173話 空からの強襲
再び『方舟』を見つけるべく移動を始めたライルたちは、幾日もの時間をかけ、とある小さな漁村に辿り着いた。
『方舟』に近い位置まで連なる島々のうち、一番大陸側にあるひとつ。
そこへ渡るには、どうやらこの漁村から出る船に乗るのが最も手っ取り早いらしかった。
しかし。
「うーん、定期便は7日に1回か……」
船着き場の小屋に貼られた紙を見て、ライルは呻る。
件の島々は観光地でも、流通の要所でもないらしく、そう頻繁に船が出ているわけではないようだった。
加えて、暦に沿って書かれた定期便の出発予定を参照すれば、どうやら今日の午前に出たばかりとのこと。
ここから6日、ただ待つだけというのは些か気の長すぎる話だ。
「自力で行くか?」
「却下よ。ついこの間、難破したのを忘れた?」
フゲンの提案を、カシャはあえなく両断する。
海を舐めてはいけない。
「別の港を探しましょうか?」
「そうだなあ。多少遠回りにはなるかもだけど、6日も浪費するよか良いだろうし」
「待てよ、一番近いここでさえ定期便はこんだけだぞ? 他の港から船が出てるとは思えねえ」
「それも、まあそうだが……」
こんな具合で、やいのやいのとライルたちが話し合っていると、ひょこりと1人の中年男が小屋の角から顔を出した。
「兄ちゃんたち、大勢でどうしたんだ?」
男は愛想よく笑顔を浮かべながら、長靴を履いた足でライルたちに近付く。
口ぶりからして、地元の人間だろう。
「トト島行きの船はもう行っちまってるが……用事かい?」
「ああ。探し物をしに行くんだ」
ライルがそう言うと、男は目を丸くした。
「ははっ、あんな小さい島に? 変わってるなあ」
彼は愉快そうに、しかし余所から人間が来るのが珍しいからだろう、少し嬉しくもあるように肩を揺らす。
ひとしきりそうして、それから咳払いをひとつ、「ううん、そうだな」と顎をさすった。
「よかったら渡してやろうか? 俺は漁師をしていてな。自前の舟があるから、時々急ぎの奴を運んでやってんだ」
「良いのか!?」
ライルはパッと顔を明るくする。
他の面々も、思わぬ提案に顔を見合わせた。
「二言は無いとも」
素直な反応に男は気を良くしたようで、胸をドンと叩いて誇らしげに言う。
「ただし、一気に全員は無理だからな。時間を食うが、半分ずつ2回に分けさせてもらうぞ」
「大丈夫だ、ありがとう!」
棚からぼたもちとはこのことだ。
ライルたちはさっそく、どう半分に分かれるかを話し始めた。
さて舟、それも恐らくそう大きくはない漁船に乗るからには、やはり体格を考慮すべきだろう。
転覆とまではいかずとも、荷が重すぎて進みが悪くなるのは想像に易い。
そういうわけで、先に乗る組はライル、フゲン、モンシュ、ティガル。
次に乗る組はカシャ、クオウ、シュリということになった。
人数的には3対4で偏るが、モンシュとティガルは2人で大人1人分という計算である。
「じゃあ、また後で!」
「気を付けてね」
ざぶざぶと波が寄せる中、ライルたちは舟に乗り、後続組のカシャたちにしばしの別れを告げた。
「実はな、ちょっと前にもこうやって、旅の人間を島に渡してやったんだ」
ゆっくりとオールを漕ぎながら、漁師の男は言う。
舟は面白いくらいに順調に前進し、あっと言う間に沖へと出た。
「旅人を乗せるのは、よくあることなのか?」
ライルは見る見るうちに小さくなっていく、先ほどまで居た船着き場を眺めながら問う。
質問に大した意味は無く、ただ素直に零れたものだった。
「いやいや、ごく稀だ。短期間で2組もってのは、偶然が重なったってやつだな」
ははは、と笑って男は答える。
海の底には国があるが、海の上には何も無い。
正確に言えば、暇を潰せるようなものは。
沖に出てしまえば景色もさして代わり映えせず、それぞれの口から出る言葉が一番の賑やかしだ。
「まだその方たちが島に居るなら、会えるかもしれませんね」
「会ってどうすんだよ」
「情報共有……とか?」
モンシュとティガルも他愛のない会話をし、フゲンは恐らく妹のことでも考えているのだろう、舳先でぼうっと水面を眺めている。
