28話 犯人
ライルは一瞬たじろぐも、しかし否定の語は口にせず、続く言葉を待った。
「私が姿を現わせば、相手は必ず仕掛けてくる。得物は矢だから相手の位置を掴みやすいわ。方向の見極めは私がやるから、あんたには反撃をしてほしいの」
「……お前自身は大丈夫なのか? 自己犠牲はお断りだぞ」
「安心して、伊達に用心棒を仕事にしてないわ。構えてさえいれば、対処はそう難しいことじゃない。さっきの攻撃も、魔法の限界か知らないけど当たる直前で『認識』できたから、なんとかなるはずよ」
にこ、とカシャは笑う。
真っ直ぐな瞳には驕りや侮りは無く、ただ確固とした自信のみが見て取れた。
「わかった。その作戦で行こう」
ならば信頼で応えるのが筋というものだろう。
そう考え、ライルは彼女の案に乗ることにした。
しかし傍らで話を聞いていたユガの顔は、未だ晴れないどころかいっそう暗くなる。
「ごめんなさい、私のせいで……」
本来無関係であったライルたちを巻き込んでしまったことに、少なからず罪悪感を覚えているらしい。
彼女はうなだれ、服の裾を握り、蚊の鳴くような声で言った。
「謝らないで、ユガちゃん。あなたが悪いことなんてひとつも無いわ」
カシャはユガの頭を優しく撫でる。
幼い少女の不安を取り払うように。
いつか自分がそうしてもらったように。
「何も心配はいらないわ。今から私とライルで犯人をやっつけるからね。そしたらみんな元通りになるはずよ」
最後にぎゅっと小さな体を抱きしめ、カシャは立ち上がる。
「それじゃ、よろしくね」
「ああ。10数えたら出て行く」
「了解」
ライルは槍を持ち直して、踵を返し外へ出て行く彼女を見送った。
それからすぐに、ひとつ、ふたつ、と心の中で数を数え始める。
シンと静まり返る室内。
外からはカシャが宣言通り矢を対処しているのであろう、金属音がかすかに聞こえてくる。
みっつ、よっつ……と、そこで不意に、ユガがライルの左手を引いた。
「……ごめんなさい」
まだ割り切れないでいるのか。
ライルは彼女を慰する言葉を発しようと、口を開く。
「ユガ――」
しかし、彼女の名を呼んだところで。
「ごめんなさい……本当に」
にわかにライルの体から力が抜ける。
何か支えを、と近くの椅子に手を伸ばすも、彼は椅子もろとも大仰な音を立てて床に転げた。
受け身もとらずに倒れたため、膝や肩をしたたかに打ち付ける。
ユガは巻き添えにならないよう、寸前で彼からぱっと手を離した。
かろうじて槍の柄に振れ、ぐったりとした様子で床に横たわりながら、彼女の手が魔力を帯びているのをライルはしかと感じる。
だがそれについて何かを言うことはなく、間もなく彼は目を閉じた。
部屋に響いたけたたましい音の余韻も、ほどなく消える。
そうして、後にはライルの安らかな呼吸音だけが残った。
ユガはライルを見下ろす。
自分の中に残る魔力を量り、あと1人眠らせる分は足りそうだと安堵した。
――ごめんなさい。
心の中で、もう一度ユガは謝る。
ライルたちを自分の計画に巻き込んでしまったことを謝罪する。
心優しい彼らを犠牲にするのは本意ではなかった。
けれど事を成功させるには、もうなりふり構っていられない。
ユガはそういう計画を行っていたのである。
起き上がる気配の無いライルを横目に見て、彼女は扉へと向かった。
「彼ら」と外で戦っているであろうカシャの元へ行くために。
「あと1人……」
もう戻れないし、戻る気は無い。
呟き、扉に手をかけた。
「――惜しい、まだ2人だぜ」
耳に飛び込んで来た声に、ユガは驚いて振り返る。
立っていたのは、ライル。
先ほど魔法で眠らされたはずの青年だった。
ユガは息を呑む。
