142話 墜落
日光のあまり届かない路地にて。
1人の少女が、別の少女によって取り押さえられていた。
前者はアグヴィル協会のマントラ。
後者は海底国軍『箱庭』捜索隊のニパータだ。
「はい、勝負あり」
ニパータはそう言って笑う。
彼女によって腕を捻られ、地面にうつ伏せになるよう押し付けられたマントラは、悔しそうに歯ぎしりをした。
何とか逃れようともがくが、有角族の力を以てしても、肉弾戦に特化した生物兵器には敵わない。
頬のかすり傷から流れる血を拭いもせず、ニパータは言葉を続ける。
「マントラちゃん、だっけ? もう抵抗したって無駄だよ」
「……何を使ったんですか」
マントラは視線をずらし、少し離れたところに落ちている己の得物――だったものを見た。
鋭い長剣の刃は見る影もなく融解し、石畳の隙間を重たく伝っている。
溶けずに残っている柄が無ければ、誰もそれを剣だとは思わないだろう。
「強酸薬品です。ちょっと配合をいじってありますけど……」
ニパータの後ろに隠れながら、長剣を溶かした張本人たるマッポが答えた。
手の中の小瓶には、まだ少し液体が残っている。
半分魔人族である彼女は渾身の魔法で、この薬品をマントラの長剣めがけて飛ばしていたのだ。
「凄いでしょ。うちのマッポ、こういうの得意なんだー」
ニパータが自慢げに言えば、マントラはいっそう顔をしかめた。
「……殺しなさい。どんな拷問を受けようと、私は絶対に情報を吐きません」
毅然とした態度で彼女がそう言い放つと、今度はニパータの方が口をへの字に曲げる。
「ちょっとー、アタシたちを悪者みたいに言わないでよ」
「あ、あの、大人しくしていただければ、危害は加えませんので……!」
「そそ。安心していーよー」
一生懸命に語りかけるマッポと、軽い声色で言うニパータ。
どちらも「演技か」などと疑う余地すらなく、発言が真実であろうことは明らかだった。
場違いに庶民的な回答のせいで返答に迷ったのだろう、マントラは口をつぐむ。
と、そこでニパータが彼女の耳元に顔を寄せた。
「あとさー……」
いたずらに誘う子どものごとく、ひそひそ声でニパータは続ける。
「マントラちゃんに、良い話があるんだよね」
それから発された言葉に、マントラはまた眉間に皺を寄せた。
溜め息を吐き、半ば呆れたように彼女は口を開く。
「……バカげたことを。私が頷くとでも思うのですか?」
「あれ、駄目?」
「この私の忠誠心を見くびらないでいただきたいものですね」
「うっそだー」
「怒り」を見せるマントラをニパータはけらけらと笑い、その後ろでマッポはお手本のような困り顔をする。
3人の温度感はあまりにバラバラで、傍から見れば滑稽ですらあった。
尤も、この状況を見る者は1人も居ないのだけれど。
「ま、仕方ないか。マッポ、適当に無力化しちゃって」
「は、はい!」
マッポは小瓶を鞄に仕舞い、代わりにシリンジ、アンプル、消毒液を取り出す。
そうして手際よくシリンジにアンプルの中身の液体を入れると、マントラの腕に消毒を施し、ためらいなく注射した。
「ぐ……」
異物を注入される不快感に、マントラは声を漏らす。
ほどなく、じわりじわりと体中に違和感が広がり、彼女は指一本動かすことができなくなった。
「呼吸とか、生命活動は大丈夫ですので……。効果も明日には完全に切れると思います」
マッポにそう説明されたマントラは、確かに息苦しさなどは無いことを自覚する。
少し喉に力を入れれば、どうやら発声もできるようだった。
「……言っておきますが。あなたたちが何をしようとも、私たちの目的は必ず達成されます。勝ち筋があると思っている時点で、あなたたちの敗北は約束されているようなものですから」
「何、負け惜しみ? 残念だけど――」
と、ニパータが言いかけた次の瞬間。
通りの方から爆発音が鳴り響き、空気と地面が一緒くたに震えた。
全身に響く振動を感じながら、計画が順調に進行していることを確認したマントラはほくそ笑む。
そうして焦っているであろうニパータたちの顔を拝んでやろうと、視線を動かした。
「……?」
しかしそこにあったのは、想像だにしない光景。
どよめく人々を背に、ニパータはニッコリと笑っていたのだ。
***
モンシュたちによって神輿が持ち去られた後の大通りでは、氷から解放されたアグヴィル協会の者たちと海底国の兵士たちが戦っていた。
協会側も軍側も、巫女を追おうとしつつ相手を阻止しようと一進一退を繰り返している。
民衆は既に退避していたが、両陣営の数が数であるため大混戦だ。
そこへライル、フゲン、ティガルが介入し、アグヴィル協会の者を片っ端から仕留めている……わけなのだが。
「ギャーッハハハハ!! いいなァ! いいぜ、お前ら!!」
久々に絶好の機会を得たフゲンがこれでもかと暴れ散らかしており、その異様な喜びようで周囲から浮いていた。
「おい。あいつなんか薬でもやってんのか?」
ティガルは協会の構成員を締め上げながら、フゲンの様子を遠巻きに見る。
その隣で槍を器用に回し、相手の攻撃をいなすライルは「はは」と事もなげに笑った。
「安心しろ、ちょっとテンションが上がってるだけだ」
