186話 秘密の捜査員
「執行団ってわかるか? 天上国にはあんまり居ないかもしれないけど、暴力的で厄介な奴らでさ。理由はよくわからないけど、お前を攫おうとしてたみたいなんだよ」
「なぜそのようなことを知っている?」
女王は疑いを含んだ目でライルを見る。
執行団が悪人というなら、その悪人の計画がわかるお前も……という視線だ。
ライルは即座に弁明しようとするが、はたと思いとどまる。
――ほかのだれにもいわないでね。
去り際に、双子の片割れたるグスクはそう言っていた。
果たしてそれが保身のための言葉なのか、はたまた目論見を成功させるための一手なのか、現状知る手段は無い。
しかしライルはそれ以前に、一方的な制約であったとしても、簡単に無下にすることには抵抗があった。
それは恐らく、愚直な誠実さというものであろう。
ゆえに、どう筋道を立てたとて、いずれにせよ彼はこう言わざるを得なかった。
「えーーーっと……秘密……でいいか?」
「…………」
「わ、悪い! でも信じてくれ、俺たちはお前を助けるために動いてたんだ。誓って悪だくみはしてない!」
明らかに疑念を強める女王へ、ライルは懸命に訴える。
女王はしばらく彼のことを眺め回していたが、嘘や演技にしては下手なその様子に、軽く息を吐く。
いったん、追及を諦めたようだった。
「……良いだろう。ひとまずは信用を置く。その代わり、疾く私を城内に――」
そこまで言って、はたと彼女は言葉を止める。
丸い瞳がにわかに揺れ、視線はどこか遠くへと逸れた。
「城内に、戻って……それで……安全、なのかな……」
ぽつりと零れたその声は、けれどもライルたちの耳にしかと入る。
女王の威厳など全く無い、まるで普通の少女のような、不安定で心細そうな声。
ライルとモンシュはちらりと視線を交わす。
感じ取ったことは、2人とも同じであるようだった。
何か言葉をかけようか、とライルは口を開きかけるが、それより早く、女王はパッと顔を上げる。
そこにあったのは既に、元通りの「女王」の表情だった。
「ふむ、今のは無しだ。そなたらを信じてやるゆえ、これから私の指示通りに動いてもらおう」
「……わかった。どうしたらいい?」
ライルが頷くと、女王は満足そうに胸を張る。
そして大仰な身振りと共に、命じた。
「決して城内に戻るな。私を連れて、地上国へと降り立つのだ!」
一瞬の間。
それから、ライルは目をまん丸に見開いた。
「はあ!?」
「ど、どういうことですか……?」
あまりに突拍子もない指示に、モンシュも口を挟まずにはいられない。
ライルたちだけでさえ困難だというのに、誰よりも目立ち、探される女王を連れて、どうして行けると思うのか。
無茶苦茶な話だが、それでも女王は自信満々だ。
「当てがあるのだ。私の最も信頼する者が、地上国におる。奴ならば必ずや、私を不届き者どもから守護してくれよう」
「うーん……悪いけど、それは難しいと思う」
「嫌だ」
「嫌って言われてもなあ……」
今度は子どものようにそっぽを向いて拒否を拒否する女王に、ライルは眉を下げる。
謁見し、またこうして話をしている具合からして、女王は決して愚かではないと、ライルもモンシュも理解していた。
だからこそ、輪をかけて困り果てていた。
無茶をわかっているだろうになぜ、と。
「あの、女王陛下。軍人さんたちに協力してもらうなら、行けなくはないと思いますが……」
「駄目だ。どこに不届き者が潜んでいるかわからん。そなたらだけで私を護衛せよ」
「で、ですが……」
「ならそなたらとの取引を白紙にしよう! お咎め無しで地上国に帰してやる。それでも足りないなら――」
ぴた、とまた言葉が止まる。
女王は興奮して赤くなりかけていた顔を、ゆっくりと沈痛な面持ちに変化させた。
「……いや。今のは失言だった。女王にあるまじき発言だ。忘れてくれ」
