146話 友だちだよ
ライルたちとエニシが戦闘を始めてから、幾分か時間が経った。
アグヴィル協会の増援が来る気配は無い。
神殿の様子も依然変わりなく、場の状況だけを見れば膠着状態だ。
しかし。
形勢はおおよそ、ライルたちの方が不利と言って良かった。
「っはあ、はあ……」
砂埃が薄く舞う地面に槍を突き、ライルは息を整えようとする。
額と右肩、そして脇腹の辺りに切り傷を負い、細かいかすり傷は数えきれない。
多少ながら魔法を使える彼は、けれどもそれらを抱えたまま戦場に立ち続けている。
治癒のための魔力がもう残っていないのだ。
槍がいかれていないのがせめてもの救いか。
ライルは自身の体力がすり減っているのを感じながら、足に力を込め、前を見据えた。
「そろそろ、ヤベエかもな……!」
ボロボロになった上着を脱ぎ捨て、フゲンが言う。
彼もまた多くの傷を受けていた。
特に腕の状態は酷いもので、もはやどこがどう斬られているのかわからないほど血塗れだ。
だがそれでも、フゲンは笑みを崩していなかった。
獰猛な獣のようにギラギラとした目の輝きは、戦闘開始直後よりも増している。
存分に力を振るうことが赦されている限り、戦いにおいて彼に後ろ向きな感情は発生しない。
が、それはそれとして、劣勢であることもまた事実。
傷だらけのライルとフゲンに反して、エニシは未だ血の1滴も流していなかった。
しかも彼は、初めに構えをとった時のままほとんど動いていない。
「不動剣術」の名に違わず、1歩も進退を見せないその足は、さながら固定式の兵器のようである。
「我流体術! 《蹴り飛ば――」
フゲンが再度の突撃を試みる。
しかしエニシが難なく放った斬撃により、その身は彼に届く前に弾かれた。
更にフゲンが受け身をとるタイミングに合わせて、エニシはもう1度剣を振るう。
疲れが蓄積していることもあってか、フゲンはそれを避けきれず、刹那の空の後に左太腿から血が吹き出した。
「い゛ッ!」
「フゲン!!」
ライルは反射的に、彼の前に出で庇う姿勢をとる。
駄目押しの追撃を警戒してのことだったが、エニシが続いて剣を抜くことは無かった。
「……もう終わりか? 違うだろう」
構えを解き、彼は口を開く。
空気すら震え上がるほどの威圧感。
エニシは怒りを滲ませながら言った。
「まだやれるはずだ。まだ貴様は力を残しているはずだ。それを出せ。全力を出した貴様を殺させろ」
「? なに言ってんだあいつ」
体勢を整え直しつつ、フゲンは首を傾げる。
失血死すら危ぶまれる怪我の有様だが、死の影の兆しの欠片すらも未だに無い。
「……さあな」
ライルはエニシの言う「貴様」が自分であることを理解していたが、知らぬふりをして肩をすくめる。
「そいつは人外である」と積極的にバラす気がエニシに無いことも、彼にとっては不幸中の幸いだった。
* * *
首都から少し離れた街の、人通りの少ない通りの奥。
両脇の建物に遮られて日光のほとんど届かない路地裏に、ティガルは駆け込んだ。
「誰も……居ねえな」
息を弾ませながら周囲を確認し、件の隠し通路への入り口である扉を開く。
埃っぽい空気がむわっと漂うが、構わず彼は中に足を踏み入れた。
数段飛ばしに階段を駆け下り、通路を走る。
やがて現れた突き当たりの壁に手を触れれば、やや間を置いて転送魔法が発動した。
恐らくクシティ家の血、あるいはその微量の魔力に反応したのだろう。
「待ってろよ……!」
ティガルは呟き、脇目もふらずに走り続ける。
道はただ1本であり、迷うことは無かった。
登りの階段をこれまた数段飛ばしで進む。
何もかもを突き破って行きそうな勢いだったが、彼はきちんと、頭上の扉にぶつかる直前で立ち止まった。
「――ね、でさ――」
扉に耳をくっつければ、聞えてくるのは少年――ヤシャの声。
ティガルは深呼吸をひとつ、助走をつけて一気に扉を開けた。
ガンッ、という破壊音に近い音が響く。
室内に飛び込んだティガルの目が、ヤシャの姿を捉えた。
「えっ、何!?」
「うるせえ、くたばれ!!」
意表を突かれたヤシャに、ティガルは一も二も無く襲い掛かる。
「ちょちょ、うわっ!」
胸ぐらを掴まれ、体勢を崩すヤシャ。
次いで鞭のようにしなる尻尾に顔面を狙われるが、彼は身をよじって回避し、ティガルを突き飛ばした。
「もー、びっくりした! キミどこから出てきたの?」
「ねえ頭で考えてみな」
流れるように挑発しつつ、ティガルは素早く周囲を見回す。
ここ、『祈りの間』にはヤシャ以外に敵の気配は無かった。
内部に踏み込んですぐヤシャに飛び掛かったため、キエの姿は「そこに誰か居る」程度にしか認識できなかったが、少なくとも苦しんだり怪我をしたりという様子は確認できない。