「戦闘狂ってやつ?」
「でもないな。戦いってより、単純に暴れるのが好きなだけだから」
「うわ……」
心底「理解不能」というふうに、ティガルは顔をしかめた。
さもありなんである。
さておき、戦況は概ね均衡状態だ。
初めの方は多勢で一斉に襲ってきた協会側に対し数で劣る軍側が押されていたが、増援の到着により戦力差はほぼ無くなった。
現在ではフゲンという規格外が盛大に暴れており、ライルとティガルも軍側を支えていることもあってか、じわじわと協会側が後退してきてさえいる。
「……ん?」
ふと人の気配を感じ、ライルは頭上を見る。
恐らくは屋根の上から、飛び降りて来たのはマナだった。
「やっほー! みんな具合はどう?」
「まあまあって感じだ。あ、フゲンはあそこな」
「おー、凄いねなんか」
マナは長い包みを持ったまま、流れ弾のように降りかかってくる攻撃を躱す。
「指揮系統は完全に持ち直したみたい。後方待機していた部隊もどんどんこっちに向かって来てる。この分ならもう大丈夫そうだよ」
「わかった。神殿に行こう」
すぐさまライルは頷き、フゲンの元へと文字通り跳んで行く。
――さしものアグヴィル協会も、事態が長引くのは良く思わないはず。
もし時間も人目も忍ばず好き方題できるというなら、とっくに海底国は完全に彼らの手に落ちているだろう。
軍の上層部に協会の息がかかっているとは言え、海底国の最重要人物と言っても過言ではない巫女に堂々と手を出せるほどアグヴィル協会の力は強くないのだ。
「フゲーン! 移動するぞー!」
「ん、りょーかい」
ライルに声を掛けられれば、フゲンはいったん拳を収める。
傍から見ると急に人が変わったようで、まあ不気味であった。
2人はティガル、マナと共に混戦地帯を抜け、神殿の方へと走り出す。
「長く見積もっても、今日いっぱいキエを守り切れれば僕らの勝ちだ。貴族連中や神殿の関係者が動いたら、あいつらも手を引くだろうからね」
足を動かしながら、マナは作戦の最終目標を確認し、念を押した。
みな重々理解していることであろうが、あくまでこれは防衛戦で、戦闘に固執してはならないのだと。
そうして真っ直ぐに走り続けていると、街の中心部を脱したくらいのところで、ふとフゲンが前方の空に視線を向けた。
「……ん? なあライル、あれって」
彼が指差したのは、何やら白い物体。
急速に近付いて来るそれは、どうやら竜のようだった。
「モンシュ……だな」
言いつつ、ライルは胸騒ぎを覚える。
飛び方が不安定なように見えたのだ。
モンシュが接近するにつれ、その姿と動きも鮮明に見えてくる。
やがてライルの懸念は、事実となった。
ふらついた軌道で飛んで来ていたモンシュが、がくんと高度を下げたのだ。
否、下がったと言う方が正しい。
彼は飛行するだけの体力が底をついたらしかった。
翼を羽ばたかせることもままならず、僅かな推進力をすり減らして見る見るうちに落下してくる。
「ッマズい!」
ライルが叫ぶと同時に、フゲンが素早く前に出た。
彼は両手を大きく広げ、落ちてくる竜態のモンシュを受け止めんとする。
「うおっ……と」
さすがに竜の巨体を支えるのは骨が折れるようで1歩、2歩と後ろによろめいたが、フゲンは何とか落下の勢いを殺し、モンシュを抱き止めることに成功。
ゆっくり地面に下ろすとモンシュは光と共に人間態に戻り、上に乗っていたのであろう、カシャとクオウが少し浮いた状態から重力に従い落ちてきた。
が、問題はその状態である。
力なく倒れるモンシュはあちこちに擦り傷と打撲痕をこさえており、気を失っているらしいクオウは腕と足に計2か所の大きな切り傷が。
カシャに至っては胴体を肩から腰近くにかけてバッサリと斬られ、頭からは血を流し、気絶しているばかりか呼吸も危ういという有様だった。
「おい、大丈夫か! しっかりしろ!」
真っ青な顔で、ライルは彼女らに呼び掛ける。
だがカシャとクオウからの返事は無く、かろうじて意識の残っているモンシュだけが、弱々しく口を開いた。
「ごめん、なさい……負けて、しまいました……」
荒い呼吸で、涙ぐみながら必死に言葉を紡ぐモンシュ。
その表情は悔恨に満ちていた。
「アグヴィル協会の、ボスが……神殿に居て……キエさんを……っ」
途切れ途切れの言葉でも、彼らの身に何が起きたのかを理解するには十分だ。
ライルは槍を握りしめ、焦燥と共に歯を食いしばった。
「そう来たか……!」
一方マナはそう呟いてから、パッと顔を上げる。
「ライル、フゲン、ティガル。僕が応急処置をする。君たちは神殿に向かってくれ。無理に戦闘しなくていいから、奴の動きを偵察してほしいんだ」
「けど……」
モンシュたちとマナを交互に見、ライルは惑う。
3人の傷が致命傷でないことは見て判断できていたが、どうしても「死」という文字が頭をよぎって仕方がなかった。
しかしそんな彼の肩を、フゲンがぽんと叩く。
見れば彼は強い意志の宿った瞳でライルを見つめており、ティガルもまた、同じ表情をしていた。
数秒あって、ライルは深く息を吸う。
「……わかった。3人のこと、頼んだぞ!」