211話 不協和音の鳴る道中
ファストと共に牢から出てしばらく、ライルは不意に足を止めた。
理由は単純。
歩けど歩けど、いつの間にか先ほどまで居た牢の前――あるいはそれと酷似した場所――に戻ってきてしまうことに気付いたからだ。
少し考え、ライルはくるりと振り返った。
「お前、ここの構造はわかるか?」
「そこまで詳しくはない」
ファストは何でもないような態度で答える。
「どこまでなら詳しい?」
「チッ……」
一転、表情が険しくなるファスト。
やはりどこまでも、彼とってライルの言動は癪に障るものであるようだ。
「地上の範囲は把握している。だが細かい仕掛けはわからない。ジユズとその部下が管理しているからな」
ジユズが誰なのか、という説明は恐らく意図的にされなかったが、ライルは即座に該当する人物を頭に思い浮かべられた。
執行団一番隊の副隊長。
弓を得物とする男性。
ピレイア島の「防衛」を担う者。
この先、彼が大きな障壁のひとつとして再び立ち塞がるであろうことは、想像に難くない。
既に執行団の手が加えられた形跡のあるピレイア島だが、ファストの話を信じるなら、中でも教会は念入りに改造されているようだ。
単なる拠点ではなく、戦場、酷ければ兵器として考えた方が妥当かもしれない。
ライルは思考を整理し終えると、ゆっくりと頷いた。
「そうか。じゃあとりあえず、どうにか上を目指そう。……俺たち今、地下に居るよな?」
「さあ? どうだろうな」
からかうようにファストは言う。
悪辣に振る舞っては素直な反応に調子を崩され、それでもまた嫌な振る舞いをするというのは、ある意味で根気強いと言えた。
「で、問題の道のりだけど……もしかしたら上に行くには、隠し通路みたいなのを使う必要があるのかもしれない。どう思う?」
「連中の好みそうな手段ではある。狂信者どもは秘密基地が好きらしいからな」
仮にもその一派に属しているくせ、ファストは小馬鹿にしたふうに言う。
あくまで自分は別、という考えなのだろう。
そんなファストの冷笑に返す言葉を迷いつつ、ライルは壁に手を添えて歩き始める。
隠し通路があるなら、それを出現させる機構があるはず。
そしてそれは恐らく、見つかりにくくも、利便性の維持のために操作の難解さは抑えられているはずだ。
ライルは注意深く五感を使い、違和感の有無を探る。
対するファストは漫然と歩を進めるのみ――に見えて、彼もまた周囲に注意を払っていた。
すると、その時である。
「あっ……!?」
「えっ?」
角を曲がろうとしたライルは、そこでばったりと鉢合わせをした。
相手は見覚えの無い、若い男の執行団員。
彼の手には、水の入ったコップと、固そうなパンを2つずつ乗せた盆がある。
どうやらライルとファストに、食事を持ってきたらしかった。
「浄化」なんて名ばかりの暴力を振るっておきながら、殺す気、死なせる気は本当に無いらしい。
ライルはその歪な善意に胸を締め付けられるのもほどほどに、降って湧いたこの事態をどう収拾させるか、頭をフル回転させる。
そうして1秒未満、ライルは手を伸ばす――が、その瞬間、彼の視界を黒い影が走り抜けた。
「うぐッ」
執行団員の男は壁に叩きつけられ、呻き声を上げる。
攻撃したのは言わずもがな、ファストだった。
ファストが影魔法を手元に戻すと、男はずるりと床に崩れ落ちる。
意識は既に無いようで、黒衣を纏った体はぐったりとしていた。
「おい! 殺してないだろうな?!」
ライルは慌てて男に駆け寄りながら、咎めるようにファストに言う。
「お前さん、こんな状況で随分と余裕だな。他人の命なんか心配してどうする?」
ライルか、執行団員の男か、あるいはその両方をファストは鼻で笑った。
