30話 人を思うこと
ユガの口から打ち明けられた話に、カシャは息を呑む。
「それって、つまり……」
「はい」
魔女、というのは魔人族の中でも優れた能力を有する者のことだ。
その血縁者ならば、魔女本人には及ばずとも、他の魔人族より魔法に長けているのは想像に難くない。
要するに、村長たちの言っていたのはこういうことだろう――魔女の血を引くユガを言いなりにさせるため、母親を殺し、自分たちだけにユガが懐く状態にした。
もし本当にこの通りであるなら、おぞましいことこの上ない。
ユガは続けて語る。
「思い返せば、おかしいところはありました。お母さんが死んだ日、朝早くにお母さんは村の人に呼ばれてどこかに行きました。私は家で留守番をするよう、また別の村の人から言われて……夕方になって、お母さんが死んだと村の人に聞かされました」
村の人、村の人。
カシャは先ほどの男の言動を思い出した。
――ユガ! やっぱりお前か! よくもやりやがったな!
――ユガはイシュヌ村のものだ、絶対に渡さないぞ!
魔法で眠らされて怒っているだけ、というには違和感のある怒り方。
高圧的なばかりで、ユガを心配するような様子が見えない態度。
「もの」が指す意味。
考えれば考えるほど、先の仮説の真実味が増す。
「私は信じられませんでした。いえ、ほとんどわかってはいたんですけど、ほんの少し、何かの間違いなんじゃないかっていう考えもありました」
気付けばユガの声は、隠しきれないほど震えていた。
だがそれでも、彼女の目から涙が零れることはない。
「この間とうとう直接、村の人に聞いたんです。お母さんはあなたたちが死なせたんですかって。そしたら……」
ユガは言葉を詰まらせ、堪えるように唇を噛む。
おそらく、それが答えだろう。
少し息を吸い、深く吐き、彼女はまた続けた。
「気が付いたら、私はその人を魔法で眠らせていました。悲しくて、悔しくて、だから考えました。村の人たちをみんな眠らせて、ずっとずっと眠らせたままにして、死なせようって」
あとは、見た通りです。
そう締めくくり、ユガは視線を落とす。
――ライルは幾度も反射的に涙が出そうになるのを堪え、じっとユガの話を聞いていた。
彼女の身に起こったこと、彼女が考えたこと、感じたこと、それらに思いを馳せる。
自分であったらどうだったろう。
もし愛する者がいて、それがたった1人の血縁者で、けれど死んでしまったら。
後になって、死んだのではなく心無き者に殺されたのだと知ったら。
信じていた大勢の人間が、力目当てに自分を騙していたら。
ひとつひとつ、ライルは考える。
幼い少女の、ユガという人間の、心を推し量る。
そうして。
ライルは、泣いた。
「えっ!?」
「きゃっ!?」
カシャとユガは、彼の流す涙の量にぎょっとする。
ライルは相変わらず滝のような、尋常でない泣き方をしていた。
だがその本質は、今までのものとは決定的に異なっている。
別の生き物としてではなく、上からではなく。
同じ「人間」として、正面から向き合った結果の、涙であった。
「つらかったな。苦しかったな、ユガ」
そっと、ライルはユガを抱きしめる。
実のところその仕草自体はカシャの見様見真似であったが、しかし少女に心を伝えるためにはこれが一番だと、彼自身が心から思ってのことだった。
ユガは言葉を失う。
嘘偽りなく真実を話したものの、それを信じてもらえるかは半信半疑だった。
何せ自分はさっきまで、彼らを騙していたのだから。
「今度は、疑わないんですか」
「疑わない」
「どうして?」
「本当だと思ったから」
ライルは体を離し、涙でべちゃべちゃな顔のまま笑う。
「ふふ、理由になってないですよ」
つられてユガが笑みをこぼすと、彼は安堵し眉を下げた。
「ようやく笑ったな」
* * *
