196話 幼子は若者に
「フゲン! 無事であったか」
無事どころか手土産まで狩ってきた彼に、ピンドーラはパッと顔を明るくする。
宰相がどうのより、フゲンがさしたる傷も無く帰ってきたことに気が向いているようだった。
「もちろん。ついでにシュリたちの方も手伝ってきた」
と、フゲンが親指で後ろを指せば、彼の空けた穴からシュリ、フーマ、ツイナがぞろぞろと出てくる。
どうやら勢いが有り余ったらしい。
「滅茶苦茶すぎるだろこいつ……」
「あの暴れ方して良いなら、俺が竜態になって暴れても良かったんじゃない?」
生傷を負いつつ、それより心的疲労が酷そうな様子のフーマと、同じく生傷をいくらか負ったツイナが顔を見合わせながら言う。
何ら制約を受けていない状態のフゲンが、よっぽどだったのだろう。
「あんなのありか」というぼやきが、両者――珍しくツイナにも、である――の顔にありありと浮かんでいた。
一方のシュリはというと、いつも通りの感情に乏しい表情だ。
が、その目元には確かに、苦笑と慈愛の入り混じった色があった。
「つーかこれって……」
フゲンは宰相を床に放り、首を傾げる。
特に戦闘態勢ではない仲間たち、心身共に元気そうなピンドーラ、負傷しているが一行に合流しているケサ、そして何やら位の高そうな軍人と、その近くで見るからに降参している別の軍人。
これらの情報を総合してしばし考えた末、フゲンは「なんかもう解決し始めてる感じか?」と続けた。
「ほとんどな、おかげさまで」
ライルは笑って答える。
「宰相たちを止める」という目標がフゲンのひと暴れに後押しされ、既に達成されていたなら、後もう1歩といったところだ。
思わぬところで、工程がひとつ省けた形になる。
「なんだ。それじゃ、最初っから思い切り暴れときゃ良かったなァ」
「それは結果論よ。相手がどこまで悪辣なのか、どこまで遠慮なく戦っていいのか、ひと目でわかったら苦労しないわ。特に今回みたいな時はね」
残念そうに、そしてこの期に及んでまだ物足りなさそうに言うフゲンを、カシャがたしなめる。
彼女の言うように、今回は権力や立場が絡む、一筋縄ではいかない事件だった。
例えば海底国の1件では、巫女を狙うアグヴィル協会という明確な「公の敵」が居たが、今回はライルたちがそれであった。
下手に武力を行使しすぎると雷霆冒険団はおろかピンドーラにも悪影響が及ぶ、実に厄介な状況に面していたと言える。
最初から全力で暴れていたら、ピンドーラを命の面では救えても、社会的に救うことは難しくなっていたに違いなかった。
「で、こいつら縛り上げりゃいいのか?」
「そうですね……大人しくしていてもらえるとは思いますが、念のため」
「お、モンシュ縄持ってたのか?」
「はい。塔から移動する前に、ピンドーラさんが持たせてくれました」
ライルたちはあれこれと言葉を交わしながら、宰相や中将を拘束していく。
事がひと段落した後の緩やかな空気が、彼らの間には流れていた。
そうして、概ね捕縛も完了した頃、ミトラが不意に口を開いた。
「雷霆冒険団の皆さん、そして地上国軍のお2人」
いったん言葉を区切った彼は、深々と頭を下げて続ける。
「我が君を守り抜いてくださり、本当にありがとうございました。この御恩は、私の持ち得る力を全て使って返させていただきます」
「私からもお礼と、謝罪を。最初から最後まで、ひどくご迷惑をおかけしましたわ」
ケサもまた彼に続き、頭を垂れた。
仇を恩で返されたからには、礼のひとつも無いままではいられない――とでも言うかのように。
「いいよ、おかげでピンドーラを助けられたんだから」
ライルはあっけらかんと、謝罪の受け取りを遠慮する。
「ふん。まあ、怪我の功名ってことにしといてやる」
