204話 浄化
「そういえば、ライルはどうした? 別行動か?」
ふとフゲンたちを見回し、フアクは言う。
地底国でも分かれて行動していたことがあったのを思い出してか、悪い予想は特にしていないようだった。
が、現実は「悪い」方と言わざるを得ない。
フゲンはきゅっと唇を引き結び、それからゆっくりと答えた。
「いや……あいつは、オレたちを逃がすために囮になった。今頃……たぶん、捕まっちまってると思う」
「! そうか……」
フアクは眉を下げる。
しかしすぐにパッと笑みを浮かべると、自分の胸をトンと叩いた。
「ま、安心しろ。俺様が居るからには救出くらいすぐだ」
「協力してくれるのか?」
言って、目を丸くしたのはティガルだった。
まさかここまで人が好いとは、と言わんばかりに彼はフアクを凝視する。
対するフアクが返したのは得意げな表情だった。
「勿論。こういう悪事は大好きだ」
「ここから少し下るぞ」と足元の注意を促す言葉を挟み、フアクは続ける。
「実はな、少し前に味方を見つけたんだ。お前たちと同じような状況だから、あいつらも協力してくれるに違いないぞ」
「本当か!?」
徐々に陽の光が遠くなる景色の中、場の空気がいくらか明るくなる。
「敵の数が数ですから、1人でも仲間が増えるのは心強いですね」
「ええ。上手く助け合えたらいいわね」
モンシュとカシャは頷き合う。
圧倒的な多勢に無勢の状況下、戦力があるに越したことはない。
吉報に胸を沸かせながら、やがて一行は緩い坂を下り切る。
と、突き当たりの角の先から零れ出る、仄かな灯りが見えた。
どうやらそこに「味方」が居るらしい。
「戻った、俺様だ」
フアクは声をかけながら、角を曲がる。
続いてフゲンたち6人も、その空間へと足を踏み入れた。
――その瞬間。
「なっ……!?」
目に飛び込んできた光景に、彼らは絶句した。
フアクが案内したその場所には、確かに人が居た。
数は4人で、各々適当な岩などに腰かけている。
だが問題は、それが「誰」であるかだった。
驚愕するフゲンたちの様子に気付かず、フアクは4人を手で示す。
そうして、ほとんど決定的な事実を、さらに裏付ける言葉を口にした。
「紹介する。こいつらがさっき言ってた『味方』の、ゼンゴ、シンフ、グスク、ヨクヨだ」
***
真新しい白色の壁に、厳粛な光を灯す照明。
そんな通路を、ライルは執行団員に連れられて歩いていた。
否、歩いていた、というのは半ば正しくない。
彼は例の灰色の煙による痺れが全身に残っており、思うように体が動かなかった。
そのため、無理やり引きずられるように前進させられていた……というのが、より適切な表現だろう。
「なあ、これってどこに向かってるんだ?」
ライルは己の右側を行く男に問う。
前述の通り体が痺れたままではあるが、意識ははっきりしていたし、口も動かすことができた。
しかしかと言って、執行団の者たちが回答をくれるわけではない。
ライルに問いかけられた男は、ギロリと彼を睨んだ。
「黙れ、不届き者め。貴様の言葉はすべてが毒だ」
答えが得られないどころか、口ぶりからしてそもそも話すら通じ無さそうである。
小さく息を吐き、ライルは自分の手に視線を落とした。
今、彼の両手首には錠がはめられている。
それも、単なる拘束具ではない。
この錠があるせいで魔法が使えないことを、ライルは既に実感していた。
魔道具の一種。
ただ、「魔法を封じる」という効力のおまけとして、僅かながら人体に有害な影響がある。
感じ取れることと、頭の中の知識を合わせて、ライルは錠の性質を分析する。
とにかく良くないものであることは、確実だ。
「殺さないのか?」
次いでライルは、気になっていたことをもうひとつ尋ねる。
明確な答えが返って来ずとも、反応からその一端――ひいては彼らの目的を垣間見ることができないか、と期待を抱いて。
ところが男は、今度は素直に口を開いた。
「貴様にも浄化を施すようにとの命が下っている。ジユズ様の寛大な心に感謝するが良い」
「『にも』……?」
「立ち止まるな、歩け」
なぜ回答が得られたのか、『浄化』とは何を指すのか、『にも』とはどういうことか。
ぽこぽこと疑問が浮かぶライルを、男は容赦なく小突く。
その仕草からして、追加の情報はもう与えてくれそうになかった。
ライルは仕方なく、執行団員たちに引かれるまま、よたよたと進む。
通路は曲がりくねっており、また長く、迷路のようにどこまでも続いていた。
そんな具合で行くことしばらく。
とある角を曲がったところで、景色がガラリと変わった。
それまでは照明があるだけの簡素な通路であったところ、ライルの目の前に現れたのは、左右に牢の並ぶ明らかな監禁設備。
さほど広くも狭くもない牢は、通路の突き当たりまで、左右合わせておよそ10ほど連なっていた。
なるほどここに収容されるのか、とライルは納得しながら、執行団員たちに急かされ進んでいく。
不確定要素はあるものの、今すぐ殺されないのであればどうにでもなる。
まあ、首を刎ねられても死なないライルを殺す方法は、ごく限られているのだが。
ライルは緊張半分、余裕半分だった。
