150話 問、人間の悪について
海礼祭が、終わった。
原因不明の爆発と乱闘、神輿の強奪という『一時的な』トラブルはあったが、無事に戻って来た巫女の呼びかけもあり、少々時間が押しつつも祭祀は予定通りに行われた。
アグヴィル協会の関与を疑う者はいない。
全ては軍により揉み消され、一連の騒動は「祭に興奮した一部の市民が起こした暴挙」として処理されたからだ。
故に、日常はすぐに帰って来た。
喉元過ぎれば何とやら、あの通りで混乱に巻き込まれた者たちでさえ、1週間も経つ頃には騒動を話題に上げることすらしなくなっていた。
だが無論、そうでない者も居る。
当事者である海底国軍、および海底国軍『箱庭』捜索隊の面々、アグヴィル協会、そして――雷霆冒険団の7人だ。
海礼祭が幕を閉じた後、モンシュら重傷者がまともに歩けるくらいまで回復した頃に、ライルたちはキエから呼び出しを受けた。
使者が言うには、直接感謝を伝えたいとのことだった。
「この度は、本当にありがとうございました」
『祈りの間』にて、一行を出迎えたキエはそう言って深々と頭を下げた。
その声と肩は僅かに震えている。
罪悪感からだった。
キエは、祭の最中に転送魔法でイハイと位置を入れ替えられたのち、マナから作戦の真の概要を聞いたのだ。
雷霆冒険団をブラフとして利用すること、イハイを身代わりにすること、本当の目的はアグヴィル協会と協力関係を結ぶこと。
もちろん、マナが自発的に説明したわけではない。
元より聞かされていた作戦と異なる動きを不審に思ったキエ自身が、彼を問い詰めた結果である。
自分のせいで傷付いた善き人々に、顔向けができない。
しかし面と向かって謝礼をしなければ、それこそ不義理というもの。
ライルたちの手前、叱責、あるいは暴力的な制裁でも受け入れようと、キエはじっと反応を待つ。
だが当然というべきか、返って来たのはのほほんとした声だった。
「どういたしまして。あなたが無事でよかったわ」
キエが顔を上げれば、クオウが無邪気に笑っているのが目に入る。
そればかりかほとんど皆、ちょっとした親切をした後のような表情をしていた。
唯一、ティガルだけは複雑な顔をしていたが、それでもキエに対する悪感情は欠片も見えない。
涙が零れそうになるのを何とか堪え、キエはもう一度「ありがとうございます」と言った。
「……こちらを」
次いで、彼女は脇に置いてあった箱を開け、3枚の紙を差し出す。
紙は大判の地図くらいの大きさをしており、ライルがそれを受け取り床に広げてみれば、かなり古いものであろう図画が現れた。
「なんだこれ」
「海底国の巫女のみが目にできる石板……の写しです」
え、と誰からともなく声が漏れる。
しかし妥当な反応だろう。
「有り難いですけれど、私たちに見せても良いのですか……?」
皆が思ったことをカシャが真っ先に口に出せば、キエは苦笑する。
「いいえ、バレると少々。ですが気にしないでください。皆様は私のために命懸けで戦ってくださったのですから、このくらいは」
「そういうことでしたら……」
彼女の覚悟と好意を無下にするのもまた酷だ。
一行は甘んじて、写しを見ることにした。
「こちらから、1枚目、2枚目、3枚目となっております。恐らくは何らかの物語、あるいは伝説を記したものかと。あいにく、文字は読めないのですが……すみません」
「大丈夫です! 僕、ちょっと読んでみますね」
3枚の写しにはそれぞれ短い文が綴られている。
モンシュはそれを注意深く観察し、丁寧に読み解いていった。
「『その者、地図を以て方舟を動か――』『その者、鍵を――扉を開けた』、『試練を――には箱庭があった』、『――は箱庭でその者の願い――』……ところどころ欠けているみたいですが、こんな感じです」
「カラバンの遺跡にあった内容とだいたい同じだな」
フゲンは腕組みをして思案する。
絵が3場面分あるのも含めあちらよりは具体的な記述であるものの、要するに『箱庭』への道のりを記したものだ。
けれども何か新情報が読み取れる気がしないでもない――と彼が唸っていると、不意にシュリが口を開いた。
「だが『これ』は、大きな手掛かりになると思う」
彼が指差したのは、写しの1枚目。
「地図」らしき物を手にした人物が乗り込まんとしている「方舟」の、その下には波が描かれていた。
「つまり、『方舟』は海の上にあるんだな」
ティガルがそう呟くと、シュリはこくりと首肯する。
「あっ! じゃあもしかして、『地図』の光が指してるのは『方舟』のある方向なんじゃないかしら!?」
「おお、確かに!」
続いてクオウがポンと手を叩き、ライルが嬉しそうな声を上げた。
そう、「『地図』は海上にある何かを示している」というのが、海底国到着時点での一行の推測だった。
石板の写しから得られた情報は、まさにこれに合致するのだ。
「あと、ここも気になるわね」
更にカシャが3枚目を指差す。
