49話 睨み合い
「あ、入っていいみたいです。良かったですねえ」
行きましょう、とシタは歩き出す。
もう硝子壁で拒絶されることもなく、2人は彼女の後について、開け放たれた扉の中へと入って行った。
全員が屋敷内に入ると、またひとりでに玄関扉が閉まる。
続いてそこらに備え付けられた照明器具に火が灯り、玄関ホール内を明るく照らし出した。
「御主人ー、降りて来てくださーい」
シタは口元に手を添え、声を張って主人を呼ぶ。
彼女の呑気な声が、広くがらんとしたホールに響いた。
ややあって、階段の上に見える大きな扉が開く。
そこからのそりと姿を現わしたのは、シタと同じ髪色をした少女だった。
彼女はいかにも嫌そうに眉をひそめながら、ゆっくりと階段を降りて来る。
高い位置で括られた長い髪が1段降りるたびに、ゆらり、ゆらりと揺れた。
「……初めまして」
長い階段を降り切った少女は、フゲンたちの前まで歩み寄ってぼそりと呟くように言う。
少女の背丈はカシャよりも低く、顔にも幼さが残っていた。
服装は農民の作業着のようなシャツにオーバーオールと、意外にも素朴だ。
だがその目は疑心と警戒心に満ちており、隙を見せまいとするがごとくカシャたちを見据えている。
「私はグラス。硝子を操る『白の魔女』、そしてシタの主人」
微塵も頭を下げることなく、若き魔女は名乗った。
一方、シタはそんな彼女とは対照的にニコニコと笑顔を浮かべつつ、主人の隣へとさりげなく移動する。
カシャは姿勢を正し、深々と頭を垂れた。
「お初にお目にかかります、魔女様。お屋敷に入れてくれてありがとうございます」
「やめて」
半ば被せるように言われ、カシャは思わず顔を上げる。
「敬語、やめて」
見るとグラスが眉間の皺を深くして口をへの字に曲げていた。
言葉の内容こそ、先ほどシタが言ったことと同じだが、グラスのそれには明確な嫌悪感が見える。
相手が相手なら、言い争いに発展してしまいかねない言い方だ。
それを察知したのだろう、シタはグラスとカシャの間に割り込んでゆるゆると手を振る。
「おっと誤解を招く発言。御主人は意識して敬語を使われるのが嫌なんですよお。証拠にほら、わたしは元から誰にでも敬語、つまり自然体なので御主人も嫌がりません。ねー?」
「…………」
グラスはシタに応えることはしないが、特に不愉快そうな顔もしない。
シタの敬語は気にしていない、というのは本当のようだった。
「わかったわ、じゃあ改めて。初めまして魔女さん。私はカシャ、見ての通り有角族よ」
「知ってる。シタを通してずっと見てたし聞いてた」
カシャが敬語をやめてもなお、グラスの態度は素っ気ないまま。
とは言えそんなことでいちいち腹を立てていては、事が進まない。
「ならオレのことも知ってるんだな」
続いてフゲンが会話に参入しようとすると。
「うるさい」
「あ?」
これまでで一番くらいのとげとげしさを以て、グラスはそう吐き捨てた。
「図に乗らないで。私はカシャの訴えに免じて中に入れてあげただけ。野蛮で暴力的なあなたのことは、ちっとも認めてない」
フゲンは明らかに頭に来た様子で口を開きかけたが、すぐにぐっと閉じる。
それは極めて意識的な動きで、彼が何らかの思考を経て「黙る」ことを選んだのは火を見るよりも明らかだった。
他方グラスは彼が言い返さないのをいいことに、次々と言葉を連ねる。
「あれだけ硝子壁を張って拒絶したのに、全部割るなんて有り得ない。神経を疑うわ。私は魔女よ、この国で2番目に偉い存在なの。そんな私に無礼をはたらくなんて、あなた命が惜しくないの?」
絶え間なく飛び出す嫌味な台詞にも、やはりフゲンは対抗しない。
対抗したいという意思があるのに、である。
元から争う気が無い場合ならまだしも、これはあまりにも彼らしくない反応だ。
カシャは訝しみ、沈黙を貫くフゲンと言葉を紡ぎ続けるグラスの様子を1歩引いて眺めてみる。
「…………!」
少しして、はたとカシャは気付いた……というより、思い付いた。
「ねえ、グラス」
脳裏に浮かぶのは出会った当初のユガ、そしてかつての自分。
もしかしたら、という考えが頭を巡る。
カシャはそっとグラスに近寄り、努めて柔らかい口調で言った。
「もう一度言うけれど、私たちはあなたに危害を加えないわ。暴力はもちろん、あなたの……心を傷付けることもしない」
目を見て、真っ直ぐに。
どうにか己の意思を伝えるべく彼女は続ける。
「私たちはあなたと『対話』をしに来たの。この意味、わかってくれるかしら?」
返事は無い。
だがグラスは先ほどまでとは打って変わって、口を閉ざしたままカシャの言葉に耳を傾けていた。
「あなたを利用しようってわけでもないわ。ただ教えてほしいことがあるの。でもあなたが嫌だと言うなら、無理強いはしない。絶対に」
根気強く語りかける彼女に、グラスの瞳に混じる警戒の色が少し薄まる。
「こっちのフゲンもね、乱暴に見えるし実際乱暴だけど、悪いこと……も、時々するけど。人道に反したことはしないわ。あと年下の子には露骨に甘い」
「……別に、甘くないぞ」
「甘いわよ。自覚無いの?」
カシャの証言にフゲンは異を唱えるも、心当たりが無いことは無いのか複雑な表情で言い淀んだ。
その反応を見て、カシャは「あるんじゃないの」と笑う。
と、2人の会話に何を感じ取ったのか、グラスはまた少し警戒を緩めておずおずと口を開いた。
「でも、無理矢理入ろうとしてきたじゃない……。私に嫌なことする気がないなら、なんであんなことしたの」
今度は威圧的な雰囲気や嫌味な感じは無く、声色も視線も、おそるおそる疑問を投げかける子どものそれだ。
「ほらフゲン、ちゃんと言葉に出して! ここまで来て怖気付いたなんて言わせないわよ」
よし来たとばかりにカシャはフゲンをせっつく。
「いや、オレは」
「いいから! 正直に言って!」
彼女は有無を言わさず、加えてばしばしとフゲンの背中を叩いた。
「わかった、わかったから叩くな!」
強気に力を込められて少々痛かったのだろう、彼は身をよじって追及という名の平手から逃れる。
それからグラスの方に向き直り、渋々ながら言った。
「お前が困ってそうだったから、直接会って手助けできねえかなって思った……だけだ」
尻すぼみになりそうなのを堪えてフゲンは言い切る。
わざわざこんなことを口にするのは柄ではなかったが、一度言うと決めたからには、とのことだった。
「ですって、御主人」
シタがにこにこと笑顔でグラスの様子を窺う。
が、グラスは無言でくるりと踵を返し、階段の方へと戻り始めた。
もしや気に食わなかったのか、とカシャは眉を下げる。
よかれと思って発破をかけたのが逆効果だったのだろうか。
「御主人ー? どこ行くんですかあ」
小さなその背中に向かってシタが尋ねると、彼女は半ば振り向き応える。
「客間! 片付けてくるからシタは2人の相手して待ってて!」
言って、返答を待つこともせずグラスは階段を駆け上って行った。