ライルとカシャは、ユガ――とライルの涙――が落ち着いてから、改めて詳しい事情を聞くこととした。
ユガは憑き物が落ちたがごとき様子で、彼らの質問に素直に答えていく。
もはや何も怯えることはないのだと、すっかり心を開いたようだった。
「それで、どうやって眠りの魔法を維持してたの? 魔女の血筋にしても、さすがに規模が大きすぎると思うのだけど」
「魔道具です。つい昨日、とある人から貰いました」
言って、ユガはワンピースのポケットから赤い石を取り出す。
光を反射して怪しく輝く石は、ちょうど彼女の片手に収まるくらいの大きさだった。
「これがあれば、魔力をいつもよりたくさん使えるようになるんです」
「へえ……」
ライルは赤い石をまじまじと見つめる。
ほんの僅かだが、どこかで感じたことのある魔力が残っているのがわかった。
「私は最初、良い子のふりをしたまま村の人たちを順番に眠らせていったんですけど、思ったより早く……7人目で限界が来てしまって。どうしようって困ってたら、これを使えって渡してくれたんです」
「すると……とある人ってのは、狙撃手か」
「はい」
石を横に置き、ユガは頷く。
「でも、ごめんなさい。私はあの人、たちのことを、これ以上何も言いません」
「脅されたのか?」
「いいえ。私が勝手に言わないでおこうと思っただけです。……悪いことではあったけど、あの人たちは見ず知らずの私を、助けてくれましたから」
そうか、と返してライルは村を見渡す。
どこまでも静かで、のどかな村のように見えた。
まだ認識阻害の魔法を使っているのか、はたまたもうどこかへ逃げおおせたのか、狙撃手らしき姿は認められない。
ユガは「たち」と言っていたから複数人だったのだろう。
それ以外のことは、何もわからないままだ。
一般的な視点で見ればおそらく善い人間ではないのだろうし、何か思惑があったのかもしれない。
だがユガに手を差し伸べてくれたことだけは、礼を言いたいとライルは思った。
「それじゃあ、そろそろ皆さんを起こします。迷惑かけてごめんなさい」
両手を前に突き出し、ユガは魔法を解こうとする。
が、そこにカシャが待ったをかけた。
「あ、ちょっといいかしら」
「はい?」
ユガは首を傾げつつも、ひとまず手を下ろす。
隣のライルもどうかしたのかと不思議そうな視線を送るが、カシャは気にせず彼女に問うた。
「あなた、魔力はまだ大丈夫?」
「えっと、はい。人数を増やすのは無理ですが、この状態を維持するだけなら」
これがありますから、とユガは赤い石を示して付け加える。
「じゃあ村人を起こすのは後にしましょう。フゲンとモンシュだけ起こしてもらえる?」
「? わかりました」
「ライルはフゲンたちに事情説明をよろしく。あとさっきの男が余計なことしたり逃げたりしないよう、見張っておいて」
「別にいいけど、カシャは? 何かするのか?」
「町までひとっ走りして憲兵を連れて来るわ。1時間で戻るから、ちょっとだけ待ってて」
いや町に行くならモンシュに乗せてもらった方が……と言いかけて、ライルは言葉を引っ込める。
カシャの青緑色の瞳が、ギラギラと燃えていた。
ライルはその目に既視感を覚え、ほどなくその正体に辿り着く。
最初に出会ったあの時、旅人を狙う悪党と対峙していた時、彼女はこれと同じ目をしていた。
絶対に逃がさない、法の下で然るべき裁きを受けさせる、という気概が溢れんばかりに滾っている。
適切な表現を選ぶなら「義憤」だろうか、などとライルは考えてみた。
「じゃ、行ってきます!」
屋根から飛び降り、カシャは馬顔負けの凄まじい速度で町に向かって走って行く。
ライルは小さくなっていくその後ろ姿を見つめながら、止めなくて正解だったな、と思った。
それは何も難しいことではなく。
彼女の怒りは村人だけでなく彼女自身にも向いているのだと、理解できたからである。