214話 遠い昔の寂寥
遠い遠い、昔のこと。
橙色の髪の少女と、緑色の髪の女が居た。
「ねえ、■■■。どうしてお屋敷を森で囲ってしまったの?」
橙の少女は、空色の目を瞬かせて言った。
彼女の周囲に広がるのは鬱蒼と立ち並ぶ木々。
空をも覆いつくさんばかりのそれらは、ひどく物憂げだった。
「わたし、なんだか寂しいわ。みんなと離れ離れになっちゃったみたい」
木のひとつにもたれかかり、少女は言う。
つい昨日、できたばかりの森にはまだ動物がおらず、胸を刺すような静寂が背後に横たわっていた。
「それで良い」
緑の女が口を開く。
黄金色の目は、どこまでも高い空を見上げていた。
「あんな身勝手で強欲な奴らとなんか、離れていた方が良いんだ」
「どうして?」
少女は問う。
「どうして」、身勝手で強欲と評するのか。
「どうして」、離れていた方が良いのか。
どちらとも取れる、あるいはどちらでもあるようだった。
視線を地上に下ろし、女は溜め息をひとつ吐いた。
「……エトラル公国に魔女が生まれるのは、大昔に藍の魔女がこの土地を祝福したからだ。家族や故郷を失った者たちの救い主たる藍の魔女が、彼らのために祈ったからだ」
少女は黙って耳を傾ける。
エトラル公国ができた経緯は、公国民なら誰もが知るところだ。
しかし女は敢えてそれを今一度、声に出して語っていた。
「魔女は救済と祝福の産物。安寧を願う心の証だ」
そこで言葉を区切り、女は少女の方を見る。
「その俺たちが、誰かの家族や故郷を奪う存在になってどうする」
橙色の髪の少女と、緑色の髪の女。
2人は魔女だった。
「わたしも同じ気持ちよ。でも……みんながわたしたちに『それ』を望んだとしても、自分勝手で欲張りだとは思えないわ」
眉を下げ、少女は言う。
エトラル公国は先日、地上国に対し独立戦争を仕掛けるために、彼女らに助力を求めた。
強大な力を持つ魔女が参戦すれば、公国側の勝率が格段に上がるから、という単純な理由で。
だが単純と言えど、切実だ。
藍の魔女と人々が住み始めた当初、エトラル公国はただの小さな国だった。
それが「地上国」の出現により、彼の国の一部として組み込まれることとなった。
国は、公国に。
国王は、地上国の貴族に。
ある意味で、エトラル公国民は、「エトラル国」という故郷を失ったのである。
独立性は高くとも、大元の権力は地上国のもの。
これについて、エトラルの人々が少なくない不満を覚えたことは、言うまでもない。
「みんな、きっと怖いのよ。人生は不確かなことだらけだから……確かなものが欲しいの。元々持っていたものなら、なおさら」
少女はそんな人々の心情を慮り、庇い立てる。
しかし女は無言でかぶりを振ると、踵を返した。
「■■■?」
不思議そうな声で少女が名を呼べば、女は半身で振り返った。
「使い魔をつくる。これから、俺と意思の疎通がしたいなら、その使い魔を介すること」
「あなたはどうするの?」
「引き籠る。あいつらが戦争への興味を失くすまでな」
そう言って、女は立ち去る。
後には、少女だけが残った。
「……わたしは、寂しいわ。■■■」
木々の間に消えていく女の背を見つめ、少女は呟く。
遠い遠い昔。
赤の魔女や、白の魔女が生まれる前の出来事だった。
***
クオウが魔法を唱えた瞬間、壁の上でいくつもの炎が上がった。
温かみのある橙色をしたその炎は、どうやら執行団員たちの武器に灯ったらしかった。
「なっ……!?」
それはジユズも例外ではない。
彼の弓も矢も、一瞬にして炎に包まれる。
驚いた彼が手を離せば、燃える弓矢は足元に落ち、そのまま煙のひとつも出さずに燃え尽きた。
まるで、炎と共に掻き消えるように。
他の執行団員たちの武器も同様に、炎に包まれ消えていく。
代わりに混乱とざわめきが、彼らの間に広がっていった。
「あいつら、あの焦りよう……さては武器が全部燃えたな!」
その様子を下から見ていたティガルが、明るい声を上げる。
