149話 海底の密約
海底国軍『箱庭』捜索隊の拠点は、とても静かだった。
アグヴィル協会の幹部、マントラとパラミは地下室で拘束され、マッポの薬で眠らされている。
また負傷者であるモンシュ、カシャ、クオウも、医務室にて寝かされていた。
治療は粗方済んでおり容態は安定しているが、意識はまだ、戻っていない。
さて前者、地下室では監視役としてシュリが居た。
彼は2人が目を覚ます気配が無いか、注意深く視線を注ぐ。
呼吸ひとつ、寝返りひとつ、そこに意識が介在していないか見極めるのだ。
シュリはかなりの時間、椅子に座り自分も身じろぎひとつせず、監視を続けていた。
と、そこへ地下室の扉が開き、マッポが入って来る。
「あのう、交代しましょうか……?」
彼女はシュリのすぐ横まで近付くと、控えめな声で申し出た。
「大丈夫だ。ありがとう」
だがシュリは努めて柔らかく、それを断る。
マッポはずっと治療を頑張っていたのだから、監視の役割は自分が責任を持って行おう――というのが、彼の考えだった。
そう、役割。
シュリに与えられたのは、戦闘でも敵地侵入でもなく、拠点に留まって遂行する役だ。
無論、必要なことである。
軍の上層部に協会の協力者が居る以上、負かした幹部たちは自分たちの元で捕らえておかなくてはならない。
幹部たちが逃げる心配が無いからこそ、いま前線を駆け回っている面々は安心して戦えるというものだ。
その意味で、シュリの役割は作戦を支える縁の下の力持ちと言えよう。
しかしながら。
「心配、ですよね。皆さんのこと……」
「ああ」
やはりどうしても、落ち着かない気持ちはあった。
ライルが、フゲンが、ティガルが。
彼らがキエを取り戻すために奔走していると思うと、自分も加勢してやりたいという心が無視できない。
エニシと対峙しているというライルとフゲンは当然のこと、単身神殿への侵入を試みているというティガルも、シュリは心配せずにはいられなかった。
もし、モンシュたちのように深手を負わされたら。
あるいはもっと酷くて、殺されてしまったら。
嫌な想像は何をしても完全には拭いきれず、監視に注力しながらもシュリの意識のいくらかは仲間たちのことに割かれている。
するとそんな彼に、マッポがおずおずと口を開いた。
「えっと……何て言うか、きっと悪いようにはなりませんよ。今ごろ、マナが神殿に到着して、上手に……やってくれているはずです」
彼女は微笑む。
その笑顔はぎこちなかったが、言葉に偽りや誇張の色は無い。
「信頼しているんだな」
「はい。マナは私たちみんなの恩人ですから」
懐かしむような口調で、マッポは言った。
「独りぼっちだった私を連れ出してくれたのも、殺処分されかけていたニパータを助け出したのも、行先を見失っていたイハイを引っ張り上げたのも、彼なんです。私たちはマナのおかげで居場所と目的を得ることができました」
派閥間の歪みから生じた海底国軍『箱庭』捜索隊。
しかしそこには確かな救いがあり、その救いを最初に拾い上げたのがマナであると、彼女は語る。
「良い人なんです。マナだけじゃなく、イハイとニパータも。みんな一生懸命で、優しくて、強くて……私も頑張ろうって思えるくらいに眩しいんです」
マッポの内には、意志があった。
逆境に負けじと抗う、強い決意が。
「ですからその、ええと……どうか……。……いえ、すみません。話の着地点があやふやで……」
「構わない。あなたが話してくれたということが大事だ」
シュリは緩く首を振り、優しく微笑む。
一時的な共闘とは言え彼は既にマッポたちに十分な親しみを覚えていたし、だからこそ心理的な交流は嬉しいものだった。
「戦わず待つ身は、何かともどかしいが……与えられた任を全うしよう。皆の帰りを信じて」
「はい……!」
好意的な反応に、パッと顔を綻ばせるマッポ。
少し間を置き、彼女は改まったように切り出す。
「あの、シュリさん」
シュリが続く言葉を待っていれば、また少しの沈黙を挟んでマッポは言った。
「私が言うようなことじゃ、ないですけど……。冒険……頑張ってくださいね」
