189話 今生の別れ
しばらく、沈黙が訪れる。
それを破ったのは、ピンドーラだった。
「そうだ、良いことを思い付いた! そなたらがこうして私を助けてくれたと、城の皆に触れ回ろう。さすればそなたらの濡れ衣も晴らせようぞ!」
明るいようでいて、切な声色で彼女は語り掛ける。
先はああ言ったものの、やはり双子を心配する心は抑えられないようだった。
彼女は幼くないが、若い。
ライルたちと双子の嘘を敢えて暴こうとはしないが、一方で放っておくこともできない。
「ピンドーラ……」
双子の声が重なる。
そこに混ざった憂いの色を払わんとするがごとく、ピンドーラは話を続けた。
「な、そしたらまた、城で暮らせる。みんな居なくなってしまったけど……3人で、一緒に……!」
「いや」
徐々に訴えかけるようになっていく彼女の言葉を、しかしシンフが遮る。
「悪いけど、それはできない」
なぜ、という声がピンドーラから発せられるより先に、双子は口を開いた。
「地上国で、俺たちは新しい家を見つけた」
「やさしいおとなにであったの」
双子が暮らすのは家などという温かい場所ではない。
そこに居るのも、優しさとは正反対の大人だ。
「おかげで辛い思いはひとつもしなかった」
「わたしたち、しあわせよ」
顔に大きな傷ができるほどの経験が、辛くないわけがない。
憎くて許せない集団の中で生活することに、どうして幸せがあるだろうか。
「お前が嫌いなわけじゃない。けど、城に戻る気は無い」
「ごめんなさい、ピンドーラ」
わかりきった優しい嘘の最後に、双子は本音をそっと置く。
それは最も柔らかく、愛を孕んだ拒絶だった。
「わ……わかった」
つっかえる言葉を無理に絞り出すように、ピンドーラは声を出す。
わずかに俯き、それからパッと顔を上げた。
「うむ、そなたらが幸福ならばそれに越したことは無い! 困らせて悪かった。先の話は忘れてくれ」
彼女の表情は、「笑顔」と表すのが適切だった。
それほどまでに完璧に、彼女はすべての昏さを押し込めていたのだ。
***
「よしっ……と。これでいいか?」
少しの時間が経ち。
ライルは作業を終え、立ち上がった。
彼の前に座り込むのは、拘束された双子と、執行団の男。
「作業」とはつまり、彼らをぐるぐると縄で縛ることだった。
「ああ。『俺たちは邪魔者に負け、女王を奪われた』。最善じゃないけど、悪くはない筋書きだ」
痛くないよう加減されて結ばれた縄に目を落としつつ、シンフは言う。
次いで、グスクも言った。
「あとは、あなたたちがあのこを、あんぜんなばしょにかえしてちょうだい」
彼女はちらりと後ろに目をやる。
ピンドーラはモンシュと共に、彼女らから少し離れた場所に居た。
何やら2人で、和やかに会話をしているようである。
ライルもピンドーラたちの方を一瞥し、また双子に視線を戻した。
「わかった。城に潜り込んでる執行団はこいつと、誘拐を実行してた……2人だっけ? それで全員か?」
「そうだ。他にも作戦の参加者は居るけど、外部から侵入の手伝いなんかをしただけだから、城内には居ないし入ってこれない」
シンフはしかと頷く。
曰く、今回の作戦の方針は「少数精鋭」。
迅速かつ目立たないよう女王を攫うため、意図的に人員が絞られていたのだという。
事態の収拾が見え始め、ライルは小さく息を吐く。
随分と入り組んだ状況になっていたが、それももうすぐ終わりそうだった。
と、思考に余裕が生まれたことで、ふとそこに後回しにしていた疑問が浮かぶ。
ライルは少々言葉を選び、双子に問いかけた。
「……お前たちは、ファストが送り込んできたのか?」
「はんぶんは、そう」
意外にも躊躇い無く、グスクが答える。
シンフもまた、平然と彼女に続いた。
「俺たちとファストの目的は違う。だけど道は同じだ」
ファストの目的とは、はて何か。
彼と出会ってから数か月、未だに判明しないそれだが、少なくとも執行団にとって不利益となるものなのだろう。
しかしながらそれが歓迎できることなのか断じかね、ライルは何とも言えない表情をする。
と、そんな彼に、シンフは声を落として続けた。
「天上国の王族暗殺事件を起こしたのは、執行団だよ」
えっ、と声が出そうになるのを、ライルはぐっと堪える。
シンフの声色と目線から、ピンドーラには聞かせたくないと思っているのを感じ取ったからだ。
ライルは黙って、静かに語られる言葉を待った。
「動機はよく知らない。どうせ神がどうとかいう理由だ。あいつらは、たまたま予定から外れて軍の大将と一緒に居たピンドーラ以外を殺して回った」
「じゃあ、お前たちの傷も?」
ピンドーラとモンシュがこちらの会話に気付いていないことを確認しつつ、ライルは問う。
双子は揃って、首を横に振った。
「これはべつ。ちじょうこくににげてから、つけられた」
「俺たちはあの時、秘密基地に居たから無事だった。でもそのせいで、俺たちが犯人だって疑われた」
シンフが語ったそのいきさつに、ライルは目をまん丸に見開く。
「はっ……!? いや、犯人って……お前たちって今でもまだ12か13歳? とかそのくらいだろ?」
少なくともライルの記憶にある知識に基づけば、双子くらいの年齢の人間は「子ども」に分類される。
そして「子ども」とは一般に庇護されるべき存在であって、守られることこそあれ、殺人犯だと疑われることなどよほどで無ければあり得ない……と、認識されているはずだ。
まして彼らは王族。
百歩譲って疑いの目を向けられたとて、それが表に出されるとは考えにくい。
だが現実として、それは在ったのだという。
淡々とした様子で、双子は話を続ける。
「わたしたちは、きらわれてたから」
「得体のしれない双子だから、やりかねないと思われたんだ」
「それで、逃げた。2人だけで地上国へ」
「ひどいめにあったわ。わるいおとなばかりだったもの」
「……お前たち……」
ライルは涙が目の奥に溜まっていくのを感じた。
けれども今ここで泣けば、ピンドーラたちに会話を勘付かれると、必死に抑える。
「ひどいめ」と断言するような出来事に見舞われ、それでも双子は、ピンドーラを助けこそすれ、助けられることは拒んだ。
それは単なる意地ではなく、彼らの願い、あるいは諦念、あるいは決意の表れだろう。
「俺たちは執行団を潰したい。ファストも、まあ似たようなものだ。だからこの作戦を失敗させて、天上国軍に執行団を牽制……あわよくば戦力を削らせたかった」
「すこしよていがくるったから、このままにげるだけになりそうだけれど」
無論、双子は、ライルにも自分たちの救いを求めることは無い。
ただ余談を語るように、取った行動の意図を口にする。
「ライル、シンフ、グスク。話は纏まったか?」
そうこうしている間に、ピンドーラがモンシュと共にライルたちの方へとやってきた。
雑談の話題が尽きたのか、待つことに焦れたのか、何にせよもう時間切れらしい。
ライルはそれまでの双子との会話を胸の内に仕舞い、ピンドーラに笑顔を向けた。
「ああ! もう敵は居ないらしいから、ケサたちのところに戻ろう」
「うむ。了解した」
ピンドーラは頷き、それから双子の方を見やる。
「……達者でな。シンフ、グスク」
「うん」
シンフもグスクも、余分な言葉は一切付けず、じっと彼女を見つめた。
その顔を、目に焼き付けるかのように。