147話 騙し騙され
大鎌を握りしめ、一分の隙も無く敵意を向けるイハイ。
緊張が走る。
指先ひとつ動かせばそれが合図となり、次の瞬間には大鎌が少年の首を斬り落とすこととなりそうなほど、空気が張り詰める。
そして、ヤシャは。
「……あーあ。またボクの負けかあ」
大の字に寝転がり、脱力した。
使い物にならなくなったグローブが手から滑り落ち、ぱさりと音を立てる。
「降参するよ」
あっけらかんと言う彼に、イハイは少し考えてから口を開いた。
「素直だね」
「ボスに言われてるから。負けちゃって逃げられないなら、降参しろって」
ヤシャの声に偽りの色は無い。
いつも通り、単純で正直で、どこか人間味に欠けている。
イハイはしばらく彼の目をじっと見つめていたが、やがて構えを解くとパッと明るく笑った。
「これでよーし! 上手くいって安心安心ー!」
そうして懐から取り出した細く硬い縄で、手際よくヤシャを拘束し始める。
ヤシャはされるがままであり、抵抗のての字も見せない。
場は完全に収拾した――と思われたが。
「テメエ、どういうことだ!!」
拘束作業が終わるや否や、ティガルがイハイに掴みかかる。
その表情は今までになく憤怒に染まっており、まさに鬼気迫る様子だった。
「説明してほしい? でも君はもうわかってるでしょ?」
「んなこと言ってんじゃねえよ!」
平然と返答するイハイに、彼はますます声を荒げる。
「なんで黙ってた! お前とキエが入れ替わってるって知ってたら、あいつらはあんな目に遭わなくて済んだんだぞ!!」
そう叫ぶ彼の脳裏に蘇っていたのは、深く傷付いたモンシュたちの姿だった。
キエを守るために戦い、重傷を負って息も絶え絶えに帰って来た3人。
もしエニシに遭遇したとて、キエを守るという目的が無ければ――イハイを影武者として送り込むことが目的と知っていたならば――無茶な戦いを挑むことは無かっただろう。
また戦わず、即座に逃げていれば、あれほど手酷くはやられなかっただろう。
だからティガルは怒っていた。
お人好しの彼らを利用したイハイに、あるいはイハイたちに、心の底から憤怒の感情を抱いていた。
しかしイハイは少し眉を下げて、笑う。
「駄目だよ、それじゃ。本気でやらなきゃエニシの目は欺けない」
それは確かに、正しかった。
闇社会で生きるエニシを真正面から演技で騙すことなど、至難の業だ。
演じるのがモンシュたちならば尚更。
「ッ……クソ野郎が!!」
ティガルは論理的な反論ができず、そう吐き捨ててイハイを突き放す。
だが怒りの炎は燃え盛るばかりだ。
踵を返し、彼は大股で扉の方へと向かう。
「どこ行くの?」
イハイが尋ねるが、答えは返ってこない。
そのままティガルは『祈りの間』から出て行ってしまった。
シン、と空間が静まり返る。
ややあって、一部始終を黙って見ていたヤシャが首を傾げた。
「ね、今のって仲間割れ?」
「うーん……俺たちが叱られただけかな。彼らに非は無いよ」
「そっかあ」
ちらり、とヤシャはイハイの方を見上げる。
いつの間にかイハイは、拘束作業のために手放していた大鎌を再び手に持っていた。
彼は無言かつ無表情で、大鎌の刃をヤシャの首筋に当てる。
「ボクのこと、殺すの?」
「どうしよ。キエに手を出そうとしたんだから、殺そっかな?」
ヤシャは応えない。
泣きも喚きもせず、ただ彼を見ていた。
「……なんてね」
数十秒は経ったろうか、イハイは大鎌を下ろす。
それから何事も無かったかのように笑顔を作った。
「エニシが君を必要としてるなら、生かしておく。利用価値があるからね!」
「あは、ボスみたいな言い方だ」
「うえ……そうなの? やだなあ。今の撤回する」
* * *
『祈りの間』から神殿の正面口に向かって、ティガルは荒々しい足取りで走っていた。
「クソッ……クソッ、クソ! ふざけんなふざけんなふざけんな!!」
苛立たしげに呟きながら、ところどころに立っている見張りと思しきアグヴィル協会構成員を伸して進んで行く。
「信じなきゃよかった! あんな奴ら! 信じたおれが馬鹿だった!」
彼の心の内には、怒りと共に焦りもあった。
神殿の前でエニシと戦っているライルとフゲンについてである。
彼らがモンシュたちと同じ目に、もしくはもっと酷い目に遭ってはいないかと、ティガルは気が気でなかった。
