198話 無い島
某日、昼下がり。
海上にぷかりと浮かんだ小ぶりの島に、一隻の舟が着いた。
舟に乗っているのは船頭1人、それから乗客が7人――ライルたち雷霆冒険団だ。
海鳥のせわしなく飛び回る下、彼らは年季の入った桟橋に足を付け、陸に上がっていく。
「ありがとう。助かったよ」
「お安い御用だ。それじゃ、良い旅を」
ライルから舟渡しの代金を受け取り、船頭は再び舟に乗って来た方へと漕ぎ出した。
空は快晴、見渡す限り怪しい雲は無い。
ライルは船頭が無事に帰れるであろうことに安心しつつ、視線を海から陸の方へと移した。
「これで島はあと1個だな」
「いよいよ近付いて来たわね、『方舟』!」
両手をぐっと握りしめ、気合十分にクオウは言う。
天上国から地上国へと戻ってきた雷霆冒険団は今度こそ、『方舟』があるかもしれない場所に向けての前進を再開した。
以前のように盗賊団に強襲されることも、船乗りに騙されることもなく、順当に歩を進めていくこと十数日。
ようやく暫定・『方舟』の位置へと連なる島々のうち、最後から数えて2つめに到着したところなのである。
「上手い具合に舟が出てれば、今日中に最後の島に着けるかもな」
フゲンは太陽の傾きを見ながら、しばしの船路で固まった体をぐぐっと伸ばす。
この島々を渡るにあたって最も難点となるのは、出ている舟便の少なさだった。
もとより人が少なければ、流通の要というわけでもないこの地域、島同士を行き来する舟もそう頻繁には出ない。
具体的に言えば、舟の定期便というのは、多い島でも3日に1回くらいのものだった。
7人全員の力を合わせて無茶をすれば、舟なしで渡ることも可能ではあるが……海上で痛い目を見た経験者若干名を含む彼らは、こと海においては少々慎重である。
『方舟』にいざ乗り込むその時ならまだしも、その形も見えない場所からいろいろと消耗するのは得策ではない。
そんなふうに考えられるほどの理性を、幸いにも彼らは持っていた。
ともかく、肝要なのはいかに効率よく定期便を捕まえられるか。
フゲンの言う通り、できるだけ早く次の島へ渡る舟に関する情報を得たいところだ。
しかし彼らが、1歩を踏み出しかけたその時。
きゅるる、と誰かの腹の虫が鳴いた。
しかも独奏ではなく、二、三重奏で。
「……お昼ごはんを食べがてら、訊いてみましょうか」
苦笑しながら、カシャは言う。
反対する者は居なかった。
***
さて、ライルたちは島民からの物珍しげな視線をちらほらと集めつつ、島の中ほどにある1軒の料理店へと足を踏み入れた。
20人も入れば満員かというほどの小さな店は、中年の男女が2人で切り盛りしているようだった。
彼らは見るからに余所から来たライルたちを歓迎し、ライルたちもまた気兼ねなく言葉を交わしつつ、料理を注文する。
ほどなく、女性が厨房の方から出てきて、大皿をライルたちの机に置いた。
「おまちどおさま! 魚介の香草焼きね!」
その皿の大きさと、そこに乗った種々様々な魚介の量に、雷霆冒険団は静かにざわつく。
彼らは手持ちの金銭の都合上、4人前で注文をしていたからだ。
目の前のこれは、どう見ても4人前どころではない。
恐らくその倍――それこそ7人分の腹を満たせるくらいには、たっぷりとある。
注文の時言い間違えたっけ?
いや、確かに4で頼んだはず。
一瞬のうちに、そんな視線がいくつも飛び交った。
「おいおい、こんなに山盛りいいのかよ? オレら頼んだの4人前だぜ?」
「いいの! あんたらみんな若いんだし、沢山食べて元気に旅しな! あとこれおまけ」
快活に笑いながら、女性は魚骨の素揚げが盛られた小鉢を置く。
かなりの気前の良さだ。
「ありがとうございます……!」
「ん、ごゆっくり」
女性の言った通り、加えて見ての通り、雷霆冒険団は若者ばかりである。
特に体の大きなシュリや運動量の多いフゲンはよく食べるため、女性ひいてはこの店の厚意は、願ってもみないことだった。
「うめえ! 何て魚だこれ」
「イナジ科のムサってやつだな。温暖な海に多く生息してる」
「お顔が可愛いわ。ね!」
「そ、そう……だな……?」
「無理に同意しなくていいわよ、シュリ」
「ええと、でも美味しいのは確かですよね」
「まあまあだな」
あれやこれやと賑やかに言葉を交わしながら、ライルたちは海の幸を楽しむ。
美味しいものを、親しい者たちと共に、思い切り食べられると来れば、もう食事においてこれ以上は無い。
山盛りの料理はあっという間に減っていき、やがて彼らの腹を満たすのとほぼ同時に、皿は空っぽになった。
「はー食った食った! ごちそうさま!」
「美味しかった。ありがとう」
「どういたしまして!」
ライルたちの声に応じるかのごとく、厨房の方から女性がひょこりと出てくる。
彼女の奥には男性の姿もちらりと見えており、2人とも満足げな笑みを湛えていた。
ライルは代金を払うべく財布の紐を緩めつつ、本当に4人前分だけのお金で良いのかと尋ねようとする。
だが、最初の「ほ」を発音するより先に。
「魚介の香草焼き4人前、まいどあり!」
――そう、女性に宣言されてしまった。
ここまでさっぱりと言われては、食い下がる方が却って失礼というもの。
「ありがとう」ともう一度良い、ライルは4人前だけの金銭を彼女に渡した。
「そうだ。なあ、ここからもう1つ南の島に行く舟って、どれくらいの周期で出てるんだ?」
と、ライルは嬉しいアクシデントでつい忘れそうになっていたことを訊く。
彼の言葉を聞いたフゲンやクオウあたりが、背後でハッとした顔をしており、どうやら彼らは全く忘れていたらしかった。
さておき、次の島への舟云々は必要不可欠な情報だ。
雷霆冒険団の面々は答えを聞き漏らすまいと、耳を傾ける。
しかし女性は、不思議そうに首を傾げた。
「もう1つ南? いや、そんな島は無いよ。ここらの列島じゃうちが最南端だからね」
「あれ? そうなのか?」
ライルはいったん後ろを向き、他6名と顔を突き合わせる。
「地図読み違えたか?」
「ううん、確かにもう1つあるはずよ」
「地図が間違ってるとか……?」
「仮にも海底国の巫女に貰ったやつだぞ」
「反映されてる情報が古い……っていうことも無いですよね」
はてさていったいどうしたことか。
揃って眉間に皺を寄せる彼らに、事情を知らぬ女性からは怪訝な視線が向けられた。
「大丈夫かい?」
「あ、ああ。悪かったな、変なこと聞いて」
「いいってことさ。旅の途中で道を間違えるのは、よくあることだよ」
そう言って、女性はまた快活に笑う。
何も毒気など無いように見える表情だった。
「でもそうだね、ここから南に島は無いけど……しばらく行くと、濃い霧まみれの『無明の海域』ってのが広がってるから気を付けるんだよ」
彼女は最後にそんな助言を残し、話を終わらせる。
いきなり現れた「あるはずの島が無い」という謎にぶつかったライルたちだったが、女性相手にはこれ以上追及のしようも無く、とりあえず店を後にするしかなかった。