143話 人間の在り方
ライルたちが神殿に到着すると、既にそこは死屍累々の惨状であった。
神殿の警備にあたっていたであろう兵士たちが倒れ伏し、そこら中に血だまりができている。
軍全体で見れば僅かな損害だろうが、犠牲者の数は決して少なくはなかった。
「クソ、全員くたばってやがる」
門に身を隠しながら、ティガルは苦々しげに言う。
息をしている者がいないことは明らかだった。
この容赦の無い有様からすると、モンシュたちが逃れられたのはまだ不幸中の幸いである。
兵士たちを殺したのは、アグヴィル協会のボスだろう。
神殿の入り口近くには神輿の残骸らしきものもあり、キエが神殿内に連れ込まれたことは想像に易かった。
「俺たちがやろうとしてたことを先にやった、ってことか」
ライルは口元に手を当て、思案する。
緊急時――表向きにも穏便にはキエを守り切れない事態が発生した時の対応策として、ライルたちは「神殿への避難、立て籠もり」を用意していた。
理由は単純、堅牢な神殿は最も守りに適した場所だからだ。
建物自体にある程度の強度があれば、少人数でもキエの護衛体制を維持できる……と考えてのことだったのだが、どうやら協会側も神殿を利用する策を講じていたらしい。
マナたちの諜報をかいくぐったのか、急遽立案されたのか、いずれにせよ虚を突かれた形である。
「最悪だ……! キエを攫ってどっか逃げてくんなら、まだマシだったのに……」
ティガルは文字通り頭を抱えた。
誰もが口を揃えて「強すぎる、勝てない」と評するエニシ。
海礼祭当日に彼自身がどう動くかは、情報網に引っかかって来なかった。
それ故ライルたちは、彼と遭遇した際の対応を「足止め」「誘導しつつ逃走」などと正面からの戦闘を回避する方向に定めていた。
しかしこの状況下では、もはや戦闘以外に選択肢は無い。
何せキエがあちらの手に落ちているのだ。
希望があるとすれば、エニシが神殿から離れた隙を狙うことくらいだが、まずそんなことは起こり得ない。
神殿に立て籠りつつ国側の戦力を返り討ちの形で削ぎ、優位に立ったところでキエの所有権を主張する――彼の目論見はおおよそこんな具合だろう。
仮に戦力で勝る状態でも、キエを人質にされているような今の状態では国側は強気に出られない。
ライルたちの勝利条件が「国全体が動くまでキエを守ること」であれば、あちらの勝利条件は「キエを確保しつつ国全体を弱体化させること」だ。
「こんなの、どうやって取り返せば良いんだよ……!」
考えれば考えるほど自分たちが劣勢であることを思い知らされ、ティガルは焦りを募らせる。
が、フゲンはけろりとした顔で言った。
「んなの簡単だろ。殴り込んで勝ちゃいいんだ」
「うるせえ脳筋! それができねえから困ってんだろうが! おい緑野郎、何とか言ってやれ!」
能天気とも取れる発言に怒りをあらわにするティガル。
けれどもライルは至って冷静に、首を横に振った。
「いや、案外妥当かもしれないぞ。見ろ、まだ協会の構成員は集まって来てない」
彼が指差す先には、神殿と神輿の残骸、そして死した兵士たち。
確かに、協会の者らしき影は見当たらない。
「まあ中には居るかもだけど、少なくとも外の見張りができるほどの人数は揃ってないんだ。それに俺たちが作戦を練っている間にあっちも態勢を整えてくるだろうから、時間が経てば経つほどもっと不利になっていく。仕掛けるなら早い方が良い」
「…………」
ティガルは反射的に言い返そうとするも、反論の余地を見つけられず押し黙る。
「つーかさ、まだオレらには一番良い『道』が残ってんだろ?」
次いでフゲンがそう諭せば、彼は降参したように息を吐いた。
「……そうだったな。まだ諦めるには早いか」
「よし! そうと来たら――」
と、ライルが気合いを入れ直すがごとき声色で言った瞬間。
「ッ危ねえ!!」
フゲンが直感的に何かに気付き、ライルとティガルの頭を掴んで下げさせた。
直後、門の柱に定規で引いたような線が入り、ずるりとズレる。
3人が慌てて離れると、2つに切断された門はゆっくりと崩れ落ちた。
ずずん、と大きな地響きが鳴り、土煙が巻き上がる。
「ヤシャ……いや違うな。さすがに糸じゃこんな芸当はできない」
ライルは独り言ちながら、槍を握り直し周囲を警戒する。
