213話 目醒め
「まあ! これじゃ道がわからないわね」
やや呑気にクオウがそう言う横で、ティガルはわかりやすく頭を抱えた。
まさかまさかの事態である。
「追跡すべき者」のフゲンたちを見失い、その上「道案内ができる者」の執行団員たちとも離れ離れになってしまった。
これでは当初の予定通りに追跡の形を取った探索を行うことは、かなり困難だ。
「仕方ない。このままフゲンたちとは別行動を取ろう」
シュリが後方を確認しながら言う。
どうやら先ほどの執行団員たちは、既に先へ進んでしまっているらしい。
敵にそれと気付かれず、かつ仲間と共に教会内を探る……という本来の形態は崩れてしまうが、致し方ない。
モンシュたち4人は、独自にライルとファストを探す方向へと舵を切った。
「それにしても、本当に迷路みたいですね……」
不安げに周囲を見回し、モンシュが言う。
彼の居る通路は少し幅が狭く、更に枝分かれをした幾本もの通路が生えていた。
これだけ経路があれば、確かに挟み撃ちもしやすいだろう。
尤もそれは、経路を全て把握していればの話だが。
「できれば執行団の奴を見つけたいところだが……クソ」
ティガルは忌々しげに舌打ちをする。
辺りに人の気配は既に無く、執行団員は皆フゲンたちの方へと誘導されて行った後のようだった。
そんな具合で、しばらく4人は黙々と足を進める。
やがて下層へ続く階段を見つけ、それを降りようと、先頭のティガルが足を段にかけた。
――その時だった。
「っ!」
ティガルは弾かれるように、バッと飛び退く。
耳に何者かの微かな足音が入ってきたからだ。
彼の動きに反応し、モンシュたちも警戒態勢を取る。
少し遅れて、カツン、カツン、という固い足音が明瞭に聞こえ始めた。
音は、通路の先から発されていた。
「誰だ!」
牽制の意味も込め、ティガルは威勢よく吠える。
返ってきたのは、くすくすという軽い笑い声だった。
「おや、おや。『誰だ』とは無礼だな」
やがて薄暗がりの中から、声の主が現れる。
その姿に、4人は目を丸くした。
「ジユズ……様! だったのね。……あ、ですね?」
真っ先に、クオウが口を開く。
そう、彼女らの前にやってきたのは、最初に教会で雷霆冒険団を迎え撃ち、ライルを連れ去ったであろう張本人。
執行団一番隊副隊長、兼、ピレイア島の守護役の男、ジユズだった。
「ええと、来てくださった、んですね」
ぎこちないクオウの演技に次いで、モンシュもまたぎこちない演技でジユズと対峙する。
が、ジユズはすっと目を細め、冷たい視線をモンシュたちに注いだ。
「白々しい真似はやめてもらおう。私が不届き者の顔を忘れるわけもない」
想定外、とまでは言い難い。
そこらの執行団員とは違い、ジユズは多くの情報を有しているだろう副隊長であるし、雷霆冒険団と直接相まみえてもいる。
もはや演技は通用しないと悟ったモンシュとクオウは口を閉じ、代わりにティガルがジユズを睨みつけた。
「ライルをどこにやった」
「回答は拒否する。彼は今、浄化の最中だ。邪魔が入ってはいけない」
ジユズは肩をすくめる。
たかが十何歳の威嚇など、意に介していないようだった。
「浄化……?」
「頭のイカれた野郎の言うことなんざ、聞く価値ねえよ」
不思議そうに首を傾げるクオウに、ティガルはぴしゃりと言い放つ。
実際に「浄化」が何を示すのかは露ほども知らない彼だったが、どうせ禄でもないことだとは確信していた。
「嘆かわしいことだ」
ジユズは溜め息と共に片手を上げる。
何かする気だといち早く察知したシュリが、モンシュら3人を守るべく、盾を構えて前に出る。
だが攻撃が彼らに襲い掛かることは無かった。
その、代わりに。
「ッうわ」
4人の踏みしめていた床が、突如として開いた。
まるで窓を開け放つかのように、勢いよく。
「きゃーっ!?」
一瞬にして足場を失った4人は、重力の働くままに落下する。
