52話 芽
ほどなく昼休みに入り、ライルとモンシュが向かったのは数ある備品管理室のひとつ。
城の北側端にあるこの部屋には入れ替え頻度の低い備品の予備が収められており、休憩時間ともなると近付く者は皆無に等しい。
それは今日も例外ではなく、薄暗く人気の無い通路に響くのはライルたち2人の足音のみだ。
部屋の前まで来ると、ライルはノックをすることも無く扉を開ける。
室内はいくつか棚が並び、そこに箱やら何やらが置かれているだけで、実に味気ない。
灯りがついていないこともあって、耳鳴りがしそうなほど静かに感じられる。
だがここがほどなく「静か」とはかけ離れた空間になることを、ライルたちは知っていた。
「クオウさん、来ましたよ」
モンシュが扉を閉め、小さくそう呼びかければ、「待ってたわ!」と嬉しそうな声が棚の後ろから聞こえて来る。
2人は迷いなく、入り口側から数えて3番目の棚へと足を進めた。
3番目の棚の裏、すなわち4番目の棚との間。
そこにはクオウが、何を敷くこともせず床に座っていた。
「さ、どうぞ」
彼女は座ったまま少し奥にずれ、ライルたちもその場に座るよう促す。
棚と棚の間はそう広くなく、ライルとモンシュは互いにぶつからないよう注意しつつ、なんとか腰を下ろした。
「今日はどんなお話? 『フゲン』たちと出会う前のこと? 出会ってからのこと?」
「相変わらずせっかちだな」
ライルが苦笑すると、クオウはむっと頬を膨らませる。
「仕方ないでしょう。時間は有限だもの。早くお話してくれなきゃ、城のみんなに『ライルお姉ちゃん』と『妹のモンシュちゃん』の正体をバラして……」
「わかったわかった」
脅し文句を遮り、ライルは両手を上げて降参のポーズを取った。
クオウはそれを見て、満足そうでありながらも少し申し訳なさそうに笑う。
現状、ライルたちはどうやってもクオウに逆らえない。
なぜなら彼女は2人の秘密を知っているからである。
彼女と出会ったその日その時、ライルとモンシュは自分たちが女性でないことをクオウに見抜かれた。
おおまかな流れはこうだ。
クオウがライルは男性ではないかと疑う。
ライルは入城検査所で用いた手口で以て難を逃れようとする。
が、その手口というのが「魔法で部分的に体を変化させること」であり、クオウに魔法の発動を感知される。
そして芋づる式にモンシュも男だとバレる。
こうして見事に弱みを握られた2人は、クオウのお願いを断れなくなったのだ。
尤も、クオウの「お願い」は先に述べたようにごく可愛らしいものであり、ライルたちもまんざらでない。
時おり口にする脅し文句も、形だけのものである。
「モンシュが仲間になった時の話はもうしたし、フゲンと会った時のもしたな」
気を取り直して、ライルはどの話をするか考え始める。
その言葉、ひいては今まで話してきた内容に件の「設定」は適用されていない。
一番重大な秘密が知れた以上、もう隠すことと言えばカアラとの反乱計画だけだ。
「遺跡の話がまだじゃないですか? あの、執行団の人と戦ったっていう……」
「ああ、そうだったな。じゃ、今日はそれにしよう」
モンシュの助言に頷き、彼は咳払いをひとつする。
「知っての通り、俺たちは『箱庭』を目指してた」
「うんうん」
クオウは目を輝かせ、手を前について身を乗り出した。
彼女の魔法によりローズの監視を阻んでいるこの室内だが、その仕草は内緒話をする子どものそれにそっくりだ。
「それで『箱庭』への手がかりを求めて向かったのが、とある遺跡だ」
「へえ! どこの遺跡?」
「カラバン公国っていう国だ。そこは敬虔な信徒が多くてな、遺跡も厳重な警備が敷かれてたんだ。無論、俺たちみたいな冒険者は入る許可なんて貰えない」
「ええっ! じゃあどうやって? あっ、待って、いま予想してみるわ!」
クオウは至極楽しそうに、またくるくると表情を変えて、ライルの話を聞く。
無邪気なその様子を見ながら、ライルとモンシュは顔を見合わせくすりと笑った。
彼女を反乱に巻き込むか否か、判断するのは早計だ。
だがきっと敵にはならないだろうと、2人は確信を持っていた。
* * *
ライルたちが談笑をしている時分、ところ変わり北の塔の最上階にて魔女・ローズは静かに佇んでいた。
狭くはないが広くもない、殺風景ではないが賑やかでもない、円状の部屋。
しかしながら、部屋の主は不在だ。
外界と遮断されたかのように音の無い空間に、ローズの呼吸音だけがかすかに響く。
規則正しく空気を揺らすそれは、隠しきれない苛立ちを孕んでいた。
「どこに行った、クオウ……。私の許可も無く……」
やがてローズはそう呟くと、綺麗に整頓された本棚に歩み寄る。
それから苛立ちを静めるように深く息を吐き、友の仇を見るような目で書物の背表紙を順に追い始めた。
「あいつには何もできない。何もできるはずがない。そういうふうに育てたのだ。育てたはずなのだ」
目に映るのが己の与えた書物だけであることを、粛々と確かめる。
そこに如何なる異物も混ざっていないことを、どんな関所の役人よりも厳しく見極める。
いつの間にかローズの苛立ちの中には、焦りが生まれていた。
彼女は自分に似つかわしくないそれを消すために、証拠がない証拠を求めて視線を動かし続ける。
「無力な国民共にも、『白の魔女』にも、貴様にも、私の幸福は壊させない。ここで邪魔が入れば数十年の努力が無駄になる。そんなことは断じて許さない」
ほどなく彼女はどこにも異状が無いことを確認し終え、また息を吐いた。
「杞憂か……。しかし芽は既に出ているに相違ない。早急に摘んでおくべきだな」
忌々しげにそう言い放ったのを最後に、ローズは場を後にする。
主が抜け出し、来訪者も去り、再び無人となった部屋には、魔力のひとかけらも残されてはいなかった。