199話 既にそこは
「さて、どうしたもんかな」
町中をぶらりぶらりと歩きながら、ライルは思案する。
思わぬところで発生した、「あるはずの島が無い」という予想外。
それは自然、島ひとつ分、足がかりが失われたのと同じことだ。
計画破綻にはまだほど遠いが、地図と実際の地形の食い違いも含め、少し歯車が嚙み合わないような状況である。
「これ以上先に島が無いとしても、進路は同じだ」
と、そこへシュリが意見する。
次いでティガルも口を開いた。
「シュリの言う通りだな。どっちにしろ最後は海を渡って『方舟』に向かう手筈だったんだ。予定よりちょっと早く陸地から出るってだけだろ」
「ま、そうだな」
どのみちか、とライルは首肯する。
無いものは無いのだから、取れる手段で以て先へ進もう、と彼の頭は結論付けた。
「じゃあさっそく舟を探しましょう!」
クオウは好奇心と期待感をまるきり顔に出し、はりきって足を進める。
一応、彼女も難破経験者だが、懲りてなどは一切ないようだった。
かくして雷霆冒険団は、島の外側を、海岸線に沿ってぐるりと回ることに。
小さなこの島は全土が「海に近い」と言えるが、舟を保有している者ならば沿岸に住んでいるだろう、との推測による進路だ。
そうして穏やかな白波を横目に行くことしばらく。
彼らは島の南東部にて、網の整備をしている若い漁師に遭遇した。
「舟? 今は使ってない古いのなら貸してやれるが……ちょいとばかり修理が要るぞ」
ライルたちの話を聞き、漁師はやや訝しみながらも、嫌な顔はしなかった。
彼が親指でクイっと示したのは、少し離れた場所にある小屋。
どうやらそこに、古い舟が保管してあるらしかった。
「ああ、構わない。その辺りは自分たちでどうにかするよ」
多少修理が必要なくらい、さしたる問題ではない。
最悪、穴さえ開いていなければ――実際にそうかはさておき、ライルの認識上は――どうにかなる。
ライルは漁師の厚意に笑顔で返した。
「そうか? まあ、あんたらが良いならそれで……」
「よっしゃ! 助かるぜ」
今度はフゲンが歓喜の声を上げる。
その様子に漁師は気をよくしたようで、「まあな、これくらい」と繰り返し言った。
「にしても、船なら定期的に出てるのになんでまた」
「定期便があるのは北の島と行き来するやつだろ? 俺たち、ちょっと別方向に用があるんだ」
ライルがそう言うと、緩みかけていた漁師の口元がぴりっと強張った。
「……まさか南か?」
「ああ、そう――」
「やめとけ」
強い語気で、答えかけた言葉が遮られる。
ライルは少々面食らい、改めて漁師の顔を見た。
そこには笑みなどとうに無く、浮かぶ表情は険しいばかりだった。
「南なんて行くもんじゃない。死ぬより恐ろしい目に遭うぞ。どうしても南方に行きたいなら、手間だが大陸から迂回するんだ」
「『無明の海域』ってそんなに危ないの?」
先ほどの料理店で聞いた話を思い出しつつ、クオウが問いかける。
濃い霧の立ち込める場所、『無明の海域』。
この島の南にはそれがあると、料理店の女性は言っていた。
まだまだ海上の行き方には疎いライルたちは、漁師の警告に感覚的な納得はできなかったが、しかし海をよく知る者が言うならそうなのだろうと、理解する。
だが漁師はそんな彼らに、重々しく首を横に振った。
「……海域じゃない」
震える息を吸って、吐いて、彼は続ける。
「危ないのは……海域の先だ」
いやに曖昧なその言い草に、不満げな声を出したのはティガルだった。
「まどろっこしいな。はっきり言えよ」
「ちょっと、ティガル」
カシャが咎めるも、ティガルは全く意に介さず、漁師に厳しい視線を向ける。
すると漁師はちらりと彼を一瞥し、観念したように口を開いた。
「執行団」
短い言葉が、ごく簡素に滑り出る。
しかしそれだけで、途端に場の空気が一段張り詰めた。
執行団。
その言葉が指すもの、それが積み上げてきた業、これまでの衝突……今一度わざわざ思い出さずとも、ライルたちの脳裏には自然と蘇った。
「『無明の海域』を抜けた先に、ひとつだけ島がある。そこは普通の島じゃない。ここの連中はみんな知ってることだ。あそこは……執行団の連中が占拠してるんだよ」
「道理で……」
ライルは呻くように呟く。
キエに貰った地図には、やはり間違いは無かった。
一方で、料理店の女性の善意もまた、本物だったに違いない。
女性はきっとライルたちの身を案じて、南に島など無いと嘘を吐いたのだ。
「俺は3年前まで、あの島に住んでたんだ。けどある日、ここは神に選ばれた地だとか何とか言って、あいつらが乗り込んできて……逆らった奴はみんな……」
血が出そうなほど拳を握りしめ、漁師は言う。
途切れ途切れの言葉でも、いったいかつて何があったのか、十分すぎるほどに語られていた。
雷霆冒険団の面々が直接目にした範囲だけでも、執行団の横暴は目に余る。
遺跡の占拠、街への放火、先日に至っては天上国の王にまで手を出そうとした、その不遜さと制御の利かなさ。
歪曲した信仰心で島を乗っ取るという暴挙も、有り得なくはないと誰もが悪い意味で納得できた。
戦闘力も相まって、彼らの暴走は一般人にはとても止められるものではない。
かと言って軍は未だ様々なしがらみによって、討伐には及び腰の状態だ。
執行団に対し取れる対処法は、「近付かない」ことだけ――そう判断した漁師たちは、何も間違ってはいない。
しかしながら。
「じゃあなおさら、行くしかないわね」
雷霆冒険団は、別だ。
カシャがきっぱりと声を上げれば、ライルたち他の面々も既に腹を決めていた。
執行団を相手に逃げる道は無いと。
「おい、話聞いてたか?! あんたらは執行団の恐ろしさを知らないかもしれないがな!」
「知ってるわ」
半ば怒りながらも説得しようとする漁師に、カシャは落ち着いた声色で返す。
「私もあいつらに肉親を殺された。あの残忍さも、狡猾さも、よく知ってる」
彼女の瞳の奥では、炎が燃えていた。
いつもそうだ。
カシャの目には、いつもあの日の炎が映っている。
ライルも、フゲンも、モンシュも、クオウも、シュリも、ティガルも。
みな既に、執行団の横暴を見過ごせる場所には居なかった。
「心配してくれてありがとう。でも俺たちは、このまま進むよ」
後押しするようにライルが言えば、漁師は少しうつむいた。
「……そうか」
小さく呟き、それから困ったような顔で、改めてライルたちを見る。
「なら、俺はせめて神に祈っておく。あんたらが死なないようにな」
彼は視界にちらつく太陽の光に、目を細めた。




