166話 泥濘を払う
一方、塔の反対側でも交戦が始まっていた。
執行団員たちは有角族が前衛に、その他の種族の者たちが後衛になって押し迫る。
対するはチト、フジャ、モウゴ、フォンとジュリ。
敵を正面から受け止める形で、彼らは陣形を組んでいた。
「死ね! 不信心の愚か者どもめ!」
執行団員の1人が振り下ろした剣を、チトは素早く躱す。
更にそのまま身を翻し、勢いを付けた蹴りをお見舞いした。
他の種族であればこれで相手を伸せるところだが、しかし今現在、相対するは有角族だ。
蹴りを食らった執行団員は少し後ずさったのち、すぐ体勢を立て直して剣を閃かせた。
チトも執行団員たちも恐らく同程度に訓練を積んでおり、その実力は拮抗している。
馬鹿正直に戦っていては、泥試合になるだろう。
横一文字に放たれた斬撃を避けつつ、チトは左方を見やる。
そこではフォンが応戦していたが、相手との距離を保つことに苦心しているようだった。
「フォン!」
チトは彼女を呼ぶ。
「『特盛り』やるわよ!」
傍から聞けば何のことやらだが、フォンにはそれで十分に伝わった。
「わかった、よろしくっ!」
彼女は頷き、チトの方へと駆け寄る。
細かく炎魔法を撃ち出し、執行団員を威嚇することも忘れずに。
「思いっきりお願いねっ!」
言いながら、フォンは軽く前方――チトの方へと跳躍する。
すかさずチトは背を屈めて、フォンの体を下から支え、力いっぱい上に放り投げた。
宙を舞うフォンに、執行団員たちの視線が集まる。
「風魔法戦闘術!」
彼らの頭上で、フォンは身をよじった。
足を伸ばしながら胴を逸らし、手をうんと広げ、体全体を使って魔力を練る。
「《千々の風刃》、特盛り!」
ほとんど彼女自身を覆い尽くすくらいの、無数の風の刃が降り注いだ。
位置はちょうど、執行団の有角族たちの真上だ。
大規模な魔法攻撃に、彼らはたまらず後退する。
が、彼らの速度に有角族でない後衛の者たちは反応できず、もたついた挙句に両者はぶつかり合い、少々の混乱が生じた。
「地底国軍式短剣術――《雨垂れ》」
「虹珠弓術、《清流》!」
この好機を見逃す手は無い。
フジャとモウゴはすぐさま攻勢を強め、執行団を押し返すように前進する。
チト、それから重力のままに地上へ降りて来たフォンも彼らに加わる。
畳みかけるように攻撃を受ける執行団員たちの隊列は、ますます乱れ、次々と隙を晒しては1人また1人と倒れていった。
「クソッ……! 交代! 交代せよ!」
執行団側から、指揮を執る者の声が響く。
声に応えるがごとく、前衛であった有角族たちは大きく跳躍し、後衛だった者たちの後方へと移動した。
文字通り、前衛と後衛の交代だ。
傷付いた者たちも後ろへと連れられて行き、比較的無事な元・後衛たちがチトたちの前に立ち塞がる。
彼らは各々武器を構え、勢いを取り戻さんと襲い掛かった――が。
「炎魔法戦闘術、《炎熱の蔦》!」
「有角双剣術、《二連星》!」
鞭のようにしなる細い炎と、目にも止まらぬ短剣の連撃によって、彼らの武器は宙に投げられ、また地に叩き落とされる。
石柱の陰に潜んでいた、クオウとカシャの仕業だ。
「こ、この……!」
「ふっ!」
得物を失い体勢を崩した執行団員たちに、カシャをはじめチトたちも攻撃を叩き込んでいく。
持ち直しかけていた執行団側は、また劣勢に陥ることとなった。
「クオウ、なんだか調子が良いみたいね」
深追いはしないよう、いったん後退しつつ、カシャはクオウに話しかける。
「ええ。今まで炎魔法はあんまり使わなかったんだけど……不思議と、手に馴染むの」
クオウはそう言って、にこりと笑った。
***
「ふうん。けっこう頑張るね」
宵闇の中で炎が煌めくのを横目に、レイは呟く。