執行団三番隊の1件が人死にの出る、精神的に辛い出来事を含んでいたこともあり、今の空気の穏やかさに敢えて浸っているようだった。
「どのくらい島に居るとか、聞いてるか?」
ライルがまた尋ねれば、男は「ううん」と少し考えてから口を開いた。
「そういうことは知らないな。でもまあ何だ、会えると思うぞ。案外、すぐにでも」
「? そうか」
男の何やら含みのある表現に、ライルは僅かばかりの疑念を抱く。
と、その時。
薄く大きい影が、サッと彼らに覆いかぶさった。
「ん?」
ライルたちは上を見、影の本体を探す。
それは弧を描いて上空を飛ぶ、2人の天竜族だった。
もちろん、飛行しているからには竜態である。
「珍しいな……ってか、オレ初めて見たぜ。普通の天竜族が飛んでるの」
「この辺り、航路になってるのかもな」
天竜族が天上国から地上国へ降りるにあたっては、基本的に定められた航路を辿る。
航路とはすなわち、気流や天候の安定した、比較的安全なルートだ。
ちなみにモンシュは以前、航路を無視して強行突破で降りてきている。
「片方が赤色で、もう片方は……黄色……いや黄緑色か?」
「そういえば天竜族の鱗って、いろんな色があるんだな。おれたちは大抵、黒青緑あたりの暗い色ばっかだ」
「言われてみれば、多彩ですね」
4人で仲良く空を見上げて、そんなことを言い合っていると。
「……あ? なんかあいつら、近付いてきてねえか?」
フゲンが眉をひそめ、目を凝らす。
確かに2人の天竜族は徐々にライルたちの方へ接近しているようで――と思いきや、ある地点から天竜族たちは一気に加速して距離を詰めてきた。
爆発的な加速によりほとんど一瞬でライルたちの目前まで迫った天竜族は、あろうことかぐわりと翼を広げ、大きくはばたいて突風を巻き起こす。
「うわっ!?」
ざんぶざぶと波が荒れ狂い、舟はひっくり返りそうなほどに翻弄される。
が、幸運にも何とか持ちこたえ、やがて波も収まり始めた。
「っぶねえ……! 何しやがんだアイツ!」
フゲンは憤りの声を上げるが、頭上には既に天竜族たちの姿は無い。
どうやら彼らは風を起こすや、即座に雲の上まで逃げたらしかった。
「みんな大丈夫か――」
目を回しながら、ライルは仲間たちと漁師の安否を確認しようとする。
自分、フゲン、ティガル、漁師。
全員特段の負傷無し。
そこまで目視で認め、彼はハッとした。
「モンシュ!!」
そう、モンシュだけが居なかったのだ。
ライルは咄嗟に周囲の水面を見回すが、自然のままに波立っているだけ。
執行団の拠点を探す時にやったように、魔力を這わせて付近の海中を探ってみても反応は無い。
「クソッ、人攫いか?!」
同じくモンシュは溺れたわけではないと断じたフゲンが、悔しげに歯噛みする。
「クオウならギリ魔法で追跡できるかもしんねえ! ティガル、港に戻って伝えてくれ!」
「言われなくても!」
ティガルはすぐにでも海に飛び込もうと、舟の縁に足をかけた。
しかし。
「いいや、その必要はない」
漁師の男が、彼を制止した。
慌てふためていた3人は男の方を見る。
彼の表情は異様なほどに落ち着いており、つまりそれは、今起きたことが彼の想定の内だと示しているに他ならなかった。
「お前……ッ!!」
ティガルは縁にかけていた足を下ろし、そのまま荒々しいく男に詰め寄る。
そうして男の襟首を掴み、今にも殺しにかかりそうなくらいの剣幕で怒鳴った。
「よくも騙しやがったな薄汚えゴミ野郎が! あいつをどこに連れて行きやがった!!」
「よせ、ティガル!」
見かねたライルが仲裁に入れば、ティガルは渋々手を離す。
「ゲホッ……あの天竜族たちは人攫いじゃねえ。あの女の子は無事だろうよ」
解放された男は首元をさすりさすり、けれどもやはり落ち着いた様子で言った。
「どういうことだ?」
「俺は金を貰って請け負った身だ、これ以上は話せねえ」
いったい誰が、何のために。
ライルは眉間に皺を寄せ、空を見上げる。
広く体を伸ばす白い雲の合間から、天上国が浮かんでいるのが見えた。