209話 敵に夢を送る
「つーかお前、話戻るけどよ。別に執行団から抜けてもいいってことか?」
「ファストが望むなら」
ヨクヨは端的に、即答する。
彼の全ての判断基準は、ファストであるようだった。
「ならこの機に2人揃ってスッパリ辞めろよ。ぜってーその方が平和に生きられるぜ」
剣を手に斬りかかって来た執行団員を掴んで投げ飛ばし、フゲンは言う。
皮肉でも何でもない、彼なりの気遣いの言葉だった。
果たしてフゲンの善意を読み取れたらしく、ヨクヨは怒るでも反論するでもなく頷いた。
「そう思う。だが、少なくとも今のファストはそれを望んでいない」
またしても、「ファスト云々」だ。
まるで世の理と照らし合わせるように、彼は惜しげも無く語る。
あまりにも一途な姿勢。
だがそれは傍から見れば妄信的で、ある意味、他の執行団員たちの態度にも似ている。
フゲンは口をへの字に曲げ、片眉を上げた。
「結局なんだよ、あいつの目的って」
「汝に教える義理は無い」
「ちぇ、そーかよ」
暖簾に腕を押すかのように、どうにも今一つ手応えが無い。
本人にその気が有る無しに関わらず、肝心な部分を微妙に見せてくれない。
人として自然な関心、すなわち「相手のことを知りたい」という気持ちはまだフゲンの中にあったが、しかし当の相手がこの調子では何ともやりづらかった。
気になることは気になるし、さりとて無理に聞き出すのはさすがに悪いし、もうこの辺りで引き下がっておこうか……と、フゲンはしばし考え込む。
「うおっと」
と、思考を遮るかのように、魔法で作られた火球が彼の目の前をかすめた。
改めて振り返って後方を見れば、十数人が食らいつくように追跡してきている。
一見すると良くない状況だ。
が、追手の中にモンシュやシュリの姿があるのを見つけ、フゲンは上機嫌に笑んだ。
「モンシュたち、上手いこと紛れてるな……。おいヨクヨ! このまま教会の中に突っ込むぜ!」
「わかった」
既に教会は、彼らの目と鼻の先。
大切な者の待つ場所へと、フゲンとヨクヨは更に力強く、足場を蹴った。
***
重たい置物が床に落ちるように、ライルはハッと目を覚ました。
視界に映るのは床と壁、そして鉄格子。
自分が檻の中に居ることを認識し、彼はゆっくりと体を起こした。
「今のは……」
つい先ほどまで見ていた光景、出来事、すなわち夢を、ライルは思い返す。
とある少年の夢。
かつては「イッセン」と呼ばれ、やがて「ファスト」となった人間の夢。
その源が彼自身の過去の記憶であると、ほどなくライルは確信した。
後出しのように遅れて、多くの感情がライルの胸に溢れる。
感情は涙となり、今にも彼の目から零れ落ちそうになった。
だがライルはきつく瞼を閉じ、それを堪える。
泣くよりも先に、すべきことがあると判断したからだ。
「……よし」
どうにか涙を抑え込み、ライルは目を開く。
それから錠で拘束された自分の手に視線を落とした。
時間経過で毒が分解されていったのだろう、体の痺れは既に無くなっていた。
つまり、今ならいつも通りの力を出せる。
ライルは手を床に付けた。
ひやりとした温度が手のひらに伝わる。
間を置くこと、ひと呼吸分。
そうしてから彼は、手の上に足を乗せ、力いっぱい踏みつけた。
「ッく……!」
バキ、ゴキ、という音と共に、手の骨が砕かれる。
同時に皮膚もいくらか裂け、床に血がしたたり落ちた。
かくして強引に変形された手から、引っかかる場所を失った錠がすり抜ける。
途端に、ライルの体に魔力を操作する感覚が戻ってきた。
「…………」
ライルは無言で、今しがた自分で壊した手に治癒魔法をかける。
魔法は問題なく発動し、無惨な有様だった手は元通りに、何事も無かったかのように修復された。
続いて彼が発熱性の魔法で以て檻に触れれば、鉄格子はぐにゃりと曲がってその機能を失う。
魔法を封じた上で閉じ込めることを前提とした牢屋は、魔法を使えばいとも容易く破れるようだった。
悠々と檻から脱出したライルは、すぐさま同様の方法で鉄格子を除け、正面の檻へと侵入する。
檻の中ではいまだ、ファストが目を閉じて横たわっていた。
「ファスト」
ライルは彼の傍らに膝をつき、声をかける。
そっと穏やかに、呼びかけるがごとく。
ややあって、ファストの瞼がぴくりと動く。
かと思えばパチリと目が開き、彼は勢いよく起き上がった。
「っ……!?」
まるで夢から覚めたばかりのように、ファストは困惑した表情で、視線をあちらこちらにやる。
ひどく狼狽した様子だったが、しかしその顔色には生気が戻っていた。
「良かった。上手くいったみたいだな」
ホッと安堵の息を吐き、ライルは言う。
と、ファストは彼が居ることを明確に認識したらしく、ようやく焦点の定まった目で彼をきつく見据えた。
「お前さん……俺に何をした」
自分が瀕死であったことと、そこへ何らかの介入があったことは理解しているのだろう。
彼は未知の存在を威嚇する獣よろしく、ライルに疑心をぶつける。
対するライルは、少しばかり申し訳なさそうに眉を下げながら、至極落ち着いたふうに答えた。
「命を分けた。正確には、命を維持するための力を」
黄金色の瞳と、暗闇色の瞳が交わる。
ファストはライルの発言を疑う素振りは見せなかった。
だが一方で、より一層、語気に警戒の色を強めた。
「手錠は」
「いったん手を潰して抜けた。っと、そうだ。お前のも外すよ」
ライルは手を伸ばし、ファストの手錠に触れる。
そして魔法を使い、焼き菓子でも割るかのように易々と、彼の手を解放した。
その間、ファストは眉間に皺を寄せながらも黙って、されるがまま大人しくしていた。
自由になった手首を、不健康に細く白い指先が撫でる。
己が体を検分するがごとく、黒い瞳がゆっくりと動いて、視覚情報を取り込む。
それからファストはじとりと、再びライルの方に視線を向けた。
「妙な夢を見た。……『あれ』は、お前さんか」
「……ああ」
ライルは素直に頷いた。
諦めたような、ぎこちない笑みを浮かべて。
「はは! 傑作だな。そうかそうか、あんなものが、お前さんの正体ってわけか」
まだ少し掠れた声で、ファストは笑う。
ライルが少年の夢を見たのと同じく、ファストも夢を見ていたのだ。
未だ誰も知り得ないライルの秘密、その根幹を。
「滑稽そのものだ。ああ、茶番劇とも言うな。やるじゃないか、お前さん。詐欺師の才能があるぜ」
「みんなには黙っておいてくれ」
心底愉快そうに肩を揺らすファストに、ライルは言う。
しかしその声に動揺や焦りは無い。
こうなることは、命を分け与えると決めた時から、予測していたからだ。
「脅すならもっと上手くやれよ」
ファストは意地悪く目を細める。
が、ライルはきっぱりと首を横に振った。
「いいや、脅しじゃない。頼みだ」
ぴく、とファストの笑みが引きつる。
人道的で真摯な言葉は、彼の心臓を刺し得るもののようだった。
「……良いだろう。今のところは、な。秘密をバラされる『いつか』の時に、せいぜい怯えながら日々を過ごすといい」
「ありがとう」
ライルはまたもや、素直に言う。
不自然なくらいに凪いだ声色は、彼らしからぬ、底の見えない雰囲気を纏っていた。




