159話 淡い希望
しばらくして、部屋には女性の方だけが帰ってきた。
「お待たせしました」
彼女は武器も何も所持しておらず、本当に警戒を解き、心を許しているようだった。
静かに扉を閉めてライルたちの前まで来ると、女性はぺこりと軽く頭を下げる。
「まずは申し訳ありません。レイ様はお取込み中とのことで、お会いすることができませんでした」
「いや、いいよ。俺たちが急に押しかけたわけだし」
ライルは答えつつ、「レイ様」という人物について思考を巡らせる。
「様」と付くからには、一定以上の地位に就いている者だろう。
この建物が何番隊のものかは不明だが、そこの隊長か副隊長、あるいはもっと上の立場の者なのかもしれない。
何にせよ、武装団体である執行団の中で上位に位置する人物なのであれば、戦闘面で警戒が必要だ。
「それで、皆様の探し人ですが。特徴をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
ひと呼吸おいてそう尋ねる女性に、ライルはいったん口をつぐむ。
さてここは素直に答えるべきか。
皆の方を見て判断を仰げば、ジュリもモウゴも頷き「是」を示していた。
フゲンとモンシュも異論は無いようで、2人に続いて首肯する。
「……紺色の髪の男だ。目は黒色。海竜族で、身長は……こいつより若干高いくらい」
ライルは女性の方に向き直り、名前だけは一応伏せて、セツヨウの特徴を説明した。
こいつ、と指したのはフゲンだ。
確かそのくらいの背丈であったとライルは記憶している。
そこでライルが言葉を区切ると、ジュリが口を開き、説明を引き継いだ。
「名前はセツヨウ。ちょっとぶっきらぼうだけど、面倒見の良い奴だ。いつも俺たちを引っ張ってくれる。頭の固いところもあるけど、優しくて、兄貴みたいな……仲間だ」
「そうですか……」
彼女の懸命さが伝わったのだろう、女性は同情したような顔で相槌を打つ。
執行団員であるということを除けば、ごく善良な人間のようであった。
それから、彼女は咳ばらいをひとつして切り出した。
「単刀直入に申し上げますね。その方は、恐らく地下牢に幽閉している人物と同一です」
パッとジュリの目が見開かれる。
だが今にも走り出しそうなのを堪えるように、彼女は拳を固く握りしめ、黙したまま女性の続く言葉を待った。
「何でも、レイ様が外出なさった際に連れ帰って来たそうで。敵対心ありとのことで、レイ様直々に監視をしているのだとか」
眉をひそめながら女性は話す。
彼女の表情は、人が日常のちょっとした問題を打ち明ける時のそれに似ており、喋っている内容の物騒さとちぐはぐだ。
つらつらと語られる言葉を聞き、ライルは顔を曇らせる。
やはりセツヨウがここに捕まっているのは確かなようだ。
が、「レイ様」が彼を連れ去った件の女であるなら、そして彼女が監視を行っているなら、救出活動は想定よりも困難なものになる。
仮に「レイ様」がファストと同じくらいの強さだとして、この場の全員でかかれば勝てないことはないはず。
しかし容易ではないだろうし、「レイ様」と戦うのであれば大きな騒ぎになってしまうだろう。
けれども監視が続いている限り、秘密裏にセツヨウを助け出すという手段は使えない。
はてどうしたものかと密かに頭を悩ませるライルだったが、女性はそんな彼と仲間たちにニコリと笑いかけた。
「ですが、ご安心ください。これはきっと何かの間違いなのでしょうから」
彼女はライルの手を取り、真っ直ぐに目を見て力説する。
「あなたのような素晴らしい心を持つ方のお仲間が、悪人であるはずがありません。私にはわかります。これはひとつの試練なのだと。レイ様が戻られましたら、私が事情をお伝えします。そうしたら誤解は解け、すぐにでもセツヨウさんは解放されるでしょう」
どれほど彼女がライルの「理解」に心打たれたのか。
どれほど彼女がライルに善意を向けているのか。
嫌というほどわかってしまって、ライルはまた胸が締め付けられる思いがした。
「なんだ、話のわかる奴じゃないか」