すると土煙で曖昧になった景色の中から、1人の男性が現れた。
「何やら耳障りな音がすると思えば、稚魚が3匹も隠れていたか」
悠々とした足取りでライルたちに近付いて来る男。
それはアグヴィル協会のボス、エニシだった。
「っ……!」
彼を視認するや、3人の間に緊張が走る。
エニシは部下を引き連れてはいなかったが、物々しく剣を腰から下げており、戦闘目的で接触してきたことは明らかだった。
殺気を隠そうともしない眼光からも、どう考えても平和的展開は望めない。
「逃げろ、ティガル! 俺たちが時間を稼ぐ!」
ライルは瞬時に判断を下す。
いまだ残る希望が潰えることのないように、迷わず自らがエニシの前に立ち塞がった。
フゲンもまた、無言で戦闘態勢に入る。
悩む時間も理由も無いようだった。
「チッ、死ぬなよクソバカ共!!」
精一杯の祈りと激励を吐き捨て、ティガルは来た道を引き返す。
走り去って行く彼を、しかしエニシは追おうとはせず冷めた視線を向けるだけだった。
「涙ぐましいな。しかし愚かだ。部外者という立場に免じて見逃してやろうというのに、のこのことやって来るとは」
「知るかよバーカ! オレの仲間傷付けといて、なに偉そうに言ってんだ!」
そうフゲンが威勢よく吠えるも、エニシは眉ひとつ動かさない。
見逃してやろうと……、とはモンシュたちのことだろう。
彼らが重傷を負いながらも死なずに帰還できたのは自分に情けをかけられたからだと、エニシはそう言いたげであった。
「ひとつ聞きたい」
不意に、ライルが口を開く。
構えかけていた槍を下ろし、真っ直ぐにエニシの目を見て彼は問うた。
「お前はどうして、人を物みたいに扱えるんだ?」
ぴく、とエニシの口元が僅かに動く。
だが彼は抑揚に欠けた声で、至極平然と答えた。
「物だからだ。わかり切ったことを訊くな愚か者。人間は皆、値札の付く商品だ」
「人に値段が付くっていうなら、お前も同じことになるんだぞ」
「同じだとも」
エニシは頷く。
「社会は市場だ。人間は互いに値札を付け、また付けられる。『弱者』より『強者』。『奴隷』より『組織の長』。誰もが己の価値を証明すべく、より高い値札を求めてもがく。それが生であり、人間の欲というものだ。違うか?」
「違う」
ライルはきっぱりと返答した。
悲しみを湛えた目で、けれども躊躇い無く。
「……平行線だな。これ以上の会話は無意味だ」
エニシはライルを端的に拒絶する。
嫌悪ではなく、拒絶だ。
「武器を構えろ。己の価値を維持したければ、戦いに勝利するのが手っ取り早い」
ライルも会話の続行は不可能と解し、諦念と共に槍を構える。
反して隣のフゲンは紐を外された犬のように、やる気に満ちた視線をエニシに向けていた。
「値札を求めるは欲。欲を搔き立てるは値札。それは罪に非ず。他者に委ねるものにも非ず。……かかって来い、雷霆冒険団。愚かな神に阿る者ども」
「行くぞ、フゲン」
「ああ!」
いの一番に、ライルが駆け出す。
彼は力強く地面を蹴って前進し、勢いをつけて槍を突き出した。
だが対するエニシは剣を鞘に納めたまま動こうとしない。
……と思いきやライルの槍が体に触れる直前で、彼は瞬時に剣を抜き、振るった。
「うおっ!?」
エニシの刃は音も無く空を斬り、槍を弾く。
目にも止まらぬ斬撃にライルは対応しきれず、押し返されて仰け反った。
急いで体勢を立て直すべく後退すれば、エニシは既に剣を鞘に戻していた。
「居合斬りってやつか……」
「下手に近付くと返り討ちだな」
ライルとフゲンは肩を並べ、相手の出方を探る。
敵の戦術を見定めるにはまだ時間を要しそうだった。
「――不動剣術」
そうこうしているうちに、今度はエニシの方から動き出す。
彼は剣の柄に手をかけ、少し腰を落として構えを取った。
「! 来るぞ」
エニシとライルたちの間にはそれなりに距離がある。
であれば一気に接近して攻撃を仕掛けてくるだろう、とライルとフゲンは防御姿勢に移った。
けれどもエニシはその場から1歩も踏み出すことなく、低い声で呟いた。
「《鳥落とし》」
一瞬の無音。
ライルが反射的にフゲンの前に出、槍を盾にする。
エニシの剣は再び鞘に戻る。
同時に、凄まじい衝撃がライルを襲った。