床の下に待ち構えていた空間は深く、しかしさほど幅は無かった。
モンシュの頭に、竜態に変じて上昇する、という考えがよぎるも、この幅ではとても無理だと断念する。
小さな空間で無理に竜態になった者の末路は、想像に難くない。
為すすべなく落ちる彼らだったが、シュリが何とか身をよじり、3人をまとめて抱え、あるいは背負った。
更に壁を蹴って落下速度を緩和させ、必死の抵抗を試みる。
やがて狭い空間は終わり、4人は広々とした場所へと放り出された。
本来なら落下死してもおかしくはない高さだったが、シュリの奮闘が功を奏し、彼らは生きて着地することができた。
「無事か、3人とも」
腕や背中からモンシュたちを下ろしながら、シュリは言う。
幸いにも、皆ちょっとした擦り傷程度で済んでいた。
「た、助かったわ……」
「にしても、何だこの部屋」
胸を撫でおろすクオウの横で、ティガルはぐるりと周囲を見回す。
彼らが放り出されたのは、天井の高い、円形の部屋だった。
設置物らしい設置物は無く、ぐるりと高い壁に囲われた空間。
その壁の上には、またぐるりと足場があるのが見えた。
「まるで……闘技場みたいですね」
モンシュは小さく身震いをする。
良からぬ予感が、既に忍び寄ってきていた。
「動くな」
と、前触れなく、重々しい声が響く。
見れば、壁の上の足場に、ジユズが弓を構えて立っていた。
モンシュたちは素早く臨戦態勢を取る。
が、それと同時にザッという揃った足音がし、足場にずらりと執行団員たちが現れた。
「見えるか? 私は今、同志と共に君たちを包囲している」
執行団員たちは全員、ジユズと同様に弓を構え、モンシュたちに狙いを定めていた。
敵を見下ろす位置に付いた狙撃手。
素人でもわかる、圧倒的優位だ。
「卑怯だぞテメエ!」
ティガルが声を荒げれば、ジユズはやれやれとでも言いたげに首を横に振った。
「残念ながら、私は戦士ではない。ただの敬虔な信徒だ。不信心の者どもを始末するために、いちいち公平性など気にはしない」
「っ……!」
モンシュはぐっと息を呑み、体に力を込める。
――不利な状況だが、自分が竜態になって彼らを吹き飛ばせれば。
そんな考えの下、意識を集中させる。
しかしそれを察知してか、ジユズが先んじて口を開いた。
「おっと、待ちたまえ。いま我々が番えているのは毒矢だ。もし君たちの中に天竜族が居たとして、竜態に変じるのはお勧めしない。的が大きくなるだけだからな」
は、とモンシュは力を緩める。
ジユズらの使う毒の種類が何であったとしても、この包囲網から一斉に矢が放たれ、それが直撃すればただではすまない。
それどころか、竜態にも効くような毒が仲間に当たる恐れすら生じる。
僅かに見えた希望が潰え、モンシュは悔しげに唇を噛んだ。
シュリは盾を構え、クオウは魔力を巡らせるが、しかし盾1枚で360度を防御することはできないし、発動させた魔法が届く前に矢が放たれることは明白である。
打つ手が無い。
八方塞がりとなってしまった4人は、せめて背中を合わせて敵と対峙することしかできなかった。
「そのままじっとしていると良い。君たちも浄化室に送ってやる」
勝ち誇った様子でジユズは言う。
実際、既に盤面は覆りようの無いところまで来ていた。
――が。
「クオウ?」
不意に、ティガルが声を漏らす。
彼の隣に立つクオウは無言だった。
無言だったが、何やら少しうなだれ、いやに落ち着いた雰囲気を纏っていた。
そう、一言で表すならば、「彼女らしくない」雰囲気を。
「おい、どうした」
ティガルが声を落として言葉をかけるも、クオウは応えない。
やがてモンシュとシュリも彼女の異状に気付き、心配の視線を向ける。
その、次の瞬間だった。
「――魔法」
彼女は不明瞭な発音で、呟く。
それから静かに顔を上げた。
「《滅刃の灯影》」
凪いだ声が空気を打つ。
その声も、表情も、全く。
モンシュたちの知るクオウのそれではなかった。