「……ありがとう」
目を細め、シュリは応援の言葉を受け取る。
マッポたちが腹の内に抱えたものには、気付かないまま。
* * *
「ふむ。中々、面白いな」
マナの話を聞き終わったエニシが最初に発したのは、そんな台詞だった。
「確かに貴様らを手駒に加えれば、戦略の幅が広がりそうだ」
彼は口角を上げ、喉を小さく鳴らして笑う。
この反応であれば交渉は成立か――と思われたが、しかしエニシは「だが」と続けた。
「足りんな。駒にとっても最も重要なもの……忠誠心が」
「忠誠心?」
マナが聞き返せば、試すような声色で返答が来る。
「どんな優秀な道具でも、思うように使えなければ意味が無い。貴様らはどうだ、俺の計画を邪魔した……商品にしては少々やんちゃが過ぎるだろう。品質の保証がされていない物が、なぜ買ってもらえると?」
要するに、今の今まで敵対していた者は信用に値しないと、そういうことらしい。
一般的な観点から言っても、妥当な所感だ。
「ヤシャ」
更にエニシは、イハイが捕らえているヤシャの方へと視線を移して、こう命じた。
「左手の小指を折れ」
「はーい!」
一も二も無く、ヤシャは元気よく返事をする。
次の瞬間には、パキ、と軽い音が響いた。
彼が言われた通りに、指を折ったのだ。
「ッお前……!」
思わずライルは駆け出しそうになるが、それを見越していたかのようなマナから一瞥を受け、グッと踏みとどまる。
邪魔を、してはいけない。
自分は「これ」を見届けなくてはならないのだと、ライルは拳を握りしめた。
「――俺が求めるのはこのような駒だ。従順で、決して裏切らない。貴様らはどうだ? 例えば俺が『死ね』と言ったら、命令通りに死ねるのか?」
平然とした様子でエニシは話を続ける。
どうやら「忠誠心」の例示として――たったそれだけのために――ヤシャに指を折らせたらしい。
冷酷極まる彼の問いに、しかしマナはニッコリと笑って答えた。
「できないね」
エニシの口元が、僅かに引きつる。
けれども彼がその不愉快を行動で示すより先に、マナが言葉を継いだ。
「でもそれで問題ないはずだよ。だって僕たちは、君の手駒にはならないから」
は、と声を漏らしたのは、ライルか、フゲンか、ティガルか。
いずれにせよ、彼ら3人は思いも寄らぬ話の展開に唖然とする。
「最初に言ったでしょ? これは取引で、僕たちが求めてるのは協力関係だって」
遮られないのを良いことに、マナはつらつらと言葉を並べ立てた。
彼の主張は、なるほど正しい。
捜索隊とアグヴィル協会の力量差と「買う」という紛らわしい表現から、聞いている者が勝手に勘違いをしていただけ。
彼は初めからエニシに対し、対等な立場を要求していた。
「僕たちは君たちのお願いを聞く。嫌だったら嫌って言う。代わりに、君たちも僕たちのお願いを聞く。嫌だったら嫌って言う。それだけのことなんだから、忠誠心なんて要らないよ」
マナが言い終えると、次に沈黙が訪れた。
ライルたちは固唾を呑み、マナたちは堂々たる様子で、エニシの返答を待つ。
そうして、幾ばくかの空白の後に発されたのは。
「……クク」
音としては控えめでありながらも、心底、愉快そうな笑い声だった。
エニシはニヤリと口角を上げ、獰猛な視線でマナを捉える。
「良いだろう。貴様らの値札は今、定まった。……良い値で買ってやろう」
提示されたのは、紛れもない承諾の意志。
ライルはフゲンと顔を見合わせ、ホッと溜め息を吐いた。
ティガルはというと、相変わらず不満げな表情であったが。
「手始めに、そうだな。貴様らが捕らえた幹部を返却してもらおうか。『迎えに行く』のは少々手間だ」
「じゃ、代わりに巫女からは手を引いてもらおうかな」
「欲をかくな愚か者。枕詞に『この場においては』と付けておけ」
「……わかった。とりあえずは、ね」
協力関係が決まったなら話は早いと言わんばかりに、とんとん拍子で話がまとまっていく。
マナとエニシの間の空気は友好的と言うには程遠いが、それでも。
海底国の、貴族たちの与り知らぬところで、捜索隊とアグヴィル協会は手を結んだのである。