145話 渦巻く意志
海底国で最も聖なる場所、神殿。
その清らかなる祈りの間に、招かれざる客が鎮座していた。
「……暇だねえ」
緊張感の欠片も無くそう言って、ヤシャはグッと伸びをする。
向かい合うのは、傷ひとつ無い彼らの「標的」。
モンシュたちを襲撃したことで無事に「標的」を奪ったエニシは、ヤシャにその監視を任せたのである。
性格的には些か不安のある人選だが、実力はそれなりであるし、何よりこの状況に持ち込んだ時点で彼らにとってはほとんど勝ったようなものだ。
現にヤシャは心配のしの字も無いふうに、神聖な空間でくつろいでいる。
「…………」
「そんなに緊張しなくていいよ! 言うこと聞いてくれるなら痛いことはしないからさ」
ヤシャが友好的な態度を見せるが、返って来るのは無言と警戒心に満ちた視線のみ。
まあ、闇組織に誘拐されてすぐに心を許せという方が無理な話だろう。
しかしヤシャはどうしても仲良くしたいらしく、なおも明るい声で続けた。
「そうだ! 暇つぶしにお話してあげるね!」
誘拐された人間が「暇」であるわけがないだろうという話だが、相手の内心を全く履き違えているヤシャは何の悪気も無しに語り始める。
「えっとねえ、ボスの話しよっか。ボスって凄く強いんだけどさ、実はね……九剣豪っていう人たちの一員なんだよ」
「…………」
「あ、九剣豪がわかんないか。この世界でサイコウホウの剣士たちをまとめてそうやって呼ぶんだ。別に組織とかじゃないし仲良くもないけどね、周りの人たちが言ってるの」
極めて無邪気に、そして得意げにヤシャはした。
九剣豪というと地底国でライルたちが出会ったスアンニーもその一員であったが、どうやらエニシもそうらしい。
神殿の外で彼と戦っているライルとフゲンがそれを知っていれば、より慎重に戦えたかもしれないが……詮無いことである。
なおも反応は皆無だが、ヤシャはすっかり饒舌だ。
愛するボスの自慢話が止まらないといった様子で、身を乗り出しながら喋り続ける。
「ボスはね、アグヴィル協会つくる前は1人で色んなとこ旅しててね! よく戦場に乗り込んだりしてたから有名で、でも誰にも名乗らないから、勝手に『ヤチ』って名前付けられてたんだ。『眼殺のヤチ』。ボスは視界に入った人ならみんな殺せるから、『眼殺』なんだって! カッコイイよね!」
こういう時に語られがちな、自分が彼とどう出会ったのか、という話には微塵も触れず、ただひたすらにエニシについての話のみを連ねる。
いっそ狂気的なほどの語り口には、しかし依然返答や相槌は無く、冷ややかな視線が注がれていた。
「ボス、今はアグヴィル協会で頑張ってるけど、いつも九剣豪の人たちと戦いたそうにしてるんだよ。『箱庭』のことが落ち着いたら、また旅に出たりするのかも。でも九剣豪の人って、居場所がハッキリしてる人の方が少ないらしくてさ……」
うーん、と悩ましげにヤシャは腕を組み眉間に皺を寄せる。
「噂じゃ、もう剣をやめちゃった人もいるらしいんだ。それ聞いた時のボス、けっこうがっかりしてたよ」
それから共感や同情を求めるように、少し口を閉じる。
が、相変わらず反応が無いのを認めると、彼はやや姿勢を正して目の前の相手に向き直った。
「ねえ巫女さん、心配しなくていいよ。ボスは自分の得になるものはちゃんと守ってくれるから。無闇に殴ったりもしない。きっとキミもすぐにボスのこと好きになるよ!」
迷子の子どもを慰めるかのように、優しく語り掛けるヤシャ。
口調と声色、そして発言の意図こそ善意に満ちていたが、その根元にある思想は真っ黒だ。
彼は自分のしていること、自分の与するものが罪深いということに全く気付いていない。
