161話 道の拓き方
「うふふ! みんな慌てちゃって。助かるわけないのにさ」
レイはくすくすと笑いながら、右往左往する獲物たちを眺める。
泥魔法は影魔法より応用が利きにくいが、その点を補って余りあるのは物理的な質量だ。
水より重く、しかし土や岩とは違い流動する泥は、生物を捕らえ殺すことにこの上なく長けている。
このような密閉空間であればなおのこと、影魔法と違い実体と質量を持つからこそ、罠にかかった獲物は容易に逃げ場を失うのである。
ゆえに、レイは何も心配していなかった。
そもそも軍人ですらない、少し戦闘慣れしていそうな程度の一般人風情を、執行団三番隊隊長たる自分がどうして討ち漏らそうか、と。
あまりに簡単な処理作業には早々に興味すら失いつつあり、地下に居る「彼」のことを考え始めるほどだった。
しかし。
ピリ、とにわかに空気が張ったのを、彼女は感じ取った。
ハッとして眼前の状況に意識を戻せば、槍を構えるライルの姿が目に入る。
瞬間、レイは反射的に魔法を強めようと手を伸ばした。
だがそれより早く、ライルは。
「天命槍術、《雷霆》!」
力強く、槍を投擲した。
器用に仲間たちの間を縫い、槍は件の絵画のちょうど前あたりに突き刺さる。
人外じみた威力を持ったそれは泥の妨害をものともせず、床面に直撃した。
するとバコッ、とくぐもった破壊音が鳴り、一拍置いて、積もっていた泥が一気に「流れ」出した。
「うわあっ!?」
「床を壊した……だけにしてはめちゃくちゃ流れてくぞこれ!?」
ライルとウロウを除き、場の面々は目を白黒させる。
彼らが流れに巻き込まれないよう踏ん張り、あるいは支え合っている内に、泥は見る見る部屋から無くなっていった。
床の泥につられて天井と壁面の泥も流れ、やがて部屋を埋めていた泥はきれいさっぱり流れ消える。
レイは面白くなさそうに、しかし少々興味が湧いて来たような表情で、ライルを見た。
「……ふーん、やってくれるじゃん」
間髪入れずに泥を追加してくるようなことは無いようで、ライルは警戒を続けつつもそっとウロウに耳打ちをする。
「ありがとう、おかげで助かった」
「いえ……」
感謝の言葉を居心地悪そうに受け止め、ウロウは緩く首を横に振った。
先ほど彼女はライルに、こう囁いていた。
――この部屋は地下倉庫と少しだけ位置が被っています。
――絵画の前の床、あそこを壊しさえすれば。
下が地面であれば、床下の空間を加味しても泥を排除しきることは難しい。
けれども部屋を丸ごと利用できるならば話は別だ。
ウロウはこの部屋が地下と縦軸で重なっている位置をライルに教え、ライルはその部分の床を破壊して見事、泥を流すことに成功した。
これが、事の顛末である。
「うふふ! でもこれで勝ったなんて思ってないよね? まだまだ手札はたっくさんあるんだから!」
余裕を取り戻し、そう言って笑うレイ。
そこへ、遠くから爆発音のようなものが聞こえてきた。
「!?」
音と同時に建物全体が揺れ、ライルたちもレイも咄嗟に辺りを見回す。
部屋に異常は無いようだ、と把握するや否や、1人の執行団員が飛び込んで来た。
「大変だ! 今、何かが――って、レイ様!?」
彼はレイが居ることに驚きながらも、報告を続ける。
「あの、何かが外、ええと、裏口付近で爆発したようで、詳細な発生源は不明なのですが、事によってはここにも被害が及ぶかもしれず――」
それを聞いたライルたちは、パッと顔を見合わせた。
「外……ってことは!」
カシャたち地下組からの合図に違いない。
であればもはや長居は無用だ。
「フゲン!」
「おうよ! ――我流体術、《ぶん殴る》!」
フゲンは躊躇い無く部屋の壁をぶち抜く。
「玄関ってこっちだったよな!?」
「ああ、合ってる! みんな、行くぞ!」
開いた穴に飛び込むように、彼らは部屋を脱した。
「っ逃げる気?!」
