194話 鉄球
「なんだ、お前か」
ライルは人影を判別するや、ホッと息を吐く。
シキと言えば、ケサの部下だ。
雷霆冒険団と対面した際には、不愛想で刺々しい雰囲気はあったが、決して上司やそれこそピンドーラに不誠実な態度は取らなかった。
ゆえにこの状況でも彼女は信じるに足る……と考えるライルだったが、反してティガルは彼女にも、変わらず疑いの目を向ける。
「信用できるのか?」
「うむ。あの者はケサのことが大好きだからな。ケサが悲しむようなことはせん」
ピンドーラもシキに対しては疑う余地が無いようで、自信満々に語った。
だが、しかし。
彼らのやり取りを黙って聞いていたフゲンが、おもむろに1歩、前に出た。
「フゲン?」
ライルが問うが、彼は緊張した面持ちで眼前――シキを見据える。
その視線に交じるのは、疑いではない。
心配と、危機感だった。
「女王……陛下……」
シキの声が室内に響く。
だがそれは、無事とはとても言えないほど、弱々しかった。
フゲンが前に出た意図を理解したライルは、目を凝らしながら彼の横に立ち、槍を構える。
刃を向ける先は、シキではない。
そう。
警戒すべきは、シキ自身ではないのだ。
「に……げて……」
そんな言葉が絞り出されるや、暗闇の中でシキの体が大きく傾く。
彼女は体勢を立て直すこともできず、そのまま床へと無抵抗に倒れた。
「シキ!?」
ピンドーラが慌てて名を呼び、駆け寄る。
倒れ伏した彼女の体に触れると、ぬるりとした感触がピンドーラの手を伝った。
シキは、間違いなく味方だった。
しかしだからこそ、敵の攻撃を受け負傷した。
ピンドーラは絶句する。
恐怖とも怒りともつかない感情で、気付けば震えていた。
「意外にしぶとかったですよ」
不意に聞こえてきた声に、一行は視線を上げる。
部屋の入り口には、ランプを掲げた宰相が立っていた。
シキとピンドーラを庇うように、ライルたちはすぐさま2人を囲って宰相と対峙する。
が、いよいよ天上国の軍人にまで手をかけ始めた宰相に、ピンドーラは顔を真っ赤にして叫んだ。
「宰相……! そんなに私が嫌いか!」
「いえ、まさか」
今にも泣き出しそうなほど感情的になるピンドーラとは反対に、宰相は涼しい顔で答えた。
まるで悪びれる素振りも見せずに。
「あなた自身に興味はありません。好きでも、嫌いでもありませんよ」
彼がランプを掲げれば、フゲン意外の面々の視界も少し明瞭になる。
部屋の外、宰相の背後には、大勢の軍人――無論、宰相に与する者たちである――が控えていた。
「私にとって、あなたは王座の上に積もった埃のようなもの。あなたに思うのは、手早く払ってしまいたいという気持ちだけです」
「あんた、いい加減にしなさいよ!」
悪辣な言葉の数々に耐え兼ねたカシャが、双剣の柄に手をかけながら吠える。
宰相が腹に抱えていた野心よりも、それをわざわざピンドーラに見せつけるように話すことの方が、カシャには許し難かった。
善良な心を傷付けることの罪深さを、カシャは糾弾したのである。
だがそれでも、宰相は平然として肩をすくめた。
「勝った方が正義です。残念ながらね」
「いーや、ちっとも残念じゃねえな!」
突然、割り込んできた声に、宰相は片眉を上げる。
声を発したのは、フゲンだった。
「『勝てば良い』でいいんだな?」
彼は宰相の悪辣さをものともしない、不敵な笑みを浮かべる。
いま彼が何を考えているのか、ライルたちにはすぐにわかった。
「ライル。ここ、オレに全部くれるか」
悪行への仕返し半分、「暴れ」への楽しみ半分。
そんな具合の声色で、フゲンは言う。
断る理由は、もちろん無い。
ライルは力強く頷いた。
「ああ。思う存分、やってやれ!」
気持ちの良い返事に、フゲンは「よっしゃ」とガッツポーズをする。
