幕間 名も無き旅の魔女と使い魔
地上国のとある海沿いの町にて、若い女性と青年が並んで歩いていた。
2人は旅の者であったが、朝の柔らかな光に満ちた町は彼女らを柔らかく歓迎する。
忌避の目にも好奇の目にもさらされることなく、2人は穏やかな心持ちだった。
「ローズ様、あれ何かな?」
と、青年、カダが通り沿いの店先を指差す。
そこには日光を反射してキラキラと輝く珠が置かれていた。
隣には看板もあり、「営業中」とのこと。
女性、ローズは珠を一瞥する。
「魔道具だ。恐らく魔力を溜めておくための物だろうな。気になるか?」
「うん!」
カダは元気よく頷いた。
この上なく無邪気な笑顔だ。
ローズは微笑み、「では寄るとしよう」と彼の手を引いて店の扉を開けた。
「いらっしゃい」
カランカラン、という小気味の良い音と共に、カウンターの向こうからのんびりとした声が飛んで来る。
店内では幅に余裕をもって棚が並んでおり、赤青緑と色とりどりの珠や、これを小さく切り出してはめ込んだネックレスやブレスレットなんかが陳列されていた。
「うわあ、きれい!」
「気に入ったものがあれば買ってやろう。ゆっくり選べ」
視界いっぱいの宝物に目を輝かせるカダを見送って、ローズは壁に背を預ける。
すると、いつの間にかカウンターから出て来ていた店主が彼女に声をかけた。
「ご姉弟ですか」
「いや、友だちだ」
「おっとこれは失礼」
店主はバツが悪そうに少し肩をすくめ、気を取り直すように改めて口を開く。
「うちの商品は加工にこだわっていましてね。単なる道具としてだけでなく、アクセサリーやインテリアとしてもお使いいただけますよ」
「ほう。加工は貴様が?」
「ええ、そうです。週に4日店を開けて、残りの3日で商品の制作をしています」
「良い暮らしだな」
「全くです。毎日楽しいですよ」
こくこくと頷き、店主は言う。
彼の身なりを見るに、さほど裕福な暮らしをしてはいなさそうだったが、言葉に偽りは無いようだった。
それほどに、本当に楽しそうな表情をしていたのである。
「ローズ様! 俺、これがいい!」
やがてカダが、ひとつの商品を手にローズのところへ戻って来る。
彼が選んだのは金具に赤い珠がはめ込まれた、慎ましやかなブレスレットだった。
「えへへ、ローズ様の色!」
ブレスレットを嬉しそうに見せるカダに、ローズはつられて口角を上げる。
「店主」
「まいど。銀貨4枚です。包みますか?」
「不要だ。このまま付けて行く」
ローズは襤褸切れのような財布から銀貨を出し、店主に手渡す。
それからカダの右手首にブレスレットを付けてやり、満足そうに目を細めた。
「またのお越しを」
店主の挨拶と、カランカランという扉の音を背に、2人は店を出る。
そうして彼女らは、再び通りを下り始めた。
「ローズ様、ありがとう!」
「どういたしまして」
ローズとカダに、目的地は無い。
故郷にして住処である公国を追放された者として、あてどもなく旅を続けている。
金はほとんど無かったが、困りはしなかった。
魔女の特殊な肉体はろくに飲み食いをせずとも生きて行けるし、使い魔は主からの魔力の供給さえあれば。
時間はあれど目的は持たず、ただ静かに素朴な平穏を享受する旅。
単に暮らしぶりが変わっただけだと思い込んでいるカダはもちろんのこと、ここに至るまでの敗北と屈辱を知っているローズでさえ、存外こんな日々に馴染んでいた。
「『青の魔女』リヴ……。奇異な望みを持つ人間だと思っていたが。今なら、あなたの願いが理解できる」
日が落ち、今日の寝床と定めた林の中で、ローズは空を見上げて呟く。
隣ではカダが、木の根を枕にして既に寝息を立てていた。
「人を愛することと、縛ることは違う。だからあなたは……彼の者を手放したのだな」
ローズは自分の敗因を作った元凶とも言える、あの冒険団に思いを馳せる。
彼らが未だ気付いていない、彼らの中の誰かが抱えるいくつかの秘密。
それらを指折り数え、ローズは意地悪く笑みを浮かべた。
「いずれ奴も目覚めるだろう。その時、あの若造共はどんな反応をするか」
手櫛で髪を整え、ローズはカダに寄り添うように横たわる。
ふと見ると彼の頭に落ち葉が付いており、取ってやろうと手を伸ばせば、己の手首にはめられた魔法抑制装置が目に入った。
新生エトラル公国の面々、彼女らも今頃どうしているだろうか――と考え、ほどなく自分が仕掛けた「サプライズ」のことを思い出し、ローズはクスクスと笑う。
復讐劇の主役だった彼女は、今や名も無き一般人だ。
長年かけた目論見が阻止された上に故郷を放逐された、という点では十分に罰と言える措置。
しかし彼女は、ほんの数ヵ月前よりも、今の方がずっと安らかな様子だった。