しかしホッとしたようなジュリの呟きが耳に届き、彼は我に返る。
おこがましくも良心を痛めている場合ではない。
利用すると決めたのだから、最後までその通りに行動しなくては意味が無い。
ライルは笑顔を作り、女性に応える。
「ありがとう。ぜひそうしてくれ」
「はい。ところで、お名前を伺っても?」
そういえばお互い名乗らないまま話を進めていたな、とライルは気付く。
当初は仲良くなるつもりが無く、名を知らずとも問題は無かったから当然と言えば当然だが。
「俺はライル。人間族のライルだ」
「ライルさん、ですね。私も人間族で、ウロウと申します。どうぞよしなに」
ウロウ、とライルは心の中で反復する。
覚えのある名前だった。
尤も、それが目の前の彼女と同一とは限らない。
けれども微かな親近感が生じたのは、否定できない事実だった。
「さて、ただ待つだけというのも勿体ないことです。聖典と主の尊き教えについて、語らいませんか?」
「喜んで。そうだな、じゃあ巷では難解って言われてる後章第17節について――」
できれば今すぐにでもセツヨウの元に駆け付けたいが、こればかりは急がば回れだ。
ライルはウロウの求めに応じ、話を始める。
己のよく知る聖典の内容を、所々でわざと曲解させた話を。
当たり前のことながら、執行団の主張に寄せて話すという行為は全く作為的なことである。
神のためだと言い張り、思い込み、他者をいたずらに傷付ける執行団の思想に、ライルはこれっぽっちも賛同できない。
ウロウと話せば話すほどその意思は強くなるばかりであったし、彼女を説得して執行団から抜けさせたいとも考えずにはいられなかった。
だが。
同時に、ライルはこうも思っていた。
もしかして、執行団員でもちゃんと話し合えば、わかってもらえるのではないか、と。
ライルから先に歩み寄ったのが原因だろうが、少なくとも今のウロウは「話の通じない狂人」などではない。
相手の言葉を聞き、理解し、咀嚼し、自分の考えと照らし合わせることができている。
ならば神が暴力など望まないことを、信仰とは他者の否定ではないことを、話せばわかってもらえるのではないだろうか。
恐らくほとんどの執行団員には、敵意はあれど悪意は無い。
歪んだ認識のせいで、信仰心があらぬ方向へと暴走しているだけ。
であれば、撲滅ではなく和解こそが最も望ましい結果だ。
そしてそれはやり方次第で、実現できることかもしれない。
聖典について活き活きと語るウロウを見て、ライルはそんな淡い希望を抱くのだった。
「ああ、やはりあなたの信仰心は素晴らしいですね。私たちが掲げる正しき視点への理解度も、ほとんど完璧です」
ひとしきり語り終えたところで、ウロウは嘆息する。
心の底から満足そうな表情だった。
「あなたたちも、真剣に耳を傾けているようで感心です。知識が足らずとも、その真摯さは善き信心の証ですから。その心掛けを忘れずに精進すれば、やがて正しき視点に目覚めることができるでしょう。特に白いリボンのあなた。とても利口ですね。私たちの一言一句をよく理解しているのがわかります。今後も精進してくださいね」
「あ……ありがとうございます」
モンシュは困惑気味に礼を言う。
彼もまた、話が通じそうで通じ無さそうな、彼女のアンバランスさに戸惑っているようだった。
「充実した時間が過ぎるのはあっと言う間ですね。では今一度、レイ様がお手隙か尋ねてきます」
言って、ウロウは立ち上がり、部屋から出ようと扉に手をかける。
しかし彼女が手を捻るより先に、外側から扉が開かれた。
ウロウは少し驚いた様子で後ずさる。
が、開いた扉の向こうから姿を現した人物を見るや否や、パッと顔を明るくした。
「レイ様!」
彼女が呼んだその名前に、ライルたちは一斉にそちらに注目する。
部屋の入口に立っていたのは、淡い黄緑色の髪をした女だった。
「こんにちは。私を探してるみたいだったから、来てあげたよ」
女はウロウに屈託なく笑いかける。
それからライルたちの方を、射貫くような視線で見やった。