26話 幼い少女
ライルは、カシャの指摘に心の底から納得した。
納得せざるを得なかった。
なぜなら彼には心当たりがある。
無意識に人を見下す原因となっている己の性質、あるいは生い立ちを、彼は自覚していた。
世界の誰にも、一番信頼しているフゲンにすら言えない秘密。
露見すればすべての人間関係が壊れてしまう――と、少なくともライルは確信している――爆弾のような、とある事実。
ただひた隠しておけばと思っていたそれが、まさかこんな形で牙を剥くなどライルは想像だにしなかった。
でも、だからこそ。
「……ありがとう、カシャ」
ライルは気付かせてくれた彼女に礼を言う。
たった一言で崩れてしまいかねない関係で、無意識に見下していたのも本当のことだけれど、フゲンたちを大事に思っているのもまた、偽りのない本心だ。
最後の時が来るまで、ひとりの人として彼らの隣を歩きたい、彼らの仲間として人らしく生きたい。
人とは何だ?
失敗や過ちを乗り越えて成長するのが人間だ。
ならば自分も正しくそう在ろうと、ライルは決意する。
「礼には及ばないわ。人間、生きているうちが華よ。後悔の無いようにね」
彼の心持が変わったのを感じ取り、カシャは微笑んだ。
「さ、行きましょう」
「ああ」
2人は村長の家を離れ、先ほどの場所へと戻る。
するとそこには既にフゲンとモンシュ、そして小さな少女が1人いた。
フゲンはライルたちを認め、ひらひらと手を振る。
「どうだった?」
「駄目だ、村長も眠ってた。通り道の付近に居た人たちも全員」
見て来たものを簡潔に伝えるライル。
頭の中はもう、イシュヌ村の異変への対応に切り替わっていた。
「その子は?」
今度はカシャがフゲンたちに問う。
単純に考えれば村人であろう、幼い少女。
質素なワンピースに身を包み、長い髪を伸ばしっぱなしにしている。
こんな状況だからだろうか、目には怯えの色が見える。
彼女は不安そうにモンシュに身を寄せ、あちらこちらへと視線を彷徨わせていた。
「こ、こんにちは……ゆ、ユガです……」
モンシュの腕をぎゅっと掴んだまま、少女はか細い声で名乗る。
「村を1周してきたんだが、無事なのはこの子だけだった。1人じゃ心細いだろうからな、とりあえず連れて来た」
ライルは彼女について合点がいくと共に、フゲンたちが途中で探索をやめてここに来たものだと思っていたため、「1周してきた」の言葉に少々驚く。
「随分早かったな。……あ、まさかお前」
「おう、モンシュを抱えて走った」
予想が的中し、ライルは頭を抱えた。
蝶よ花よとは言わないが今の彼は人間態、すなわち小さな子どもの体なのだから、もうちょっと丁寧に扱えないものか。
「モンシュ、嫌なことは嫌だって言うんだぞ? こいつ放っとくと平気で人をぶん投げるからな?」
「大丈夫です、スリルがあって楽しかったので」
スリルは感じてたのかと思いつつも、まあ本人がいいなら……とライルは留飲を下げる。
「ユガちゃんは私たちが誰で、何でこの村に来たのか知ってる?」
引き続きカシャが尋ねると、ユガはこくりと頷いた。
「はい。モンシュちゃんから、聞きました」
「そっか。じゃあ自己紹介だけするね。私はカシャ、この緑のお兄さんがライル。よろしくね」
カシャはしゃがんでユガに目線を合わせ、にこりと笑って右手を差し出す。
ユガは少しほっとした様子で、モンシュから手を離して彼女と握手をした。
と、その一方でライルはこっそりモンシュに耳打ちをする。
「男だって訂正しなくていいのか?」
「ええ、今回ばかりは。『年の近い女の子』がいた方が、ユガさんとしては安心できるでしょう?」
「なるほど」
子どもの相手などてんでしたことの無いライルは、そういうものなのかとただ感心した。
