全く違い、茨で以て体が構成されている。
「あれは……茨の人形? ってことはローズの使い魔か」
事前にカアラから教えられた情報――「ローズは茨を操る魔女である」――を思い返し、ライルは呟いた。
「何体いるんだあれ」
「奴の魔力量からして、100はくだらないでしょうね。本人と比べれば雑兵ですが、油断してかかれる相手でもありません」
カアラは努めて冷静にそう返す。
大丈夫、これも想定内だと心を落ち着かせながら。
そうしてまた魔道具を手にとり、民へ呼びかける。
「ついてきてくださっている皆さん、戦闘準備をお願いします! 私が直に声をかける者以外は城を囲みつつ、使い魔の排除を!」
言い終えるや否や、民衆の雄たけびが返って来る。
既に彼らの心は皆カアラに寄せられていた。
大衆に熱を与え、伝播させ、まとめて手綱を握る。
カアラの立ち振る舞いは見事なまでに、先導者のそれであった。
「というわけで、皆さんと私で城内に突入します。あと1人突入を手伝ってもらう方がいますが、彼は中で合流する予定です」
「わかった。モンシュはどこに……」
とライルが言いかけた直後、背中のモンシュがもそりと動く。
「ん……あっ!」
彼はうっすらと目を開け、意識を浮上させると、バッと勢いよく身を起こした。
「ごめんなさい、僕寝ちゃって……! 今の状況は!?」
「今から城に突入するとこだ。ローズの使い魔群を突破して中に入る。接敵まであとちょっと」
「わかりました!」
ライルの言葉を呑み込み、モンシュは彼の背中から降りる。
「呑気に休んでしまってすみません。僕もお役に立ちます」
「いや、無理しなくて大丈夫だぞ? もう十分よくやってくれたんだし、こっからは戦闘になる」
「でも……」
言いかけて、けれども反論を思い付かずに彼は押し黙った。
まだ何か役に立ちたいが、戦闘がからっきしなのは否定しようがない。
「接敵します! 皆さん、準備を」
そうこうしている間に、カアラが声をかける。
見ると茨人形の大群が目前まで迫って来ていた。
「ライルさんたちは体力をできるだけ温存してください。一点突破で前に進みます」
「おうよ!」
各々得物を構えるライルたち。
彼らはごく自然に、モンシュを守るように前に出る。
と、その時。
「……あ」
ふと、モンシュは思い出した。
いつだったか、平和な故郷に盗賊が現れた時のこと。
襲われそうになった自分を守ってくれた軍人の、大きな背中。
そして……その後、竜態に変身した彼女が見せた技。
「あ、あのっ!」
ライルたちの背とあの軍人の背が重なり、遠い遠い、幼い日の記憶が蘇る。
「僕、道を開けます!」
「えっ?」
思わずライルは振り返った。
一度、前に視線を戻すと、既にフゲンたちが戦闘を始めていた。
やはりこうして見ても、敵の数は多い。
あのフゲンでさえ捌ききれていない。
この道を開く? どうやって?
反射的に懐疑の言葉が出そうになる。
だがしかし、もう一度モンシュの方を向いた彼がその言葉を口にすることは無かった。
なぜなら、モンシュのその瞳が、その眼差しが、迷い無き自信に満ちていたから。
「……任せた!」
激励の意を乗せて、彼は言う。
他でもないモンシュ自身が己を信じているのだ。
仲間たる自分が信じない理由は無いだろうと、ライルはそう思ったのである。
「はい! やってみせます!」
モンシュは言うや否や、竜態に変じた。
そのまま翼を羽ばたかせ、高く飛び上がる。
「皆さん、下がってください!」
声を張った警告は地上に届き、すぐさまフゲンたちが後退するのが見えた。
深呼吸をひとつ、モンシュは使い魔たちを見下ろす。
ゆっくりと羽ばたきながら、翼の感覚に集中を注いだ。
脳裏に浮かぶは、あの美しい軍人の姿。
微かな記憶を手繰り寄せ、彼女の動きを真似る。
そうだ。
彼女は確か、こう言っていた。
「天竜戦闘術――《風呼びの舞》!」
モンシュは力強く翼を羽ばたかせる。
途端に風が巻き起り、地上を吹き荒らした。
突風、と表現して差し支えない威力。
だが自然界のそれとは違い、風は茨人形のみを選んで攫って行く。
軽々と巻き上げられた使い魔たちは成すすべなく、もみくちゃにされている間に耐久が尽きて消滅した。
敵には鋭い強風を、味方には柔らかなそよ風を。
これこそが、あの日の軍人が盗賊を撃退した技であった。
城門の正面に群がっていた茨人形をあらかた始末し終え、モンシュは地上に降りて人間態に戻る。
直後、慣れない体の使い方をしたせいか、どっと疲れが襲ってきた。
「モンシュ!」
そんな彼の元に、ライルたちが駆け寄って来る。
モンシュが何か返答する前に、フゲンが彼を抱き上げた。
「スゲーじゃねえか! スゲーよ、お前!」
くるくるとその場で回り、いささか貧相な語彙で彼を褒め称える。
「おい馬鹿振り回すな! いったん下ろせ!」
フゲンの奔放な感情表現を、ライルは慌てて制する。
「ったく……。でもモンシュ、マジで凄かったぞ。竜態だとあんなこともできるんだな」
「えへへ、ありがとうございます」
地面に下ろしてもらったモンシュは、少々目を回しながら微笑んだ。
褒められたのも勿論だが、何より自分にまだ新たな可能性があったと知れたのが嬉しかった。
「僕はここで使い魔を倒していますから、ライルさんたちはどうか、後ろを気にせず行ってください」
モンシュはライルたちの背中を押す。
その声の奥には、確固たる意志が宿っていた。