197話 将来の話
ピンドーラの演説が終わる頃には、ツイナとフーマはそそくさと荷物をまとめて帰りの支度を整えていた。
「じゃ、おれたちは一足先に帰らせてもらうね」
城の客室にて、バルコニーから戻ってきたピンドーラやライルたちに、ツイナは言う。
彼らは元々完全に巻き込まれた側であるからして、事が収束すればもう留まる理由は無かった。
「リンネさんによろしくお伝えくださいまし」
ケサは今にも帰ろうとする2人を引き留めようとはせず、端的に言葉を発する。
あちこち包帯で巻かれた姿が痛々しいが、彼女はあくまですまし顔を保っていた。
「今回のことは、伝えて良いんですね?」
「ええ。罪滅ぼしではありませんけれど」
「わかりました」
フーマは頷く。
「此度の顛末について、全て地上国軍へ報告して構わないものとする」。
昨晩、今後についてフーマ、ツイナとピンドーラやケサたちが話し合った結果、出た結論がそれだった。
天上国が雷霆冒険団を手駒にしようと試みたことも、今回のクーデター未遂も、他国に知られれば天上国にとって不利になることだらけだ。
しかしそれでも、ピンドーラたちはフーマたちに口止めすることを選ばなかった。
それが彼女らなりの詫びであり、矜持なのだろう。
ツイナとフーマは、ピンドーラたちに背を向ける。
その後ろ姿は、冷淡にも見えた。
「ねえフーマ。きみ、あんまり報告する気無いでしょ」
「黙ってろ!」
……見えた、だけだった。
いつもの調子でやいのやいのと騒がしく言葉を交わしながら、2人は去っていく。
彼らの姿が見えなくなったのち、ピンドーラはくるりと振り返った。
「そなたらはどうする。好きなだけ滞在していって良いぞ」
問いかけられたライルたちは、少し顔を見合わせる。
そうして互いの意志を、概ね把握し合った。
「俺たちももう帰るよ。手がかり探しついでに、ちょっとだけ見て回ったら」
全員が話す代わりに、ライルが答える。
ピンドーラはそれを聞き、少々寂しそうに眉を下げたが、すぐに気丈な笑みを浮かべた。
「そうか。達者でな」
「ああ、お前も元気で」
その言葉を最後に、ライルたちも城を後にする。
別れとしては存外呆気ないが、彼らに後ろ髪を引かれる思いは無い。
むしろ見届けるべきもの――バルコニーでのピンドーラの演説を、しかと見届けられたという安堵に似た充足感があった。
「さて、これからは……とりあえず『方舟』に向かって再出発! だな」
「そうね。地上国に降りて、もう一度島を辿っていきましょう」
「なんかイイ感じの場所に降れる気流とか、ありゃあいいんだがな」
のんびりと進路について話し合いながら、一行は城の門を出、城下町へと歩を進める。
昨晩の騒動はまだ民衆には知れ渡り切っていないのか、城下町は見た限り「普通」の賑わいを見せていた。
「そういえばこの辺り、あまり高い建物が無いのね」
下降便――天上国から地上国へ降りるための、業者による輸送便のこと――の発着場に向かう道中、ふとクオウが言う。
彼女は周囲をきょろきょろと見回しており、その言葉に違わず、視界に入る限りの建物は皆、1階建てか2階建てのものばかりだった。
「天上国ではどこでもこうですよ。島と島の間を飛んで渡りますし、街の上空を飛ぶこともあるので、建物は低くて頑丈なものばかりなんです」
「なるほど、理にかなってるわね!」
モンシュが端的に説明すれば、クオウは感嘆の声を零す。
彼女は初めて触れる異国の町の造形に、興味津々のようだった。
「じゃ、あれは例外か?」
と、今度はフゲンが疑問を呈する。
指差したのは、やや遠方に佇む白い塔だった。
「はい。風見の塔は、気象観測や飛行中の人の誘導に使われますから。夜には灯台の役目も果たすんですよ」
「町全体が、『飛ぶ』ことを前提として形作られているのか」
クオウほど目に見えてはいないが、シュリもまた興味深そうに町を観察する。
地底国ではまず考えられない「空」が人里と一体化しているという点は、彼にとってかなり新鮮であった。
「パッと見た感じは地上国と同じっぽいけど、案外あちこち違うもんだな」
言いながら、ライルはくるくると視線を回す。
そうしているうちに、彼の視界に1つの堅牢な建物が入ってきた。
「お、あれはちょっとデカいな。何の施設だ?」
「国立の高等学校です」
「学校! 立派なもんだな」
ライルは改めて建物を観察する。
広く幅を取って建てられているそれは、屋敷や城というには飾り気が無く、言われてみれば学校然とした佇まいだった。
「モンシュは中等学校まで進んでたんだっけ?」
「はい。村の皆さんの助けもあって、何とか」
控えめに、それでいて村人たちの厚意を思い返してか嬉しそうに、モンシュは言う。
彼の脳裏には、己を中等学校へと送り出してくれた村人たちの、善意と期待に満ちた表情が、鮮明に浮かんでいた。
「良いわね、学校。同い年くらいの人たちと一緒に勉強できるのよね?」
「随分と食いつくな」
目を輝かせるクオウに、ティガルが素っ気なく横やりを入れる。
少々、眩しそうに目を細めながら。
「ティガルは行ってみたくない?」
「別に」
ぷい、と彼はそっぽを向く。
混じりけ無しの本心、とは断定できない反応だ。
「そういや、シュリは学校行ってたのか?」
会話が途切れるより先に、フゲンがふと思い立ったままの言葉を発する。
シュリは記憶を探るような素振りを見せつつ、「一応……初等学校まで」と無難に返答した。
「オレも初等の途中までだな。カシャはどうだ?」
「私? 行ってないわよ。興味はあったけど……」
「俺も気になるけど、通ったこと無いなあ」
カシャに続くように、ライルは呟くように言葉を零す。
彼の声色には、他の誰よりも、羨ましさが滲み出ていた。
フゲンはそんなライルの顔を見る。
それから、ニコリと笑った。
「なら将来の楽しみってとこだな」
「将来?」
思わぬ単語に、ライルは目を丸くする。
対するフゲンは、当たり前にあるものを語るように続けた。
「おう。『箱庭』に着いた後って意味でな」
「将来……そうか。将来、な」
ほんの僅かに、金色の瞳が揺れる。
将来。
ライルにとっては、考えてもみない「可能性」だった。
なぜなら、彼は知っているからだ。
『箱庭』に辿り着いたその後に、自分の道はもう続かないことを。
「あっ! 見て、あれ!」
クオウに肩を揺さぶられ、ライルはハッと顔を上げる。
彼女の指さす方を見てみれば、そこでは先ほどまで居た天上国城が、太陽に照らされて宝石のごとく煌めいていた。
「綺麗ね……」
カシャの感嘆の声に、ライルは静かに共感する。
元より荘厳な城は、日の光を浴びることでいっそう立派に見えた。
ライルはそこに居るであろう、ピンドーラに思いを馳せる。
彼女は自ら、王であることを決意した。
ケサやシキ、ミトラを始めとし、彼女を支える者は多く居るに違いない。
だが同時に今回の事件のごとく、彼女の邪魔をする者もまだ居るのだろう。
其が行くは苦悩の道。
しかし、その先にはきっと報われる「将来」がある。
そんな予感と願いを胸に、ライルはしばらく、城を眺め続けた。