163話 それが満ち足りたものであっても
日が傾き、窓から橙色の光が差し込む頃。
未だセツヨウが目覚めず手持ち無沙汰になっていた一行は、シャーレに許された範囲で各々好きに休憩したり、医務室へ様子見に行ったりしていた。
ライルは会議室に居座っているフゲンたち数名を残し、あてどもなく廊下に出る。
一瞬、魔法で建物周辺の索敵を行おうかという考えがよぎるが、しかしそれができるほどの魔力は無い。
仕方なく、何をするでもなく壁にもたれかかり、ぼんやりと思考を巡らせようとするライル。
するとそこへ、ウロウがしずしずと近付いてきた。
「あの……」
彼女はライルの前まで来ると、少々迷う素振りを見せつつも口を開いた。
「私、戻ります」
どこへ、とは訊くまでもないだろう。
ライルは反射的に否定しそうになるのを抑え、しばし考えてから詞を返した。
「……殺されるぞ。今度こそ」
「構いません。それが正しい罰ですから」
きっぱりと言い切るウロウの目は、本気だ。
本気で、「正しい罰」は――それが命を奪われることであっても――受け止めるべきだと思っているようだった。
一般的に考えれば、滅茶苦茶な話である。
うっかり敵に騙されただけなのに上司に殺されそうになったのなら、敵と共に逃亡するのも致し方無いことであるし、わざわざ殺されに戻る道理は無い。
だがウロウにとっては、筋の通ったことのようだ。
その意志は目に見えて固く、説得など到底できそうもない。
ライルはウロウが腰から下げている、護身用であろう短剣を見やった。
彼女が、レイに襲われたあの窮地において、一度も使わなかった短剣だ。
するりと手を伸ばしたライルは、それを抜き取る。
そうしてから、鈍く光る刃で自分の左手をザクリと切り付けた。
「! 何を」
目を見開くウロウに、ライルはポタポタと血の滴る短剣を返す。
今しがたできた左手の傷は、早々に血が止まりかけていた。
「『味方になるふりをして接近し、奇襲を成功させた』……ってことで、どうだ?」
ライルはそう言い、下手な笑顔を作る。
ウロウの思考を否定できず、かと言ってみすみす死なせたくもないがゆえの、精一杯の措置だった。
「ありがとう、ございます」
彼の意思を汲み取ったウロウは、血の付いた短剣を鞘に戻し、うつむくように礼をする。
艶やかな黒髪が、顔に影を落とした。
「騙してごめん。……俺はお前の敵だ。次に会ったら、戦う」
「はい」
ウロウはこくりと頷く。
「皆さんにご挨拶だけ、していきますね。敵とは言え、黙って立ち去るのは不義理がすぎますから」
それから踵を返し、会議室へと歩き始める。
執行団員特有のそれではない、ごく普通の服の裾がひらりと揺れた。
ライルは彼女の後ろをついて行きながら、思考する。
――これで良いのだろうか。
彼女をこのまま帰してしまって良いのか。
彼女を見逃すことは、執行団の歪んだ信心を是とすることと、ほとんど同じなのではないか。
しかし人の心を、神を慕う気持ちを否定したくはない。
解釈がねじれて暴力的になってこそいるが、ファストたちのような者を除けば、彼女らの信心は間違いなく本物だ。
ならばそこだけは認めて、拒まずにいても――
「ダーメ、だよっ」
ハッとライルは我に返る。
知らない声だ。
いつの間にやら下を向いていた顔を、弾かれるように上げて前を見る。
瞬間、彼の視界に赤色が散った。
赤色は、ウロウの首筋から噴き出していた。
「ウロウ!!」
ライルは彼女に駆け寄り、崩れ落ちるその体を受け止める。
急ぎ傷の様子を確認し、治癒魔法をかけようとするが、遅かった。
首はほとんど落ちる寸前まで深く斬り付けられており、ウロウは既にこと切れていた。
即死だったのだろう。
けれどもその表情は、とても満足げで、安らかであった。
「…………」
血液と共に体温が失われていく彼女の死体を、ライルは呆然と見下ろす。
生まれて初めてだった。
見知った者が、目の前で死ぬのは。
叫び出したくなるほどの感情が、彼の胸の内から溢れ出る。
だが彼は泣かなかった。
泣けなかった。
ただ明瞭な視界で、ウロウを襲った人物を捉える。