力なくうなだれ、彼女は呟く。
「私は女王だ。女王なんだから……」
自分に言い聞かせるようなその台詞は、誰かに弁明するようでもあった。
明らかに不安定な彼女の様子に、ライルとモンシュは顔を見合わせる。
そして意を決し、ライルの方が口を開いた。
「……なあ」
一拍置いて、彼は言う。
「もしかして、嫌なのか? 女王やるの」
それは、ライルたちが薄々気付き始めていた違和感だった。
誘拐されかけ、気が動転しているとしても、垣間見える本音の欠片は見るからに「女王」を拒絶している。
しかもそれでいて、「女王」であるべきだという強迫観念も交じって見えていた。
ライルは謁見の間で彼女を初めて目にした時のことを思い出す。
あの時、彼は根拠こそ無いけれど確かに、こう感じた。
「ローズとは違い、カアラとは鏡写しのようである」。
不思議な直感の理由に、今ライルは辿り着きつつある。
つまり、ここに居る天上国の女王は――。
「何を言う! 責務から逃げる王など居るものか!」
声を荒げ、女王はライルを叱責するように言う。
しかしすぐに、その勢いは失われた。
「そんな……怠惰で、無責任な王なんて……」
またもや自分に向けて言い聞かせるような、弱々しい言葉。
聞き取れないくらい小さな声で、ひと言ふた言こぼした後、彼女はおずおずと視線を上げた。
「……誰にも言わないか」
「ああ」
「約束します」
ライルとモンシュは即答する。
女王はきょろきょろと周囲を見回し、本当に本当に小さく、口を開いて。
「本当は、ちょっと……苦しいし……楽しくない」
絞り出すように、そう言った。
おそらくそれは、彼女がいま発せる、最大限の救援信号だった。
ライルは一言一句をしかと胸と記憶に刻む。
自分が発せない分、他人のそれは決して逃さず、手を差し伸べようという、強い意志が芽生えていた。
「……俺は政治にも、お前にも、天上国にも詳しくないから、軽々しく辞めればいいなんて言えない。でも」
できる限り、心のままに。
思いのままに素直な言葉を紡いで、ライルは女王に語り掛ける。
「少し休憩するくらい、良いと思うんだよな! 例えばこの騒ぎが収まるまで、とか」
ちょっとした悪だくみを提案するような、重すぎず軽すぎない優しい言葉を、彼は差し出した。
「そ、そうか?」
女王はぎこちないながら、ライルの言うことに笑みを浮かべる。
さながら、特別なおやつを前にした子どものように。
「はい。偉い人にも休息はあるべきです!」
続いてモンシュも後を押せば、彼女は更に顔を明るくした。
「ふむ……ならば、そうだな。そうしよう」
やがてすっかり目に輝きが戻り、背筋も伸びて、たたずまいは気力に満ちる。
元気を取り戻した彼女は、胸を張って言った。
「私の名はピンドーラ。今しばらくの間のみ、私はただの天竜族だ」
「俺はライル!」
「モンシュです」
「ふふ、知っておる」
女王、あらためピンドーラは、おかしそうにクスッと笑う。
愉快さと、嬉しさが表情に滲んでいた。
「じゃ、今から俺たちは秘密の捜査員ってことで!」
ライルがグッと親指を立てれば、モンシュもまた親指を立て、ピンドーラも見たまま真似る。
3人の間に生じた空気は、何のことは無い友人同士のそれだった。
「ではさっそく、女王誘拐を企てた奴らを探し出し、成敗するとしよう。この眼から逃れられると思うな、不届き者め!」
「ノリノリだな」
「まあな。愛読書の主人公の真似だ」
自慢げにピンドーラが言うと、モンシュがぴょんと控えめに跳ねて反応する。
「もしかして、『探偵騎士』ですか?」
「そうだ」
「わあ……! 僕もあれ、好きなんです! じょお……ピンドーラさんも読まれてたんですね」
「うむ。昔よく秘密の場所で、いとこと一緒に隠れて読んでいたのだ」
大衆小説は禁止されていたからな、とピンドーラはいたずらっ子のように笑った。