206話 命を
ヨクヨのなりふり構わない懇願に、フゲンたち6人はしばし閉口する。
まさかここまで、こんなふうに、頭を下げられるとは思ってもみなかったのだ。
が、その沈黙を破ったのは、カシャだった。
「……わかった」
場の面々の視線が、パッと彼女に集まる。
新緑の瞳をヨクヨへと真っ直ぐ向け、彼女は続けた。
「協力、しましょう」
腹をくくったような、あるいは断腸の思いであるような、複雑な表情でカシャは言う。
一筋縄ではいかない感情の原因は、もはや改めて確認するまでもないだろう。
「ただし今だけよ。私たちはライルを、あんたたちはファストを助けたらそれまで。救出に関係ないことには一切手を貸さないわ。……みんな、それでいい?」
「ああ!」
フゲンたちは頷く。
実のところ、彼らが返答に窮していたのは、最も執行団に対して引っかかりがあるであろう、カシャを案じてのことだった。
それが今、当の本人が「協力する」と決めたのなら、もう他に気にすることは無いと言って良かった。
「ありがとう」
ヨクヨは顔を上げ、感謝を口にする。
橙色の瞳は不気味に底知れなかったが、僅かに、そして確かに、情の色が揺らいでいた。
「……ねえ、その……本当にいいの? カシャ……」
やはり心配を堪えきれなかったのか、クオウがこそりと耳打ちをする。
彼女はカシャの事情を直接聞いているがゆえ、事の仔細までよくよく知っている。
だからこそ、カシャの心を誰よりも労わらんとしていた。
そんなクオウに、カシャはにこりと笑いかけた。
「ええ。『強いて罪人を罰するより、強いて病人を助けよ』……だものね」
「……?」
「聖典の言葉よ! 有名なやつ!」
引用が通じず、やや恥ずかしそうにカシャは補足する。
「なるほど! 初めて聞いたけれど、素敵な言葉ね」
対するクオウは無知への無用な恥など無しに、純粋に感激してみせた。
彼女のこういうところは、知識欲の点で長所とも言えるし、対人交渉の点でギリギリ短所とも言える。
「本当、ステキだわ」
と、おもむろにゼンゴが口を挟む。
クオウに追従して称賛する言葉だったが、しかしそれは限りなく薄っぺらかった。
それは無論、カシャにもクオウにも、他の面々にも丸わかりであり、ぎしりと油切れの歯車が軋むような間が生じる。
「あら? 共感は要らなかったかしら」
「嘘の共感は要らないわ」
カシャが眉間に皺を寄せて拒めば、ゼンゴは「うふふ」とおかしそうに笑った。
「よし、とにかく話は纏まったな。さっそく作戦を立てるぞ!」
フアクがパンパンと手を叩き、皆の意識は次なる本題へと向けられる。
この敵だらけの島で、囚われのライルとファストをどうやって助けるか。
真っ先に挙手したのは、シュリだった。
「まず確認したい。あなたたちは、この島の構造を完全に理解しているか?」
彼はゼンゴら二番隊の面々に問いかける。
「あんまり」
「俺たちは別に拠点があったから……ここには滅多に来なかったし、敢えて情報を共有されることも無かった」
グスクとシンフは首を横に振った。
執行団が重要視する地だから、執行団員なら誰もが良く知る――というわけではないようだ。
「なら地形を利用した小細工は、却ってしない方が良いわね」
うーん、とカシャは唸る。
地の利は圧倒的に相手方にある。
加えてこの島は、執行団員たちの挙動からして、あちら側にとって最適化されていると見て良い。
取れる手段は、いつもより特に狭まってくるに違いなかった。
「はい! わたしも質問いいかしら」
「どうぞ、お嬢さん」
ゼンゴが愉快そうにクオウを指名する。
彼女は何やら、以前戦ったクオウのことを気に入っているふうだった。
「わたしたちの顔って、執行団の人たちみんなに知られているの?」
「概ねそうと言える。要注意団体として、種族と身体的な特徴は大部分に知れ渡っている。ただそこの2人に関しては、情報がほとんど無い」
ヨクヨはそう答え、シュリとティガルの方を見やる。
一瞬、きょとんとする雷霆冒険団側だったが、フゲンがぽんと手を打った。
「あ、そっか。2人が直接やり合ったのは三番隊の奴らだけだし、あいつら全員連れてかれたもんな」
うんうんと頷き、フゲンは言う。
三番隊に逃げ延びた者が居ない限り、2人についての情報はそもそも伝達者が居ないことになる。
先程の教会で認識はされただろうが、まだそこまで詳しいことは知られていないはずだ。
「シンフさんたちは……?」
「普通に知られてる」
「とくにゼンゴ」
名指しされたゼンゴは、「一応、副隊長だものね」と笑う。
緊張感や危機感は、これっぽっちも感じられない声色だった。
「じゃあ……ベタな手だが、こういうのはどうだ」
しばしの思案を経て、フアクが軽く片手を上げる。