ティガルは位置的に背後に居るであろうキエをヤシャから守るように、力強く立ち塞がる。
勝機は十分に有る。
それが彼の出した結論だった。
「操糸戦闘術、《締め付け》!」
もう少し会話を続けるかに思われたヤシャは、しかし早々に戦闘を開始する。
単純な敵意と共に放たれた不可視の糸に、躊躇など欠片も付いていなかった。
糸は蛇のようにぐるりと繰られ、ティガルの体を拘束する。
ピンと張ったそれはヤシャの手によりしかと制御されており、捕らえた獲物を逃がすまいと締め付けた。
「ふん、てめえの糸はもう効かねえよ!」
一見不利な状態ながら、ティガルは余裕の表情だ。
なぜならヤシャの糸を海竜族の鱗、つまり彼の尻尾で切断できることは実証済み。
先制を取れずともこうして糸の位置さえ掴めれば、何の問題も無いのだ。
――と、さっそく尻尾を振るうティガルだったが。
「……!?」
以前は容易く糸を切った尻尾。
しかし今それは、まるで指の先で伸縮性のある糸を引っ張った時のように、曖昧な手応えしか示さなかった。
「ッんだこれ……!」
「あはは! 切れないでしょ。それねえ、ボスに新しく用意してもらったの」
焦るティガルを、ヤシャは無邪気に笑う。
「固いから切られる、ならばしなやかにすれば良い。……ってボスが言ってた! 頭いーよね。まあなんか緑のお兄さんには切られちゃったんだけど」
柔よく剛を制す、といったところか。
海竜族の鱗の硬さを逆手に取った対策に、ティガルはまんまと掛かってしまったのである。
「クソが……」
「動くと斬るよ。動かなくても斬るけど」
しなやかになったと言えど、ヤシャが力を入れている以上、振りほどけはしない。
純粋な筋力で彼に劣るティガルがこの拘束から逃れる術は、既に失われていた。
ティガルは己の不甲斐なさに歯噛みする。
それから、意を決し口を開いた。
「おいキエ! こいつはおれが相手するからさっさと逃げろ!」
もはやヤシャに勝つことは不可能。
ならばせめて、キエを逃がさなくてはならない。
背後で怯えているであろう彼女に対し、ティガルは発破の声を掛ける。
「正面は駄目だ、裏口から外に出ろ! 出たら神輿が通ってたとこに向かえ! マナがこっちに向かって来てるはずだから、途中で会えるかもしんねえ!」
「またまた、そんなこと言っちゃって。ボクが逃がすと思う?」
ヤシャは余裕綽々に笑い、両手で繰って彼を拘束していた糸のうち左手側のを手元に戻す。
「キミを縛っとくのなんて、片手で十分なんだよね。だからほら、こうやって、もう片方の手でさ」
「逃げろ! キエ! 早く!!」
ティガルは振り返ることもままならぬまま、懸命に叫んだ。
だがそれも虚しく、キエが逃げるような音は聞こえない。
そうして、ヤシャが無力な標的目がけて左の糸を放った。
糸は何に邪魔されることもなく空を切って飛び、2人目の獲物を難なく捕らえる。
ティガルは悔しさから強く拳を握りしめ、ヤシャはにっこりと笑みを浮かべた。
が。
「はい、捕ま――ぅえ?」
ヤシャは、ぐん、と糸もろとも強く引っ張られ、あろうことかそのまま壁に叩きつけられた。
ティガルにではない。
もう1人の方にである。
「え、力強……?」
痛みと混乱で目を白黒させたヤシャは、ふと手元の違和感に気付く。
張っていた糸が、だらんと垂れていた。
切られているわけではない。
それはすなわち、捕らえた獲物が接近していることを意味していた。
ヤシャは弾かれるように顔を上げるが、既に遅く。
「獲物」だった者は、彼の目の前にまで迫っていた。
「操鎌戦闘術――《伐採》」
中性的な声と共に、巫女の服を着た人間が大きな鎌を振り下ろす。
「ああっ! グローブ……!」
切断されたのは糸の根元であるヤシャのグローブ。
綺麗に裂かれたそれは、もう糸を繰る道具としての機能を失っていた。
これでヤシャは糸を失ったも同然である。
「お前……ッ!?」
一部始終を見ていたティガルは、「彼」の姿をしかと目に留め、驚愕に目を見開いた。
「ありがとね、ティガル」
反して「彼」は何も意外なことは無いとでも言うかのように、落ち着き払った声で言う。
「君は……ヤシャ、だっけ。俺たちの顔は割れてたみたいけどさ。君たち、キエの顔は知らなかったでしょ? だからね、こうしたの」
淡々と言葉を並べながら、「彼」は衣装を脱ぎ捨てた。
露わになった元の服の袖で顔の化粧を落とし、素顔を見せる。
「これでわかるかな」
「あっ……あーーっ!!」
ヤシャは「彼」を指差し、大声を上げた。
それは見知った顔……それも敵として、覚えていた顔だった。
「ふふ、直接会うのは初めてだよね」
気持ちが良いくらいのヤシャの反応にクスクスと笑い、それから「彼」は静かな怒りと共に目を細めた。
「こんにちは。俺はイハイ。キエの友だちだよ」