174話 人質の彼女
「はあ!?」
ほどなく、先んじて戻って来たティガルから事の顛末を聞いたカシャは、驚愕とも憤怒ともつかない声を響かせた。
声に驚いてカモメが何羽か飛び立っていったが、彼女にも、他の面々にも、そんなことを気にしている余裕は無い。
「モンシュが攫われたって……いったいなんでそんな……」
カシャは頭を抱え、浮かんでは消える嫌な想像に眉をひそめる。
冒険者をやっている以上、敵勢力からの襲撃は想定内だ。
しかし武力行使も無しに、モンシュ1人だけが狙って攫われたとなると、途端に意図が不明瞭になる。
要するに、これは誰にとっても不測の事態だった。
「……駄目。たぶんもう、わたしの魔法じゃ届かないところまで離れちゃってるわ。その場に居て、印を付けられれば追跡できたのだけれど……」
空に向かって使い魔を飛ばしていたクオウが、悲しそうに首を横に振る。
先の1件ではかなりの活躍を見せた彼女の魔法を以てしても、既に追跡には手遅れであるようだった。
「漁師の彼は」
シュリが重々しく口を開く。
気が気でないのを抑えるように、自らの腕を強く握っていた。
「ライルたちをこっちに運んできてるとこ……だと思う。あいつ本人に戦う力は無いみたいだったし、妙な気は起こさないはずだ」
「何か情報を聞き出せないだろうか」
「いや……あの感じだと問い詰めたところで、そうそう出て来ねえよ。海底国にもよく居る、はした金に目が眩んだくだらねえ人間だ」
思い切り顔をしかめ、ティガルは吐き捨てるように言う。
彼もまた落ち着かない様子で、尻尾をしきりにパシパシと地面に打ち付けていた。
「問題は、いったい誰があいつに依頼したのか……ね」
カシャは口元に手を当て、思案する。
裏で糸を引いていたのが誰かという点は、最大の疑問にして、最初に突き止めるべきことだ。
しかしながら同時に、最も解き明かし難い謎でもある。
「人攫いじゃないって断言してたのよね? なら考えられるのは軍人で、わたしたちが冒険者だと知られていた、とか」
「あいつが嘘を吐いてる可能性もあるわ。口止めや誤魔化しまで頼まれてたってことも、あり得るから」
追跡は不可能、共謀者の漁師から情報を引き出すことも――少なくとも、人道に反しない程度の方法では――難しく、かと言って推測では何も定まらない。
皆一様に頭を悩ませていると、そこへ上空からフゲンとライルが降ってきた。
より具体的に言えば、ライルを抱えたフゲンが、恐らくは大跳躍により海の方からカシャたちの居る場所へと着地した。
「みんな!」
ライルはフゲンに下ろしてもらい、彼と共に仲間たちの方へと駆け寄る。
「ライル、フゲン!」
どんな身体能力をしているのだ、なんてことはもはや誰も突っ込まなかった。
「あの漁師の人はどうしたの?」
「まどろっこしいから置いてきた」
「俺が足場を作って、跳んできたんだ」
掌を上に向け、キラキラとした小さな氷の結晶を出してライルは言う。
海面を部分的に凍らせ、臨時の足場としてきたようだった。
「で……話は聞いたな?」
「ええ。でも手がかりをどう集めれば良いのか……」
眉間に皺を寄せ、カシャは溜め息を吐く。
彼女は町の用心棒をやっていた関係上、地上国の犯罪の手口には多少詳しい。
だが地上国には滅多に居ない天竜族、ひいては天上国のそれには疎いのだ。
ティガルも同様に海底国の事情以外には疎い。
およそこの場に、活かせる経験や知識を持つ者は居なかった。
「お困りのようですね」
反射的に全員が声の方を向く。
そこに居たのは、亜麻色の髪を上品にまとめ上げた女性だった。
「疑問点については、我々からお話ししましょう」
彼女は靴の踵を鳴らしながら、ライルたちに歩み寄る。
半歩後ろには淡い金髪の若い女性を伴っており、他に連れは居ない様子。