ユガが彼に引っ付いていたのは、見た目だけでなく振る舞いが良かったのもあるに違いない。
もしかして、彼にもフゲンのように弟や妹がいる、またはいたのだろうか。
「ユガちゃん、この村で何があったのか、お姉さんたちに教えてもらえる? 言いたくなかったら、言わなくてもいいからね」
カシャが本題に入り、ライルはそちらに意識を戻す。
そう、彼女はこの異常な現象から逃れられた、おそらく唯一の人物。
村で起こったことを知るためには、この上ない証人だ。
とは言え無理強いは決してできない。
そこはカシャの言葉通りである。
「えっと……」
ユガは小さい手をもじもじと絡めながら口を開く。
「ちょっと前から、寝ちゃったまま起きない人が何人かいて……。みんな、もしかして病気なんじゃないかって、言ってたんです。それで、国の人たちに調べてもらうことになったんですけど、来てもらえるのがまだ先だって、言われて困ってました」
しどろもどろに語られる話に、ライルたちは慎重に耳を傾けた。
ひとまずここまでの内容は、町長の話と同じだ。
「そうだったんだね。なら……昨日までで寝たままになってたのは、何人くらいだった?」
「7人です。大人が6人と、子どもが1人。……でも」
ユガの表情が暗く沈む。
「今日の朝に、残りのみんなも一斉に眠っちゃったんです。私だけ、なんでか起きてるんですけど……」
今にも泣きそうに震える声。
モンシュはすかさず、慰めるように背中をさすってやった。
「一斉に、か。なら人為的なものと考えた方がいいな。何かの病気だったら、もうちょっと時間差があるはずだ」
「オレもそう思う。なんでかはわからねえが、この村が狙われたのはほぼ確実だ」
ユガたちからやや距離をとり、ライルとフゲンは小声で話す。
単なる手伝いをしに来たつもりが、何やら事件に首を突っ込むことになりそうだ。
「うん、わかった。お話ししてくれてありがとう」
カシャはこれ以上聞き出すことは酷と判断し、話を打ち切る。
「村のみんなのことはお姉さんたちが何とかするから、ユガちゃんはいったん村から離れよう。村の中に悪い人が隠れてるかもしれないからね」
そうして必要以上に怖がらせないよう言葉を選び、ユガに語りかけた。
まるで、「姉」のような顔をして。
「ええと、確かモンシュが天竜族だったわね。この子を町まで送り届けてくれるかしら?」
「わかりました、任せてください」
「ならオレも行く。大人が1人いた方がいいだろ」
カシャの指示に乗り、フゲンが申し出る。
竜態のモンシュは強い力を発揮するが、彼自身は戦闘に向いていない。
武闘派が護衛として付くのが妥当だ。
「じゃあユガちゃん、このお兄さんたちと一緒に町まで行こう」
「でも……」
カシャが努めて明るく言うも、ユガはなおも不安そうな顔をする。
「大丈夫、特にこっちの銀髪のお兄ちゃんはすごく強いんだ。もし悪者が来ても、絶対にユガを守ってくれるぞ」
勇気づけるべくライルが横から付け加えると、心配を拭いきれないふうではありながら彼女は頷いた。
「では行きましょうか、ユガさん」
「う、うん」
モンシュはユガの手をとり、踵を返す。
「ここだと建物を傷付けるかもしれないので、少し村から離れてから飛び立ちますね」
「わかった。よろしくな、2人とも!」
「町長はまだ役場にいるはずだから、あそこに向かってね!」
ライルとカシャは3人を見送ったのち、村の内部へと戻り始める。
差し当たってすべきは、まず村人の状態確認だ。
道端で倒れている者たちを屋内に運び、薬や魔法を使われた痕が無いかを探る。
ライルは少しだけ魔法を使えるため、魔力の痕跡くらいは探知できるかもしれない。
「俺は東側の人を見て来るから、カシャは――」
とりあえず手分けをしようと提案しかけた、その時。
リィン……と、共鳴石の鳴る音が響いた。