「1枚目と2枚目は『箱庭』に行った人物しか生物が描かれていないけれど、3枚目で天竜族が登場してる。明らかに作為的よ」
「でも文章には天竜族のことは何も書いてねえんだろ?」
フゲンは首を傾げつつモンシュに目線をやった。
モンシュはもう一度、文章をよくよく確認してから頷く。
「はい。憶測になりますが、考えられるのは……天竜族のある個人が関わっていたか、天竜族全体が関わっていたか、もしくは神様の使いが天竜族の姿をとっていたか……くらいでしょうか」
「ま、何にせよこれでグッと前進できるぜ! ありがとな、キエ!」
喜色を滲ませた顔で、ライルはキエの方を振り向いた。
だがどうしたことか、視線の先で彼女は憂いを帯びた表情でうつむいている。
何か気に障っただろうかとライルが声をかけようとすると、先に彼女の方がパッと顔を上げた。
「それから……あの、皆様の邪魔をするつもりは無いのですが……」
そう前置きをし、キエは言葉を続ける。
「以前、神託がありました。『箱庭』に接近することは不吉である――と」
* * *
賑やかさも落ち着き始めた夕暮れの街を、ライルたちは関所に向かって歩く。
キエの身に迫る危機はひとまず払い除けられたし、当初の目的だった情報も得られた。
ここらで海底国を出、次の目的地を目指そうというわけである。
「にしても、『箱庭』に近付くのが不吉ってなあ……」
「警戒するに越したことはねえってことだろ。『箱庭捜索は争いと凶事を招く』の延長でさ。『箱庭』が神の居る場所でも、その周辺に悪人が蔓延ってる可能性はあるんだからな」
どうにもしっくりきていない様子で独り言ちるフゲンに、ティガルが淡泊に返す。
しかしキエが授かった神託……早い話が神からの伝言は、各々の心に引っかかっていた。
わざわざお告げをするのだから、道中の危険というよりはもっと明確な「何か」があるのだろう。
それが人物なのか、物体なのか、事象なのかはさっぱりであるが。
ともあれ、この程度では一行が歩みを止める理由にはならない。
「不吉」の正体が何であろうと、彼らはそれぞれの願いのために、進み続けるだけだ。
「……!」
と、関所までの最後の曲がり角を過ぎたところで、不意にライルが振り向く。
誰が意図を問うより早く、彼はおもむろに発話した。
「マナ」
数秒あって、建物の影から苦笑いを浮かべたマナが現れる。
「見つかっちゃったか」
彼は少々気まずそうに頭をかいた。
それもそのはず、ライルたちとマナたちは、海礼祭後間もなく顔を合わせなくなっていたのだ。
作戦が終了しマナたちがどこかへ行ったと思えば、重傷者は一般の病院へ、そうでない者はこれまた一般の宿へ、問答無用で放り込まれた。
案内や手続きをしたのもそのように依頼を受けたという一般人であり、以降、捜索隊とは全く接触の機会が無いまま今に至る。
「何しに来た」
ティガルは敵意を剥き出しにして、マナを睨みつけた。
「見送りだよ」
「どのツラ下げて――」
声を荒げ、彼に掴みかからんとするティガルだったが、それをライルが「待ってくれ」と制止する。
「……マナ。お前の目的、聞いていいか」
ティガルとは対照的に、ライルは至って平静だった。
金色の瞳で真っ直ぐに彼を見つめ、ただ純粋に、問いを投げかける。
一瞬だけ表情を強張らせるマナ。
けれどもすぐに、また苦笑と共に肩をすくめた。
「今更、何言っても本当には聞えないでしょ?」
「それでも聞きたいんだ。お前の、お前たちの願いを」
ライルの声が、マナの鼓膜を打つ。
しばらくの沈黙を挟んで、ゆっくりと、観念したように、マナは口を開いた。
「……国をね」
静かな声が、橙色のくうきに溶ける。
「このクソみたいな国を、変えたいんだ。もう誰も泣かなくていいように。暗い腐敗の連鎖が、僕たちで終わるように」
そこに居たのは1人の少年だった。
社会に反駁したが故に爪弾きにされ、傷付いた仲間たちと身を寄せ合い、ただ一筋の光を求め、歪ながらも懸命に足掻く少年。
ライルは、しかとその願いを聞き届け、頷いた。
「そうか」
彼は理解した。
悪と、裏切りと、正義と、情は――共存し得る。
正義のために悪の手を取る。
深い情のために裏切る。
そしてそれは恐らく、小さき者であるがゆえの戦い方なのだ。
マナたちは、彼らの敵に対してひどく小さい。
今でこそ軍の一部と、アグヴィル協会を協力者として迎えているものの、初めはたった4人で国に太刀打ちしなくてはならなかった。
大は小を兼ねると言うが、その「逆」だ。
つまり、小が大を兼ねる――あるいは、小が大を制す。
彼らはこれを実現せんとしているのである。
ティガルの怒りは尤もだ。
マナたちとてそれは承知の上だろう。
だから海礼祭後は早々に距離を取った。
しかしライルは、怒りを抱くことをしなかったし、目を瞑ることもしない。
それこそが彼の、マナたちに対する返答だった。