レイが叫び、追撃を仕掛けようとするも、フゲンはどんどん目の前の壁を破壊していくため、彼らの足は止まることが無い。
泥魔法を使うに適した地形を確保できず、また殿のジュリが小刻みに放つ魔法の妨害により狙いも上手く定められないレイは、見る見る彼らとの距離が開いていった。
一方、フゲンに加えライルも一緒になって次から次へと壁を壊し、拓けた出口への最短ルートを仲間と共に突っ走る。
やがて外に飛び出すと、モンシュが光と共に竜態へと変じた。
「乗ってください!」
ライルたちが出たのは建物の表側で、カシャたちが居るであろう裏手に行くには回り込む必要がある。
が、悠長に建物に沿ってぐるりと行くよりは、いったん上空に退避し、それからカシャたちの位置を確認、合流した方が早い。
そういうわけで、フゲン、モウゴ、ジュリと次々にモンシュの背に乗り込んでいく。
「ウロウ、お前も!」
ライルは自分も彼らに続く前に、後ろを振り向き、付いて来ていたウロウに声をかけた。
彼女は一瞬、迷いを見せたが、それに目を瞑るように、ライルと共にモンシュの背に乗る。
全員が背中に収まったことを認めるや、モンシュは慎重に飛び立った。
建物からは何人かの追手が出て来ていたが、既にライルたちは彼らの手の届くところには居なかった。
***
時を少し遡り、ライルたちがレイと対面している頃。
カシャたちは建物内を、早歩きで移動していた。
「こっちで合ってるのね?」
「ああ。確かに見た」
カシャの問いに、こくりとシュリが頷く。
執行団員に変装して調査をしていたフジャとシュリは、その最中に1人の女性がある部屋から出て来るところを目撃した。
フジャはその女性がセツヨウを攫った張本人であると気付き、急ぎカシャたちの元へ帰還。
女性が出て来た部屋こそがセツヨウの居場所か、そこに繋がっているに違いないと当たりを付け、やや危なっかしいが全員で向かうこととしたのだ。
幸いにも道中、他の執行団員に出くわすことは無く、一同は件の部屋まで到達する。
扉に鍵はかかっておらず、難なく中に入ってみれば、狭い室内に鉄の扉が嵌め込まれていた。
「こっちは開かないわね……」
取っ手をガチャガチャやり、チトは首を振る。
そしてグッと拳を握って、思い切り取っ手部分を殴った。
「ふんっ!」
バキ、と音がして、扉が力なく開く。
鍵がかかっているなら、鍵自体を壊せば良い。
単純明快である。
扉の先は下へと続く階段になっており、カシャたちは勇み足で降りて行く。
一番下まで辿り着くと、そこは広い地下室になっていた。
室内は3分の1ほどが牢屋という物騒な造りで、檻の向こうにはぐったりと倒れ込む人物がひとり。
それが誰なのかを視認するが早いか、チトは慌てて駆け寄った。
「セツヨウ!!」
薄暗い部屋の中、檻越しに彼の様子を見れば、どうやら酷く怪我をしている。
服にも血が滲んでいて、よくよく目を凝らせば石造りの床にも血痕が残っていた。
チトが檻を壊そうと拳を叩きつけるが、有角族対策がされているのか傷は付けど破壊には至らない。
代わりにクオウが魔法でどうにか檻を捻じ曲げて開き、そこからセツヨウを引っ張り出した。
「気を失ってるだけだね。とりあえず、死んでなくてよかった」
フジャが手を伸ばしてセツヨウに触れ、冷静に言う。
最悪の事態には至っていないようだった。
「でも、いつあいつが戻って来るかわからない。急いで脱出しよう」
かくしてセツヨウの救出に成功した地下組は、元来た道を遡り、シュリとフジャは服装を戻し、旧下水道へと退却する。
ただし最初の位置まで戻るのではなく、一番近い横穴に入って、執行団の建物からほど近い場所に出た。
それから作戦の通り合図を送ろうということで、クオウが爆音と振動を起こす魔法を発動。
「何かが爆発したぞ」と周辺の住民がわらわらと出て来て、辺り一帯はにわかに騒がしくなった。
「よし。あとはライルたちを待つだけね」
セツヨウ救出作戦完遂まで、あと一歩だ。