距離が距離なだけに仔細までは視認できなかったが、良い方向に事態が動いたことは確かに受け取れていた。
「やりましたね、クオウさん!」
同じくモンシュも、安堵で顔を綻ばせる。
が、当のクオウはというと。
「えっ?」
目をぱちくりとさせ、全くわけのわかっていない顔をしていた。
「あら……? わたし、いま何か……魔法を使ったのかしら?」
まるで自分のしたことを理解していないような彼女に、ティガルは呆れた声を出す。
「何言ってんだ? ナントカ魔法、っつって使っただろ」
「そう……なのね?」
なおもクオウは無自覚的だ。
本当の本当に、わかっていないらしい。
「話は後だ。この好機、逃すわけにはいかない」
煮え切らない不可解が滲む中、空気を切り替えたのはシュリだった。
ジユズたちはいまだ混乱の中。
しかし体勢を立て直されるのは時間の問題である。
「そうですね。では、『初手』は僕が!」
モンシュは頷き、胸に手を当てる。
脅威である毒矢はもう無い。
となれば、選ぶ手はひとつだ。
光と共に、彼は竜態に変じる。
白く美しい巨体が姿を現し、立派な翼を雄大に広げた。
「天竜戦闘術、《風呼びの舞》!」
翼が空気をかき抱けば、途端に強風が吹き荒れる。
風は見えざる大きな手のごとく、壁の上に居る執行団員たちをまとめて薙いだ。
「うわああっ!!」
「主よっ……!」
彼らは悲鳴を上げ、宙に巻き上げられる。
が、そのまま地面に叩き付けられることはなく、ほどほどの高さでふわりと勢いを殺され、どさ、と比較的軽めに落下した。
「骨くらい折ってやればいいのに」
「う……」
「冗談だよ」
ティガルは竜となったモンシュの足をぽんと叩く。
この優しい少年がそういうことを苦手とするのは、彼もよく理解するところだった。
「風で無理やり引きずり下ろすとは……野蛮な真似をしてくれるな」
他の執行団員共々落下してきたジユズは、服に付いた砂埃を払いながら、モンシュたちに鋭い視線を向ける。
「や、野蛮で上等です!」
一度人間態に戻りつつ、モンシュが己を奮い立たせて言い返せば、ジユズは不気味に笑った。
「威勢が良くて結構。だが、こちらにもまだ手札はある」
言いながら、彼は懐に手を入れる。
取り出されたのは、ガラスでできた四角い容器だった。
「あれは……!」
覚えのあるその容器を見て、シュリが眉間に皺を寄せる。
それは、教会でジユズが使ったあの道具だった。
弓矢や剣なんかとは異なり明らかな武器ではないからか、何なのか。
理由は不明だが、どうやら先ほどのクオウの魔法から免れていたらしい。
「まずいッ――」
ティガルは容器を使わせるまいと、地面を蹴り、手を伸ばす。
同時にジユズは、容器を持つ手を大きく振りかぶる。
モンシュは再び竜態に変わろうとし、クオウは風魔法を起こそうとし、シュリは盾を構えて前進せんとする。
と、それらの動作が目的を遂げる前に。
ゴン、ゴゴン……と遠くから音がしたかと思えば、尋常でない振動が彼ら全員を襲った。
「何だ、この揺れっ……!?」
みな動きを止め、反射的に上を見やる。
明らかに、振動は上方から発生しており、そしてこの場へと近付いてきていた。
「伏せろ!」
シュリはモンシュたち3人を抱え込み、盾を上に向けて構える。
直後、天井が突如として崩落した。
否。
何かが、何者かが、天井をぶち破って落ちてきた。
骨の髄まで響く轟音と、嵐のごとき土煙が室内で荒れ狂う。
モンシュたちも、ジユズら執行団員も、誰もが防御姿勢を取るので精一杯だった。
ゆうに十を超える秒数をかけて、音と煙は徐々に収まっていく。
幸いにも、「次」は無かった。
やがて音が微かな余韻となり、土煙もほとんど晴れた頃。
室内に響いたのは、楽しげな女の声だった。
「うふふ。ちょうど良いところに来られたみたいね?」
土煙をかきわけ、声の主が現れる。
つややかな黒い髪に、水色の瞳、愉悦を湛えた表情。
そう、彼女は他でもない。
教会の外で陽動をしているはずの、ゼンゴだった。