彼女の周囲に控えるのは、未だ大した負傷をしていない執行団員たち。
目の前には、ライルとフゲンが並び立っていた。
ライルは刃の交わる音や、何かが崩れ落ちる音を聞きながら、じり、と間合いに気を配る。
戦闘が始まりレイとの直接対決に臨むことになる、と思いきやこの状況だ。
初めも初めの時点こそ正面からぶつかる形となったが、レイは2、3度ライルの攻撃をいなしたところで、何を思ったか後退した。
その後は部下たちを前に出し、更にその部下たちも様子見といったふうで捉えどころのない動きばかり。
ライルもフゲンも、この不穏でさえある相手の出方にどう対応するか、考えあぐねていた。
「ねえレイ様、こんな弱っちそうな奴ら、パパッとやっつけちゃえばよくない?」
レイにぴたりとくっつくきながら、ギオンが目をくりくりと動かす。
小柄さも相まって可愛らしい仕草だが、彼女はその実、人殺しに躊躇が無い残忍さの持ち主だ。
油断をしてはならないと、もちろんライルたちは重々警戒をしている。
「そうだね。でも念には念を、だよ」
レイは目を細めて、優しげな表情で返した。
「今度こそ……きっちり仕留めてあげなきゃ」
彼女の目が、ライルたちに向く。
瞬間、その視線は氷柱のように鋭く、冷たく変じた。
「! なんか来るぞ」
「ああ!」
ライルとフゲンは危険を直感し、構えをとる。
レイはまるで捧げものをする時のように、両掌を上に向けた。
「泥魔法戦闘術、《泥濘の叫び》!」
言い終えるが早いか、彼女の足元から泥が湧き出す。
部下たちは素早く左右に散り、ライルたちのみが射程に入る格好となった。
「うおっ、またかよ!」
泥は瞬く間に地面に広がる。
巨大なバケツをひっくり返したかのごとく、驚異的な勢いでライルたちに襲い来る。
一見すると、執行団の拠点で食らった技と似ていたが、今回は少し様子が違った。
ライルとフゲンに近付くや、棘の形を成してより直接的な武器と化したのである。
「ライル、あれ斬れそうか?」
「たぶん」
氾濫した河の泥水さながらに、攻撃性と質量と体積を兼ね備えて迫る泥。
しかし実体があるからには対処できるだろうと、ライルは槍を構える。
だが問題は、泥そのものよりも、その妨害にあった。
力づくで泥を跳ねのけたとて、レイは次々と新たな泥を湧かせるに違いない。
しかも彼女はこの大技を、涼しい顔で繰り出している。
持続時間はかなり長いと考えて良い。
するとどうなるか。
ライルとフゲンは泥の対処で体力を削られ、レイの元に辿り着く頃には決して小さくはない不利を負うことになるのだ。
したがってライルたちは、何とかして泥を避けつつレイに肉迫しなくてはならない。
けれども、「何とか」とはいかなるものか、その解は。
ライルはぎゅっと槍を握りしめる。
と、にわかに大きな影が、彼らに覆いかぶさった。
「天竜戦闘術」
場の誰もが上を見る。
そこには白い天竜が居た。
「《風呼びの舞》!」
天竜――モンシュは身を翻し、翼を大きく羽ばたかせる。
竜の翼は空気を巻き上げ、風を操る。
そして風は見えざる手となり、ライルたちを始末せんとする泥を一気に押し返した。
「うっ……!」
モンシュによって泥は逆流させられ、却ってレイの元へと流されていく。
野外であっては、これに真っ向から対抗するだけの力が無いのか、レイは泥魔法を引っ込めて回避に徹した。
「泥は僕が対処します!」
上空からライルたちへ、モンシュは呼びかける。
周囲の損害を気にしなくても良い場において、そして物量での攻めを手札に持つ敵に対して、これほど頼もしい者もいない。
「助かる!」
「ありがとな!」
ライルとフゲンは気を取り直し、隔たりの消えた道を駆け出した。