その口から説明されたのは、確かにベタな手段だったが――ほどなく、皆それに賛同するところとなった。
***
「ぐ、う……」
静まり返った牢の中、ライルは呻き声を上げて身を起こす。
「浄化」という名の暴行が終わり、執行団員たちは立ち去った。
まさしく嵐の過ぎ去った後。
彼に残されたのは、疲労感と全身に走る激痛だった。
だがライルは痛みをよそに、体を引きずって鉄格子へと身を寄せる。
視線の先は、向かいの牢で倒れたまま動かないファスト。
呼吸の有無さえ確認できない彼に、ライルは喉を震わせて懸命に呼びかけた。
「ファスト……ファスト、無事か? 俺の声が聞こえたら、返事してくれ!」
返る言葉は無い。
目を閉ざし、生々しい傷痕の残る体を横たえたファストは、ただひたすらに沈黙していた。
「ファスト!」
ライルはひときわ大きな声で叫ぶ。
脳裏には、ウロウ――執行団三番隊の隊員にして、同じ執行団の仲間によって命を奪われたあの女性の姿が浮かんでいた。
ライルたちと、執行団の間で僅かに揺れていた彼女。
それゆえに、ライルの目の前で殺された彼女。
こと切れたウロウの安らかな表情を、ライルは今も鮮明に思い出せる。
鮮明にしか、思い出せない。
執行団の所業と、歪んだ信心。
それにどう立ち向かうべきか、まだライルは答えを出せていない。
しかし確かに感じることがある。
――どんな人間でも、死んでほしくない。
――不当に命を奪われることなど、あってはならない。
ライルは、ウロウを死なせてしまったことを後悔している。
だから、もう二度と。
同じことは起こしたくなかった。
「ファスト、聞こえるか! 目を開けてくれ!」
折れた骨に響くのも構わず、ライルは叫ぶ。
まるで、神様に祈るように。
「……うる、さい……」
不意に、かすれた声がライルの耳に届く。
彼がハッとして言葉を止めれば、沈黙していたファストが、うっすらと瞼を持ち上げていた。
「ああ! 良かった、意識があったんだな!」
ライルは安堵のあまり、じわりと涙ぐみながら言う。
命があった。
まだ生きている。
その事実に、彼はこの上なく感謝した。
「げほっ……最悪だ……こんな、ところに来てまで……お前さんの喧しい声を……」
対するファストは、心底嫌そうに眉間に皺を寄せる。
こんな状況に重ねて、嫌いな相手に遭遇した不運にうんざりしているようだった。
「良い知らせだ! もうすぐフゲンたちが助けに来る。だから、もうちょっとだけ耐えてくれ!」
「は、は……馬鹿らしい……滑稽、だな……」
ファストはほとんど吐息のような、乾いた笑い声を発する。
どこまでも昏く、黒い目が、皮肉に歪められた。
「冗談なんかじゃない。フゲンたちは無事に離脱したはずだから、きっと来てくれる」
ライルは構わず、明るい声で返す。
彼は仲間の助けを信じていたし、それを伝えればファストに希望を持たせられるとも信じていた。
だが、しかし。
「どうかしている……今更……善意なんか……」
「?」
ファストの返事に、ライルは妙な噛み合わなさを感じる。
嫌味にしては、何やらズレているような心地だ。
「俺は……もう、とっくに……どうでもいい……」
「ファスト? なあ、俺の言葉、聞こえてるか?」
「……ライ……」
不明瞭な発話。
それを最後に、言葉が途絶える。
ファストの状態を瞬間的に察し、ライルはサッと顔を青ざめさせた。
「っおい! しっかりしろ!」
確かに、ファストはライルの呼びかけに反応した。
けれどもそれは、彼がまだ「持つ」ことの証明にはならない。
束の間の安心は跡形も無く消え去り、ライルは再び声を張り上げる。
「ファスト! ファスト!!」
何度叫べど、もうファストは目を開けはしなかった。
ライルは全身から、どんどん血の気が引いていく心地がした。
このままでは、ファストは死ぬ。
また、死なせてしまうのか。
恐ろしい想像がライルの頭を支配する。
手錠のせいで魔法は使えない。
体も、痺れと痛みで上手く動かない。
ファストを助けるために取れる手立てが、無い。
「こうなったら……!」
考えに考え、やがてライルは決断した。
とても、危うい決断を。
「ファスト……頼む、死ぬな……!」
彼は己の「命」に意識を向ける。
そうしてその力の一部を、切り取った。
言わずもがなそれは、人間の範疇を越えた芸当だった。
「もう、人が死ぬのは……嫌だ……っ!」
ライルはファストに向けて、「導線」を伸ばす。
まるで――魔女が使い魔に、命を与える時のように。
魔法ではない、もっと純粋な力を彼は行使する。
ふわりと、羽根が地面に落ちるがごとく、ライルの「導線」がファストに触れる。
命が、「導線」を伝う。
ライルからファストへ、命が渡る。
同時に、ライルの意識は、ふっと消え失せた。