56話 正統な叛逆者
クオウの一件によりカアラが決起を決意した後、フゲンとカシャが『設置』していたもの。
それは音、ひいては人の声を離れた場所まで届けるための魔道具だった。
仕組みは単純だ。
『甲』の魔道具が受け取った音が、『乙』の魔道具から発せられる。
フゲンたちは『乙』の魔道具を国中に設置し、カアラの声をできるだけ多くの者に聞こえるようにしたのだ。
「我々はこれより、悪しき魔女ローズに反旗を翻します」
『甲』の魔道具を手にして屋根の上で堂々と告げるカアラに、民衆はざわつく。
不敬不遜を通り越した叛逆の言葉。
それを高らかに言い放ったのだから、動揺も当然だ。
「重い税、理不尽な法、身勝手な圧制。皆様を苦しめて来たそれらを、今、この日! 我々の手で打ち砕くのです!」
ざわめきは国中に広がる。
混乱、猜疑、忌避、様々な視線がカアラに注がれる。
だが彼女は怯むことなく、言葉を紡ぐ。
「皆様の中にはこう心配する者もいるでしょう。ローズを打ち倒した後はどうする? 80年前にエトラル公もその一族もみな殺された。そんな主無き国を誰が統治するのか?」
尤もな問いだ。
しかしだからこそ、その「答え」は効果を発揮する。
「ですが、その心配は無用です。なぜなら……世継ぎはここにいるのですから」
息を吸い、彼女はひときわ大きな声で言った。
「私の名はカアラ! 先代エトラル公の曽孫――カアラ・マハラです!」
シン、と一瞬、辺りが静まり返る。
それからぽつぽつと、「まさか」「本当に?」という言葉が湧き始めた。
城でカアラと接していたメイドたちも、信じられないものを見る目で彼女を見上げている。
「ローズの虐殺は完璧ではなかった。80年前のあの日、襲撃される城から逃げおおせる者がいました。赤子であった私の祖父を抱えた、1人の従者です」
さながら語り部のごとく、彼女は話す。
ひた隠しにしていた真実を、ここぞとばかりに民衆へとさらけ出す。
「彼は市民に溶け込み、隠れて祖父を育てました。必ず国を奪還する好機が訪れると信じて。祖父の代に好機は訪れませんでした。彼の娘、すなわち私の母も好機を見ることなく病で世を去りました」
民衆は耳を傾けていた。
いつの間にか、口を閉じ、ただ一心に。
あまりに非現実的な状況と、にわかには信じがたい事実に、彼らは浮かされ始めていた。
「しかし今! 好機は訪れました! 先日この国にやってきた旅の一団。彼らが攻勢に転じる鍵となってくれたのです」
突然話に出されたことで我に返り、ライルとフゲンは少々肩を跳ねさせる。
呆けていたわけでは無いが、彼らもまたカアラの生み出す熱に巻かれつつあったのだ。
だがカアラからの指示は「立っていてくれるだけで良い」であったため、2人は姿勢を正すだけして引き続き沈黙に徹する。
「彼らは勇気と正しい心を以て行動し、そして心強い味方を増やしてもくれました。その味方の名は『白の魔女』、グラスです!」
カアラが言うと同時に、柔らかな風と連れ立ってグラスが屋根の上に姿を現わした。
彼女もまたカアラの指示により付近で待機しており、合図と共に風魔法で上がって来たのだ。
グラスはポニーテールを揺らし、着慣れた服を纏っている。
隣にはシタもおり、いつもと何ら変わりない様子だが、その表情はいささか硬い。
「彼女のことをよく思わない者もいるでしょう。貢ぎ物で楽な暮らしをしている魔女だと。しかしそれは間違いです」
ひと息おいて、カアラはグラスに目配せをする。
グラスはこくりと頷いて、彼女から魔道具を受け取った。
「……私にはあなたたちの苦しみがわからない。でも私は、あなたたちの……家族がいる人たちの幸せも、知らない」
少女は静かに話し出す。
震えを隠せない声で、けれどもひと言ひと言を、確実に。
「私は魔女法のせいで、親の顔を見たことがない。友だちもついこの間まで、1人もいなかった。あなたたちが私を嫌いなのだけは知ってたから、ずっと森に引きこもってた」
脳裏に浮かぶは数多の記憶。
ローズに屋敷へと連れて来られた日のこと。
周囲に誰もおらず、物だけが届く日々のこと。
貢ぎ物を持って来る人間の目に満ちた、色濃い嫌悪に気付いた日のこと。
寂しさに耐えかねて、使い魔シタを造った日のこと。
誰も信じられなくなり、全てを拒み続けた日々のこと。
何もかもが辛いわけではなかったが、何もかもに棘のような苦しみがついてまわっていた。
しかしグラスはその苦しみを過去にするため、今ここに立っている。
「あなたたちは私を信じられないかもしれない。正直、私もあなたたちのことはまだ好きじゃない。けど……誰に何て言われても、私はカアラたちに協力する。今のこの国を、この生活を変えたいから」
最後の一言を言い終えると、彼女は魔道具をカアラに返した。
『白の魔女』とエトラル公の末裔は視線を交わらせ、互いを讃えるように少し口元を緩める。
「私たちからお伝えすることは以上です。この後、我々は一斉にローズの元へと突撃します。皆様はこの勝利を祈っていてくだされば十分です」
そうしてカアラは、また民衆へと呼びかけた。
「ですが……もし皆様の中に、立ち上がる意志のある者がいるならば。現状を打破する一矢にならんとする者がいるならば」
ぴり、と空気が鋭く振動する。
「どうか私たちと共に、戦っていただきたい!」
波紋。
そう表現するのが適切だろう。
カアラの力強い言葉に、民衆は徐々に反応を示しだした。
隣にいる者と意思を問い合う者、自らの胸に手を当てて考える者、囚われたようにカアラに熱視線を送る者。
揺さぶられた彼らの心は反響し、共鳴し、やがてそれらは大きな声となって渦を巻き始めた。
「私も戦う!」
「俺も!」
「悪いのはローズだ!」
「ローズを打ち倒すんだ!」
「自分たちも戦います!」
「カアラ様! カアラ・マハラ様!」
辺りから、否、国中から決起の声が聞えて来る。
熱狂する民衆に、カアラは固唾を呑み込んだ。
ここまではすべて作戦の通り。
民衆の扇動は成功し、あとはローズを倒すだけ。
だがしかし翻って言えば、これでもう後戻りはできなくなった。
勝てばそれで良し、負ければ民衆もろとも鏖殺されるかもしれない。
自分は守るべき公国民を巻き込んだ。
彼らを今から国のために戦わせる。
その事実を、カアラは自らの胸にしかと刻み込んだ。
「さあ行きましょう、あの城へ! 悪を断ち切るために!」
号令がかかる。
賽が投げられる。
1人の年若いメイドは、正統な叛逆者へと姿を変えた。