それは1人の小柄な、有角族の少女だった。
少女は血の付いた大きな刃を袖口から覗かせ、焦げ茶色の癖毛を揺らし、丸っこい目を細めてライルとウロウを見ている。
やがて「うん!」とひとりでに頷くと、くるりと方向転換をした。
「処刑完了! うふ、レイ様に褒めてもらお」
「待て!」
槍を手に追いかけようとするライルを余所に、少女は軽い身のこなしで廊下を駆け、窓から飛び降りて逃亡する。
ライルは窓から身を乗り出して外を見るが、もうそこに彼女の姿は無かった。
「ライル! どうした!」
と、騒がしい空気を感じ取ったフゲンたちが会議室から飛び出してくる。
「! こいつ……」
彼らは血溜まりに倒れるウロウと険しい顔のライルを見、おおよその事態を把握した。
そうしているうちに医務室に居た面々や、シャーレも続々と集まってくる。
「……悪い。取り逃がした」
ライルが辛うじてそう絞り出すと、おもむろにシャーレが歩き出し、廊下の突き当たりにある階段へと向かった。
階段から下を見やれば、血を流して倒れている幸運流通の構成員たちが数名。
更に下階に降りて裏口の扉前に行くと、そこでも構成員が殺され地に伏していた。
「やってくれたな」
シャーレは苦々しく呟く。
構成員たちは皆、彼が見張りと護りのために配置した者だった。
「警備は万全じゃなかったのかよ」
「返す言葉もねえ」
ティガルの言葉には素直に答えつつ、シャーレはぎゅっと眉間に皺を寄せる。
「敵な何人だった」
「俺が見たのは有角族の、小柄な女の子だった。かなり慣れた動きだったから、たぶん、1人でやったんだと思う」
シャーレは「そうか」と返し、しばし目を閉じた。
「俺はアギルに戻る。この落とし前は付けさせねえと、幸運流通の面目は丸潰れだ」
部下の死体の横を通って、彼は階段を戻って行く。
「お前らは好きにしてろ。生き残ってる奴らも医者も物資も適当に使え。言った通りの場所を提供できなかった詫びだ」
その声には、静かな熱が籠っていた。
***
「――これで7日は持つはずよ」
シャーレが殺されずに居た構成員たちに指示を出し、支所を出て行った後。
ライルたちはウロウの死体を回収し、血を拭くなどしていくらか身なりを整えてやった。
加えてクオウが魔法で防腐処理を行い、葬り方も場所も定まらない現状でのひとまずの対応を終えた。
「ありがとう、クオウ」
空き部屋に運び込んだベッドの上で横たわるウロウの死体。
やはり穏やかな表情のそれを見つめれば、ライルは得も言われぬ苦しさに襲われた。
「……俺、もう1回レイに会おうと思う」
「何のために?」
すかさずティガルが口を挟む。
「この女の仇でも取るのかよ」
彼は是とも非ともつかない鋭い視線をライルに向けた。
ぶっきらぼうな態度だが、決して悪意は無く、むしろその逆だった。
「わからない。自分でも、何をしたいのか」
が、ライルは力なく首を横に振る。
金色の瞳が鈍く陰っていた。
「だから今回は、俺だけで――」
「じゃあオレもついてくぜ」
パッと、ライルは顔を上げた。
途端にフゲンの赤い目が視界に飛び込む。
まるで太陽が昇った時のように、ライルは目の前に光を感じた。
「何がしたいかわかんねえなら、行ってから考えりゃいい話だ。んで、考えるなら頭は多い方が良いだろ? 例えばオレとかな!」
「フゲン……」
あくまで明るく、少しおどけて、しかし本気で言うフゲンに、ライルは眉を下げる。
「僕も、どうでしょう?」
次いで、モンシュも口を開いた。
彼は控えめに手を上げ、ライルのために微笑む。
「3人じゃちょっと心もとないわね」
続いてカシャも。
「年長者のアドバイス、役に立つと思うわ!」
クオウも。
「であれば自分も同行する」
シュリも。
「お人好しばっかじゃ限界があるだろ。おれも協力してやる」
ティガルも。
6人は皆、ライルと共に往くと意志を示した。
声にする言葉こそ違えど、誰もが彼を想っていた。
「……ありがとう」
ライルはくしゃりと笑う。
同時に、そうだった、と思い出した。
今はまだ、彼らに、仲間に頼ることが赦されるのだ、と。