柔らかい声と口調、友好的な態度を示す彼女に、しかしライルたちは得物に手を伸ばしつつ警戒した。
なぜならば。
「お初にお目にかかりますわ。あたくしの名はケサ。所属は――天上国軍『箱庭』捜索隊」
2人の女性は、茶色の軍服に身を包んでいたからだ。
予想通りの身分を明らかにした女性、改めケサは、右手をライルたちに差し出す。
それは、好意的な「ポーズ」だった。
「雷霆冒険団の皆様には、是非あたくしたちと共に来ていただきたいのです」
「さもなくばモンシュを……ってか?」
フゲンが1歩前に出、ケサを威嚇する。
が、彼女は少しも怯まず、却ってニコリと笑顔を作った。
「察しが良いようで助かりますわ」
ライルは目視で周囲の様子を探り、同時に魔力の残量を確認する。
海上での襲撃後にモンシュを探した時のと、フゲンと共にここへ移動した時のとで、魔力はほとんど使い切ってしまっていた。
多く見積もってもかろうじてあと1発、攻撃魔法を放てるかといったくらいだ。
戦闘になれば、槍だけで応戦することになるだろう。
彼女らが竜態となって攻撃してきた場合の対空戦術は――と、危惧と共に思案するライルだったが、そんな彼に反しケサはあくまで穏便な態度を保ったまま、話を続けた。
「今のところ、彼女は無事です。天竜族、そして軍人の誇りにかけて、丁重に保護していると誓いましょう」
そう言って胸を張る彼女の表情は、虚偽よりも高慢な色に染まっている。
シュリは布で隠れた口を固く引き結び、それから忍び難く言葉を発した。
「他国の民間人に金銭を握らせ、騙し討ちの誘拐に加担させるのが誇りか」
「口を謹んでください」
ケサとは真逆の冷たい声で、若い女性が即座に返す。
表面上は穏やかに振舞うケサに対し、彼女は取り繕うこともしていなかった。
「あなたたちが同行を拒否したり、その他反抗的な態度を取ったりするのであれば、彼女の身の安全は保証致しかねます」
雷霆冒険団の面々はしばしの間、顔を見合わせる。
それから、ライルが代表して口を開いた。
「……わかった。お前たちについて行く」
モンシュを人質に取られている以上、断るという選択肢は無かった。
それに、悪いことばかりでもない。
全く手がかりを掴めないままよりはずっとマシだし、何より彼女らはモンシュのことを「彼女」と言っている。
ライルたちは、完全に情報を掌握されているわけではないのだ。
であればそこに突破口はある。
まずは彼女らに従い、最低限モンシュの居場所を確定させれば、やりようはいくらでもあるのだ。
「利口な選択ですわね」
ケサは満足げに頷くと、若い女性の方に視線をやる。
そのように示し合わせていたのだろう、何を言うまでもなく、若い女性は竜態に変じた。
「どうぞ、お乗りください」
彼女は姿勢を低くし、背中に乗るよう促す。
ともすれば親切にも見えるが、実際のところはライルたちの命を握る行動に過ぎない。
彼女がその気になれば、上空から全員を落とし、海面に叩きつけて殺すこともできるのだから。
「なあ、軍人って勝手に国行き来すんの駄目だったよな。こいつら地上国軍に告げ口すれば、お縄にしてやれるんじゃんねえか?」
渋々言う通りにしながら、フゲンはライルに耳打ちする。
そう、民間人も国家間の移動には本来それ相応の手続きが必要だが、軍人にはよりいっそう厳しい審査が求められる、というのが常識だ。
仮にケサたちが地上国に無断で降りてきたとすれば、厳罰を受けることになるだろう。
事情を話した時点で雷霆冒険団もお縄だが、モンシュを取り返す方法としてはこの上なく確実だ――けれども。
「残念ながら、それは有り得ませんわ。あたくしたちは正規の手続きを踏んで、地上国へと渡って参りましたので」
「ちぇ」
フゲンの声が聞こえていたらしいケサが、余裕の笑みと共に答えた。
さすがにその辺りは抜かりないようだ。