彼の言い草は酷いものだが、しかし実際、彼らの置かれた状況からして、敵の心配をするというのは些か悠長と表現されても仕方がない行為である。
だがライルはあくまで、男の傍らに膝を付きつつ、きっぱりと言った。
「どうかしたいから心配するんじゃない。心配だからどうにかしたいんだ」
「はあ……。お前さんのせいで、また気分が悪くなってきた」
ファストは溜め息交じりに、ライルと男の横へと歩み寄る。
そして何をするかと思えば、男の上着、つまりは執行団の印が入った黒衣を剥ぎ取り、ぽいとライルに投げた。
「あ」
「狂人ごっこは嫌いか?」
挑発的に口角を上げ、ファストは首を傾げて見せる。
わかりづらい言語表現だが、動作と併せて考えるに、執行団員に変装することをライルに勧めているらしかった。
「……ありがとう」
ファストの意図を理解したライルは、そこに垣間見えなくも無い気遣いに似たものへ、感謝を口にする。
そうして執行団の男の命と身体に異常が無いことを確認し終えると、黒衣を羽織って立ち上がった。
「悪い、借りていく」
それから、ふと。
ライルは盆ごと床に転がったパンとコップを目にした。
コップに入っていた水はぶちまけられてしまっているが、パンは潰れず無事なままだ。
彼は少々考えたのち、その2つのパンを拾い上げた。
「ファスト」
片方のパンに付いた砂埃を払い、差し出す。
そのライルの行動に間髪入れず、ファストは顔をしかめた。
「嫌がらせか?」
「違う。多少無理してでも、何か食べないと身が持たないだろ」
ファストは確かに、ライルによって命を繋がれた。
だがそれは命の根源的な部分を支えられただけで、飢餓状態が続けばまた生命活動は危機に瀕する。
ゆえに、できることなら、ファストは今すぐにでも食事と休息を取るべきなのだ。
しかしながら、そんなことはファスト自身の心情に何ら影響しない。
彼はライルの善意を、悪意交じりに拒んだ。
「お前さんこそ腹を空かせているだろう? 譲ってやる」
「必要ないってわかってるくせに……」
今度はライルが顔を曇らせる。
彼の正体を知ったファストは、すなわち彼が究極的には食事を摂らなくて良いことも知っているのだ。
「じゃあ」
「触るな」
伸ばされかけたライルの手を、ファストは叩き落とす。
「次アレをやったらお前さんの秘密をお仲間にバラす」
「…………」
仕方なく、ライルは引き下がる。
フゲンたちに秘密を知られたくない、というのもあったが、ここまでの拒絶を押しのけることへの躊躇いもあった。
「お前、今までどうやって生きてきたんだ? 魔力で誤魔化すにも限界があるだろ?」
ファストに再び命の力を与えることはいったん諦めつつ、ライルは問う。
魔人族の中には、栄養補給を魔法で行う者も居る。
使い魔に動力源として魔力を供給する要領で、食事の代わりに魔力を消費するのだ。
けれどもそれはかなり高度な技術であるし、何よりずっとそれで生存していられるほど、人間の体は単純ではない。
命を繋げたことによる記憶の共有により、ライルはファストがあの裏切り以来、まともに食事ができなくなったことを知った。
それが執行団に入ってから余計に悪くなっていったことも、同様に。
あの調子ではじわじわと衰弱死してしまうと、医者でなくともわかるくらいの悪化具合だった。
「夢で見ていないのか?」
不愉快そうに眉をひそめ、ファストは問う。
「見てない。お前が……ヨライを、手に掛けるところまでしか」
ライルは言葉を慎重に選んで発言する。
その気配りは、顔にももろに出ていた。
「はは……。お前さん、まだ俺に気を遣う価値があると思ってるのか?」
何度目かわからない嘲笑を零し、ファストは言う。
「ま、いい。暇潰しに話してやる。俺はな、あの後――狂人に会ったんだ」




