29話 大人
「しかし驚いたわね……」
カシャは軽く溜め息を吐き、ユガの横にしゃがむ。
「ユガ、本当にあなたが?」
「……はい。私が村の人たちや、モンシュちゃんたちを眠らせました」
言い逃れはできないと思ったのか、そもそもする気が失せたのか。
いずれにせよ、観念したように少女は白状した。
それから一瞬だけカシャの目を見て、すぐに逸らす。
今のユガにとって彼女の視線は、耐え難いものだった。
「ライルさん」
やや沈黙を挟み、今度はライルの方に少しだけ顔を向けて問う。
「『構えていれば、対処はそう難しいことじゃない』……あなたは、そう言いました。私が犯人だって、元から疑ってたんですか」
「まあな。最初から容疑者に数えてたのと、フゲンたちの件で疑念が強まったのと……まあ決め手はさっき言った通り、魔法を使われたことだけどな」
言いながら、ライルは床に腰を下ろした。
槍からも手を離し、右手に置く。
事もなげに話すその様子にカシャは嘆息した。
「あんた、よくこんな小さな子を疑えたわね。皮肉じゃなく、本当に凄いわ」
そう、カシャは無意識のうちにユガを容疑者から外していたのである。
彼女だけでなく、フゲンもモンシュも、この幼い少女が元凶だとは毛ほども考えていなかった。
「無害そうな人でも嘘を吐くってこと、身をもって学習したからな。過去の経験を活かすのが人間だ」
ある意味お前のおかげだな、とライルは笑う。
彼が指す「経験」が自分と出会った時の一件だと、カシャはすぐに理解した。
確かにあの時、親切そうな男を疑わなかったために、彼らは危うく騙され酷い目に遭うところだった。
尤も、あれはカシャが助けに入る算段だったし、仮に彼女がいなくとも力技でなんとかなった可能性もあるが、それは別として。
「ちょっと複雑だけど、まあ役立ったなら良かったわ」
カシャは苦笑する。
と、そこへガチャリと扉の開く音が飛び込んだ。
玄関の扉ではない。
ライルとカシャは振り返る。
開いたのが奥の部屋に繋がる扉で、そこには開けた張本人であろう初老の男性が立っていた。
「ユガ! やっぱりお前か! よくもやりやがったな!」
男は随分いきり立っており、ユガを認めるや否や一も二も無く罵声を浴びせる。
村人はみんな眠っているはずでは? と疑問に思い、ライルはひとまず男は放っておいてユガに尋ねた。
「もう魔法を解いてくれたのか?」
「い、いえ……」
「あー、じゃあ俺か」
ライルの《晩鐘》は相手の体に衝撃を与え、動きを鈍らせる、あるいは封じる技。
先ほどは極力弱めて使ったが、それでも小さなユガには十二分な効果があったのだろう。
体の力が抜けた拍子に魔法が解けてしまった、といったところか。
合点がいった、とライルが頷いていると、カシャが「ちょっとなに1人で納得してるのよ」と彼を小突く。
それにライルが返答するより先に、男がまた口を開いた。
「見ない顔だな……さてはお前たちがユガを唆したのか!? ユガはイシュヌ村のものだ、絶対に渡さないぞ! 出て行け!」
彼は大声で吐き散らししながら、ずんずんと近付いて来る。
「……うーん」
ライルは怒り狂った男の様子をじっくりと見て。
「場所を変えるか」
すっくと立ちあがり、ユガを抱えてさっさと玄関の扉から出て行った。
「え? あ、ちょっと!」
慌ててカシャも後を追う。
かなりの速度を出すライルに、しかし難なく追い付き、並走した。
後ろから男の怒号が聞こえてくるのもお構いなし、ライルたちはどんどん先の家から離れて行く。
ふと見ると道端の人々は眠ったままで、どうやら魔法が解けたのはさっきの男だけのようだった。
「よっと」
しばらく行ったところで、ライルは槍を支柱代わりにして適当な家屋の屋根へと昇る。
続いてカシャも軽く跳び、屋根のへりを掴んで上にあがった。
「よし、ここなら邪魔は来ないだろ。ユガ、そろそろ座れるくらいにはなったか?」
「は、い」
ユガを慎重に座らせ、ライルとカシャはその両脇に腰を下ろす。
「じゃあ話してもらおう。なんでこんなことをしたのか、村人たちを眠らせて何をしようとしていたのか。あと残りの人たちの魔法も解いてほしいな」
「……嫌だって言ったら、どうしますか」
俯いて、か細い声でユガは言った。
膝の上にお行儀よく乗せられた手は、僅かに震えている。
「別に、どうもしない」
反してライルは、あっけらかんと返した。
「町まで行って、魔法を解ける人を連れて来るだけだ。お前が思ってるような怖いことはしないよ。悩みを抱えた女の子を、さらに追い詰めるようなことはしたくないからな」
「え……」
最後の言葉に、ユガはぱっと顔を上げる。
どうしてそれを、と顔に書いてあるようだった。
「ん、やっぱり何か困り事があるんだな。まあこれだけのことをするんだから、何かしらあって当然だが」
ライルは体を90度回転させ、彼女の方を向く。
「なあユガ、今なら俺とカシャしか聞いてない。この際ぜんぶ吐き出しちまえば良い」
「そうよ。他の人には秘密にしておきたいなら、私たちは絶対に喋らないって約束する。あなたがどんなことを言っても、怒ったり嫌いになったりしないわ」
カシャも上体をユガに向け、そう語りかけた。
言葉に違わず、怒りも嫌悪も無い声色で。
自分の所業を知ってなお少しも態度を変えない2人を、ユガは交互に見る。
同時に記憶の中の「大人」と彼らを比べ、悔恨のような、羨望のような感覚を覚えた。
「……あなたたちみたいな人が、いてくれたら……」
ぽつりと呟き、深呼吸をひとつする。
そして。
「わかりました。ぜんぶ、話します」
ユガは語り始めた。
――私には、家族がいません。
最初からいなかったんじゃなくて、前はお母さんがいました。
私とお母さんは、4年前にこのイシュヌ村にやって来ました。
私は覚えていないけど、その前は別の村にいて、その前にもまた別の村にいたそうです。
なんであちこち移動するのか、お母さんは教えてくれませんでした。
でも私は気にしていませんでした……だって、それが普通だと思っていたから。
村に来て少しした後、お母さんが死にました。
1人になった私に、村の人たちはお前を村で育てると言いました。
正直、その時は嬉しかったです。
お母さんが死んだのは悲しかったけど、優しい人たちで良かったって。
それから私は村長さんの家で暮らし始めました。
村長さんがいない時でも、他の人が私の面倒を見てくれました。
毎日毎日、朝でも昼でも夜でも、誰かが私の傍にいたんです。
……いてくれたんだと、思っていました。
けど、去年の秋のある日、私は聞いてしまいました。
夜遅く、村長さんたちが家の外で話をしているのを。
あの人たちは言っていました。
「上手くやっているか」「ちゃんと見張っておけ」「心身共に逃さぬよう」
私は彼らが何を言っているのか、呑み込めませんでした。
何か嫌な感じだけはしていて、そのまま耳を澄ませて会話を聞いていました。
そうしていたら、村長さんが言ったんです。
「親を亡くした子どもほど、手駒にするに適したものは無い」
「なにせ貴重な魔女の血筋だ。飼いならせば何より上等な武器になる」
「やはり、母親を切り捨てたのは正解だったな」