しかし。
「っ!?」
通りすがり、視界に入ってきたものに、彼はにわかに動揺した。
それは、牢のひとつの中に横たわる人間。
赤い髪を持った、長身痩躯の男。
あまりにも見覚えのある彼の姿に、ライルは思わず声を上げた。
「お前っ、ファスト!?」
そう、牢の中に転がされていたのは、執行団は二番隊の隊長にして、何度か雷霆冒険団と対峙した魔人族の男、ファストだった。
「待てお前ら、なんでファストを閉じ込めてるんだ!? 執行団の仲間だろ? 何が――うわっ」
困惑に任せてまくしたてるライルを、執行団員たちは無慈悲に突き飛ばす。
その先は、ファストが居るところの、ちょうど向かい側の牢だった。
ライルは受け身を取ることができずに、硬い床に体を強打する。
鈍い痛みが痺れに交じり、彼は少々顔を歪めた。
「貴様が言うか、ファスト様を穢した罪人め!」
そんな彼に、執行団員の1人が声を荒げる。
はて、『穢した』『罪人』とは、何のことか。
意味不明な言い分に、ライルは答えに窮する。
その表情をどう捉えたのか、執行団員は一段と声を張った。
「わからないか? ファスト様は貴様ら冒険者の穢れに毒され、その美しき魂を失ってしまったのだ!」
「故にこうして、我々は浄化を試みている。ファスト様が美しい魂を取り戻せるようにな……」
黙っていた方の執行団員が、後ろに視線をやる。
すると示し合わせたかのように、ライルが来たのとは逆の方向から、数人の執行団員がやってきた。
彼らは皆、先の方に装飾を施した長い杖を持っており、それをカツカツと規則的に鳴らしながら、ファストの居る牢へと入っていく。
「浄化、って……お前らいったい何を……!」
いやに丈夫そうで重たそうな杖に、ライルは嫌なものを感じ取る。
執行団の思想と行動の過激さからして、有り得なくはないことが、彼の脳裏に思い浮かべられた。
「貴様の浄化は後だ。まずはファスト様をお救いしなければ。同志たちよ、後は頼んだぞ」
そう言って、ライルを連れてきた執行団員たちは場を去る。
「おい! 待て!」
ライルが叫べど、彼らが聞く耳を持つはずもない。
残った執行団員たちは、そっとファストに声をかけた。
「ファスト様、お目覚めください。本日も浄化の儀に参りました」
「う……」
呻き声と共に、ファストはうっすらと目を開く。
掠れた声からも、覇気のない目つきからも、彼が弱っていることは明らかだった。
「ここが堪えどころです。我々一同、力を尽くしてあなたをお救いいたしますから……どうかファスト様も」
心から相手を思いやるような声色で、執行団員は語りかける。
そして全員で輪になり、倒れたままのファストを囲って、杖を掲げた。
「聖なる杖よ、この者の穢れを取り払いたまえ」
「聖なる杖よ、この者の穢れを取り払いたまえ」
彼らの声が、異様なほどにぴたりと揃う。
次の瞬間、灯りに照らされた杖が、一斉に振り下ろされた。
「がッ……!」
ぼご、という鈍い音が響く。
ファストはびくりと体を震わせるが、抵抗などはしなかった。
その手首には、ライルにはめられているのと同じ手錠が、ずしりと絡みついていた。
「っ何してるんだ! やめろ!」
ライルは血相を変えて叫ぶ。
が、執行団員たちは手を止めない。
何度も何度も、動きを揃えて、ファストに杖を振り下ろす。
まるでそれが、崇高な義務であるかのように。
「ぐ……うッ……ア、あ゛っ」
もはや悲鳴ですらない、ただ殴打の衝撃で空気が押し出されるだけの声が、ファストの口から零れる。
杖が当たるたびに体が撥ねるのも、反射的な動きでしかなかった。
「そいつは衰弱してる! 見たらわかるだろ!? なあ!手を止めろ、死んじまうぞ!」
痺れる体を引きずり、ライルは檻に体を叩きつける。
涙を流し、喉が裂けそうなくらいに叫び、訴える。
魔法が使えなければ、体に力も上手く入らない今、そんなことをしても無駄だとわかっていても。
眼前の光景を黙って見ているなど、彼には到底できなかった。
だがそれでも、凄惨な暴行は止まらない。
善意と使命感の『浄化』は、黙々と続けられた。
「っ……おえ゛ッ……」
やがて暴力の雨に体が耐え兼ね、ファストは嘔吐する。
吐瀉物に食物の残骸はひとかけらも交ざっておらず、恐らくは胃液が吐き出されただけだった。
それを見、執行団員の1人が片手を上げる。
「止め」
途端に、全員がぴたりと動きを止める。
杖は下ろされ、暴行など何も無かったかのごとく、しゃんと姿勢が正された。
「良い調子です、ファスト様。また明日も参りますね」
執行団員は浅い呼吸を繰り返すファストに微笑みかけ、他の面々を連れて牢を出る。
そしてしっかりと施錠をすると、その足でライルの居る牢へと移動した。
「さあ、次は貴様だ」
「お前ら、なんてことを……!」
ライルは力の入らない拳を握りしめる。
なぜ、などということは頭に無い。
ただ斯様な残虐極まる行為に、それを仲間に平然とはたらく者たちに、焼け付くような悲しみが込み上げていた。
「聖なる杖よ、この者の穢れを取り払いたまえ」
執行団員たちの冷え冷えとした声が響く。
牢の中の壁は、ひどく白かった。