無闇に頭をよぎる嫌な想像を振り払うように、目の前の敵をなぎ倒し先を急ぐ彼。
そうして入り口の扉を蹴破るように開け、外へと飛び出した。
「ライル! フゲン!」
まず彼の目に入ったのは、息ひとつ乱さず佇むエニシ。
次に、どうやら少なくとも五体満足らしいライルたち。
ティガルが僅かに安堵したのも束の間、エニシの意識が彼へと向く。
「稚魚が増えたか」
何の感慨も無い声がティガルの耳に届くや否や、彼目がけて斬撃が飛来した。
「ッ!」
横に転がるようにしてそれを避けながら、ティガルは周囲の状況を見、援軍等が来ていないことを確認する。
直後、エニシが2撃目を放つと同時に、ライルが槍を振るった。
「天命槍術、《閃刻》!」
双方の攻撃は相殺され、余波が同心円状に広がる。
その隙にライルとフゲンは、ティガルの元へと駆け寄った。
「無事みてえだな!」
「ああ、良かった! 安心したぜ」
かなりの傷を負いながらも、彼らはティガルの無事を心から喜ぶ。
まるで自分たちの怪我など認識していないかのように。
「キエの救出はどうだ、上手く行ったか?」
「何も」
だがそんな彼らとは対照的に、ティガルは凄まじく不機嫌に答えた。
無論、その濁った感情はライルたちに向けたものではないが。
キエに何かあったのかと顔を曇らせるライルとフゲンに、思い切り眉間に皺を寄せてティガルは続けた。
「おれらは騙されてたんだ。最初っからな。でもまあ、キエはたぶん大丈夫だろうよ」
「??」
ライルたちは首を傾げる。
それのそのはず、ティガルの発言は具体性に欠けており、いまいち言わんとすることを掴むことができない。
「んーっと、じゃあ何だ、つまりオレらはもう粘る必要がねえってことだな?」
「ああ」
「なら話は早え! ちょっと名残惜しいが、ここで死んでちゃ意味ねえからな。ズラかろうぜ!」
気を取り直し、あっさりと撤退を提案するフゲン。
ライルとティガルも当然異論は無く、場を離脱しようと足を踏み出した――が。
「逃げるな」
またエニシが斬撃を飛ばし、行く手を阻む。
彼は3人をじとりと睨みつけ、不愉快そうに眉をひそめた。
「そこの2人は良い。だが貴様は残れ。残って俺と死ぬまで戦え」
低い声と共に、指し示されたのはライルだった。
お前だけは逃がす気など毛頭ないと言わんばかりの眼光で、エニシはライルを見据える。
実際、ライルたちが「本気で殺す気の」彼から逃れるのは至難の業だ。
ライルもフゲンも疲れが蓄積しており、走ったところでいつもの全速力を出せはしない。
加えてエニシの遠距離・高速攻撃は、背中を見せながら対処できるものではないだろう。
しばし考えたのち、ライルは口を開いた。
「……わかった。俺は留まる」
「おいライル! それならオレも――」
「いいや、お前たちは先に戻っててくれ」
彼は反対するフゲンの声を遮り、静かに言う。
「キエの身柄を保護できているとして、まだ油断はできない。『アグヴィル協会を』鎮圧できるまではな」
言葉を連ねつつ、槍を手にライルはゆっくりとエニシに歩み寄る。
と、その時。
「ん? 待て、なんか来るぞ」
にわかにフゲンが声を上げた。
彼は左方、門の向こうへと目を向ける。
つられてライルとティガルもそちらを見れば、確かに何か、大勢の人影らしきものが神殿へと近付いて来ていた。
徐々に大きく、鮮明になるその姿は、どうやら隊列を組んだ人々らしい。
ライルは目を凝らし、列の先頭を歩む人物の顔を捉えた。
「あれは……マナ?」
確かに、それはマナだった。
けれども他の面々は、軍服を着てはいるものの全く見た覚えのない者たち。
事態を呑み込めず、ただ緊張と共に待つだけの彼らの元に、やがて隊列は到着した。
「やあ、ライル、フゲン、ティガル! 命があるようで何よりだよ!」
マナは片手を上げて隊列を立ち止まらせると、にこやかな笑顔で3人に話しかける。
ライルとフゲンは困惑しつつも、とにかく仲間が来たということで「おう!」と好意的に応えた。
が、一方でティガルはにこりともせず、無言でマナを睨みつける。
これでもかと恨みと怒りを込めた目で。
「わあ、怖い顔。ひと足先にバレちゃったか」
マナはそんな彼の反応にさして響いた様子も無く、軽く肩をすくめる。
そしてやや大げさな動作で、パン、と手を打ち鳴らした。
「さあみんな、戦闘は終わり! 作戦も騒動も、これでぜーんぶ終幕だよ!」