それは同時に、握り拳を作る構えでもであった。
「戻るぞ、みんな!」
「ええ!」
ライルがシキを背負い、カシャがピンドーラの手を取る。
フゲンの「目」はもう頼れないが、一度通った道を戻るだけなら、視界が悪くともさほど問題は無い。
先頭をライルが、最後尾をティガルが務め、フゲンを置いて一行は秘密基地の方へと駆けていった。
「逃がしませんよ。皆の者――」
無論、宰相は彼らを追わせようと、控えている軍人たちに命令を出さんとする。
が、彼が指示の言葉を言い終えるより早く。
「余所見すんなよ。お前ら全員、相手はオレだぜ」
フゲンが宰相を軽く掴み上げ、後ろの軍人たちに向かって投げ飛ばした。
***
縄梯子を降り、通路から秘密基地へ。
そして先ほど使ったのとは別の出口から、城内某所の廊下へと、ライルたちは移動する。
廊下は明るく、見るのも見られるのも易い。
逃亡にはあまり向かない道だ。
しかし今、フゲンが居ない以上、そして宰相――と、恐らく存在するであろう彼に与する一派――が既にかなり手を回している以上、暗闇を行くのは却って不利である。
闇の中で待ち伏せでもされていたら、負けずとも対応が遅れる可能性が高い。
ましてこちらには怪我人も居る。
ならばいっそ、戦闘上等で明るいところを突っ走った方が良いだろう……というのが、ライルたちの判断だった。
「ふ、フゲンは大丈夫なのか?」
「ああ。心配いらないぜ」
不安げな声を漏らすピンドーラに、ライルは淀み無く答える。
気休めではなく、彼は心からそう思っていた。
何せあのフゲンが、周りを気にすることなく暴れられるのだ。
それは高速で追尾してくる特大の鉄球に生身で対抗するがごとく、至難の業である。
ピンドーラはそれでも浮かない顔をしつつも、ライルの言葉を信じることにしたのか、「そうか」と一言呟いた。
それから彼女は、クオウの方に視線を向ける。
「えっと……クオウ、そなたは魔人族だったな」
「ええ、そうよ」
「では秘密基地に身を隠しつつ、シキの治療をしてやってくれ。基地の中なら、ある程度は魔法を使っても感知されないはずだ」
クオウが返事をする前に、それを聞いていたティガルが眉をひそめた。
「いいのかよ。戦力が減るぞ」
「構わん」
ピンドーラは即答する。
それほど、傷付いたシキのことがひどく心配だったのだ。
「……わかったわ」
少し間を置き、クオウが首肯する。
その瞳には使命感が静かに燃えていた。
「ありがとう。ここから一番近い秘密基地の場所を教える。なに、道筋は単純だ」
言って、ピンドーラはクオウにその「道筋」を説明する。
言葉に違わずそれは存外単純で、しかし元々知っていなければわからないようなものだった。
彼女の説明に耳を傾け、「道筋」をしかと頭に居れたクオウは、ライルから代わってシキを背負う。
幸いにもシキは小柄で軽く、魔人族のクオウでも、さほど苦労せず持ち上げることができた。
「じゃあ、みんな気を付けてね!」
「ああ!」
かくして、クオウはピンドーラに教えられた秘密基地へと向かっていった。
彼女を見送ったのち、ライルは僅かばかり物憂げに、軽く息を吐く。
「にしても、これはいよいよケサの身も心配だな……」
「最悪、あの宰相の仲間がもう城内を支配してるかもな」
「ちょっと、ティガル」
ピンドーラの不安をさらに煽りかねないことを言うティガルを、カシャが咎める。
しかし当のピンドーラは、意外にも動揺せず口を開いた。
「大丈夫だ、カシャ。尤もな予測だから」
「陛下……」
「でも、それでも、私は負けない。絶対、ちゃんと王座を守ってみせる」
胸の前で拳を握り、ピンドーラは言う。
力を振り絞ったような声と、言葉だった。
「改めて、頼む。この私に、最後まで付き合ってくれ」