これは全く予想していなかった事態だ。
「ど、どうして……! 魔力はまだ……魔法、使ったのに……」
わけがわからず、ユガは混乱し立ち尽くす。
一方のライルは余裕そうに、倒れたとき服に付いた汚れをはたき落としていた。
「カシャも言ってたろ。構えていれば、対処はそう難しいことじゃない」
肩をすくめ、笑う。
嬉しいとか楽しいとか、あまりそういう顔ではなかった。
「悪いな、大人しくしててくれ」
ライルは槍を持ち、ゆっくりとした足取りでユガに近付く。
「天命槍術、《晩鐘》・弱」
こつん、と柄がユガの額に当てられた。
途端に小さな体が弛緩し、彼女はその場にへたり込む。
意識はハッキリしているが体はまるで動かない。
いったい何をされてしまうのか、とユガは痛みに備えることもできずに怯える。
だがライルが無抵抗の少女に危害を加えるわけもなく、ユガを適当な位置に横たえると、彼はそのまま外に出た。
「ライル!」
家屋から1歩踏み出すや否や、カシャの声が飛んでくる。
「遅いじゃない、何かあったのかと思っちゃったわ!」
彼女は少し離れたところで務めを果たしていたようで、剣を持ったままライルの元へとやって来た。
「ごめんごめん。でも朗報だ、眠りの魔法をかけてた奴の正体がわかった」
「本当!? っと」
カシャは背後から飛来した矢を、後ろ手に剣で叩き切る。
こうやって応戦していたのだろう、先ほどまで彼女がいた場所にも矢の残骸が散乱していた。
彼女が切るギリギリまで、ライルには矢が認識できなかった。
本当に当たる直前で、認識した瞬間に対応しているのだなとライルは密かに感心する。
「それはこの、いま攻撃してきてる狙撃手とは別?」
「ああ」
「複数犯だったのね。で、どんな奴だったの?」
「ユガだ」
「はあ!?」
それまで冷静に話していたカシャが、素っ頓狂な声を出した。
さもありなん、である。
「詳しいことは後で。カシャ、狙撃手の位置はわかったか?」
「え、ええ。今のはあっちから撃って来たわ」
「ありがとう。――狙撃してきてる奴! 聞こえるか!」
ライルはそう呼びかけると、槍ではなく足元に落ちていた細い枝を拾って、カシャが示した方向に投擲した。
枝は枝らしからぬ速さで、家屋の屋根を越えて飛んで行く。
「俺はユガを無力化した! あとお前の位置もカシャが特定できる! まだやるって言うなら、次は槍を投げるぞ!」
しばしの沈黙の後、新たな矢が飛来し、しかしライルたちからは離れた地面に刺さった。
全く見当はずれのそれに、カシャは剣を下ろす。
「わざと外したわね」
「わかってもらえたみたいだな」
ライルは満足げに頷く。
狙撃手もゆくゆくは捕まえなければならないが、今はそれよりやるべきことがある。
ひとまず邪魔をさせないようにしておけば良い。
「寝てる人たちにも手を出すなよ! いいな!」
そう付け加えて、ライルはカシャと共に家屋へ戻る。
扉を開けると、変わらず床に横たわった状態のユガがいた。
「あんた、手荒なことはしてないでしょうね?」
「してないよ。ちょっと動けなくしただけだ」
「ならいいけど。……それで、どういうことなのか説明してくれる?」
カシャはライルに尋ねる。
ユガは2人の声を聞きながら、ただ口を閉ざし宙を見るばかりだ。
「カシャが出てって俺たち2人きりになったところで、ユガに眠りの魔法をかけられた。だからユガがみんなを眠らせた張本人だと確信したって感じ」
「え、あんた魔法食らったの?」
「うん」
「なんで効いてないのよ。それとも眠ってから何とかして起きたの?」
「あー、なんかこう、耐性がある……みたいな?」
なによそれ、とカシャは呆れて言う。
ライルははぐらかすように、曖昧に笑った。