不気味でアンバランスなその有様は、悪意こそ無けれども、悪と言っても誤りではないに違いなかった。
* * *
少し前までは海礼祭の参加者で賑わっていた大通りに、ティガルは稲妻の如く駆け込んで来た。
先ほどよりかは沈静化しつつあるとは言え、いまだ戦闘が続く中、彼は視線を巡らせる。
と、家屋の屋根の上から、何やら思案している様子で戦場を見下ろすマナが目に入った。
「おい!」
ティガルは軽やかかつ器用に外壁を登り、彼に声をかける。
「やあ。神殿はどんな感じだった?」
「芳しくない」
それから彼は、神殿の前にてエニシに接触されたことと、ライルとフゲンが戦っている旨を端的に伝えた。
マナは話を聞き終えると、気持ち険しい表情で頷いた。
「なるほど、事情はわかった。伝達してくれてありがとう」
「こっちはどうなってる。モンシュたちは?」
「今しがた応急処置を終えて、拠点でマッポたちに診てもらってる。全員、命に別状は無かったよ」
ティガルを安心させるためにか、明るい声色で言うマナ。
だがまたすぐに、彼の顔は曇る。
「しかし参ったな。これじゃ打つ手が……」
「それなんだけど。おれがキエのこと助けに行くのはどうだ?」
はた、とマナの目が丸くなる。
わかりやすい驚愕の表情には「何を突拍子の無いことを」と書かれていたが、ティガルは構わず続けた。
「隠し通路があるだろ。あそこから行きゃ、神殿に直に入れる。まあ、通路自体が潰されてなければだけどな」
彼の頭の中では、神殿の前でフゲンに言われた言葉が思い浮かべられていた。
――まだオレらには一番良い『道』が残ってんだろ?
そう、『道』とは単に『手段』を表わすだけの言葉に非ず。
フゲンは、そして恐らく隣にいたライルも、クシティ家のみが封を解除できる件の通路のことを指していたのだ。
ティガルからの提案を理解したマナは、「ああ!」と大袈裟なばかりに手を叩く。
が、首を縦に振りはしなかった。
「でもティガルくん、君1人で行くには危険すぎるよ。神殿内の様子はわからないんでしょ? 通路を使って侵入できたとして、もし協会の奴らがわんさか居たらどうするのさ」
彼の指摘は尤もだ。
神殿には「外に見張りを置けるほどまでは、まだ構成員が集まっていない」というだけで、後の展開を考えれば今が一番マシな状況ではあるものの、危険性が高いのもまた事実だった。
「マッポとニパータはモンシュくんたちの治療に当たってるし、イハイとシュリも捕らえた幹部の監視役として必須だ。現状、そっちに人員は割けない」
「どうにかする」
冷静に諭そうとするマナに対し、しかしティガルはキッパリと返す。
「あいつらがエニシ相手に戦ってくれてんだ。この時間を無駄にはできねえ」
頑なな声色だった。
無謀とも自棄とも違う、確固たる決意に満ちた瞳で、彼はマナを見据えた。
「……わかった。じゃあ、君に頼もう」
ややあって、マナは首肯する。
こうもはっきりと言うのだから、きっとティガルはやり遂げられるだろう――そういう考えが芽生えていた。
「マッポたちにこのことを伝えたら、僕も向かう。治療が済んでたらマッポとニパータのどっちかも連れてくよ」
「ああ。それじゃ」
短い別れの言葉を残し、ティガルは屋根から飛び降りる。
そのまま来た時のように、戦場をすり抜け神殿の方へと走り去って行った。
「まったく、無茶するんだから」
マナはあっと言う間に小さくなっていく彼の背中を見ながら苦笑する。
それから。
「さて、僕たちも急がないとね。ここからは時間との勝負だ。彼らに死なれちゃ、後味悪いし」
彼は振り向き、そこに立つ人物に向かって話しかけた。