次いでティガルがそう言えば、1歩引いて見ていたカシャが目を丸くした。
「あら、珍しい。『面倒事に巻き込みやがって』とか言わないのね」
「別に!」
ティガルはぷいっとそっぽを向く。
却ってわかりやすい感情表現だった。
「俺はもう、隊長たちの所に帰してくれるなら何でもいい……」
「強請らないの?」
「馬鹿」
若干本気にも聞こえかねないトーンで軽口を叩くツイナを、フーマが軽くはたく。
てんやわんやを経てくたびれた様子ながら、案外いつも通りでもあるやり取りだ。
「そうだ、君」
ふと思い出したかのように、ミトラが手を叩く。
視線を向けた先は、モンシュだった。
「僕ですか?」
モンシュは突然の指名に、何かあっただろうかと首を傾げる。
少し緊張した面持ちの彼にミトラは歩み寄る。
そして、何をするかと思えば。
「大きくなりましたね」
そう言って、ただ穏やかに微笑んだ。
「? はい……ええと、どこかでお会いしましたか?」
困惑気味に、モンシュは尋ねる。
いたずらやからかいではないことは何となく理解していたが、それはそうと心当たりが無かったのだ。
しかし彼の疑問を、ミトラはその長い髪を少し揺らすだけで、はぐらかす。
「……さて。後片付けを始めましょう。国のためにも、民のためにも」
***
翌朝、晴天の下に集められた天上国城の使用人、文官、軍人、等々は、そわそわとした様子で城のバルコニーを見上げていた。
そこに立つのは、天上国の女王たるピンドーラ。
彼女は深呼吸をひとつしたのち、目下の者たちへ向けて声を張った。
「よく聞け、皆の者! この度の騒ぎは、宰相、中将、ほか3名が首謀した反逆であった! 彼の者たちは執行団なる危険集団と手を組み、私を陥れようとしたのだ!」
今バルコニーの下に居るのは皆、昨夜の一件に大なり小なり巻き込まれた者ばかりだ。
命じられるままライルたちを追っていた軍人たちを含め、ほとんど事の全容を掴めないままに事態の収束を迎えた者は数多く居る。
そんな彼らに向けて、ピンドーラは端的な説明を試みていた。
「宰相らの虚言に乗せられ、私に刃を向けた者も多数居た。が、そなたらは、今回に限りその罪を不問とする。この1件は、私の力不足が招いた結果でもあるからだ」
ピンドーラは手すりに添えた手を、ぎゅっと握りしめる。
多くの者に届けるために敢えて語気を力強くした言葉は、しかし彼女の心に背くものではなかった。
「だが今! 改めて宣言しよう! この天上国の王は私、ピンドーラである! 国をいたずらに混乱させかねない、卑劣な手段で王位を簒奪しようとする者に、私は決して負けはしない!」
彼女が言い切ると、数秒置いて、歓声と拍手が沸き上がる。
バルコニーの下に立つ者たちは、ピンドーラが懸命に張った威勢を、真摯で頼もしい、と好意的に受け止めたようだった。
やがて彼らの音を背に、ゆっくりとピンドーラはバルコニーから下がる。
屋内に入ってすぐの部屋では、ライルたちが待っていた。
「お疲れ。様になってたぜ」
「うむ、ありがとう」
ピンドーラはライルからのねぎらいに、ささやかな安堵の表情を浮かべる。
それからそっと目を伏せ、切り出した。
「なあライル、私は決めたぞ」
やや急な話題転換に、けれどもライルは「何を?」と応じる。
ピンドーラは腹の辺りで組んだ両手を、するりとほどいた。
「私は、きっと立派な王になる。嫌々ではない、己自身の意志でな。そうして、良き国をつくって……2人がいつ帰ってきても良いようにする」
2人とは誰のことか、改めて聞くまでもない。
彼女はまだ、諦めきれていないらしかった。
「……そうか。頑張れよ」
ライルは胸が締め上げられるような心地を覚えながらも、彼女の決意を優しく肯定する。
「ああ」
頷く彼女の瞳は、ほんの数日前よりも幼さがひとつ、薄れた色をしていた。