141話 緊急事態
大通りに並ぶ人々、その間を兵士に守られながら行く神輿。
賑やかに続く祭の様相を、ティガルは屋根の上から見下ろしていた。
「今んとこは大丈夫そうだな」
彼はフードを目深に被り直す。
神輿を守る兵士たちの中には見知った顔――すなわち、クシティ家の者もいた。
正直、脱走後に捜索がされていない時点で、鉢合わせたところで何にもならないことはほぼ確実だけれど。
それでも、彼らの目に留まりたくはなかった。
「ティガル」
名を呼ばれ、ティガルは振り返る。
行動を共にしているシュリが、何かが入った麻袋と、辞書くらいの大きさの木箱を持って歩いて来ていた。
「これが最後のひとつだ」
シュリが木箱を差し出せば、ティガルはこくりと頷く。
木箱には平たい円柱状の物体が付いている。
ティガルは尻尾をしならせ、その物体を木箱から器用に切り離した。
「よっと」
宙に飛び放物線を描いて落ちて来る物体をキャッチして、彼は軽く溜め息を吐く。
一方のシュリは麻袋を開いて木箱を入れ、しっかりと持ち直した。
「ったく、こんなに大量の爆弾を用意するとか……わかっちゃいたことだけど、連中、イカれてるな」
そう、木箱の正体は手製の爆弾だ。
円柱状の物体は魔道具――時限式の起爆装置であり、爆弾を回収しつつこれを排除することが、ティガルとシュリの担った役割なのである。
どうして爆弾が使われることや、設置場所、数がわかったのかと言えば、やはりマナたちの諜報活動の賜物だ。
身軽かつ道具無しで装置を外せるティガルと、万一起爆しても盾で防御できるシュリ。
掴んだ情報を活用し敵の作戦を妨害するには、最適な人選だろう。
いずれにせよこれで、アグヴィル協会はまたひとつ悪事の手段を失ったことになる。
「処分を急ごう。起爆できなくしても、危険物には変わりない」
「ああ」
爆弾の安全な処分方法は、マッポから既に聞いている。
2人はさっそく、事前に確保しておいた処分場所に足を向けた。
だがしかし。
屋根の上を伝って行く彼らの前に、どこからともなく有角族の少女が現れた。
「っ!」
咄嗟に、ティガルとシュリは警戒態勢をとる。
祭の最中に神輿をよく見られる通りではなく、こんな屋根の上にやって来る人物などまずもって一般人ではない。
加えてティガルたちは、少女の外見に覚えがあった。
長身、薄緑色の長髪、真っ直ぐ伸びた角、鋭い吊り目。
マナたちからの情報と一致する。
彼女はアグヴィル協会の幹部、パラミだ。
「あれ? それ……」
パラミはずけずけとティガルたちに近寄り、麻袋を注視する。
丸腰で、鞄も無ければ物を隠せそうな服装でもない。
それでいて全く呑気な雰囲気で、彼女はティガルたちに問いかけた。
「パラミのやつじゃないですか?」
シュリは反射的に、麻袋の口を強く握る。
外からは中身が見えていないはず。
木箱の中身である火薬の匂いも、ほとんどしていない。
なのに、パラミは確信を持っている。
袋の中にあの爆弾が入っている、と。
「てめえ……アグヴィル協会のやつだな」
「ちょっと、訊いてるのはパラミの方です! その爆弾、パラミの作ったやつですよね?」
ティガルが1歩踏み出て威嚇するも、全く効いていない。
自身の腕に覚えがあるのか、あるいは別の理由からか、ティガルたちをまるで脅威に感じていないようだった。
「知らねえよ。こいつがもう使い物にならないってこと以外はな」
「全部ダメにしたんですか?」
「確認して来ればわかんだろ」
相手がどうあれ、決して弱腰になってはならない。
ティガルは余裕ぶった態度を強調した。
次いでシュリも口を開く。
「あなたの手の内は既に把握している。爆弾を用いた工作を得意とする、アグヴィル協会幹部・パラミ。ここで投降してくれるのなら、無用に傷付けはしない」
マナたちの情報によれば、パラミは戦闘をさほど得意としないらしい。
無論、有角族であるから身体能力は高いが、2人がかりであれば対処できる程度とのこと。
そういう事情もあり、あくまで強気に出るティガルとシュリ。
しかしパラミはなおも危機感無く、おかしそうに笑った。
「……あはは、優しいですね! でもざーんねん! パラミは全然、負けてません!」
声高に言いながら、彼女はティガルたちの背後――すなわち通りの方を指差す。
「ほら、見てみてくださいよ!」
「? そんな子ども騙しには――」
顔をしかめ、ティガルが言いかけた瞬間。
骨の髄まで届くような轟音が鳴り響いた。
「なっ!?」
思わずティガルは振り返る。
と、通りを挟んで反対側の建物から、もうもうと黒い煙が立ち昇っていた。
焦げ臭いにおいと、ちりちりと舞う火花。
爆音から一瞬遅れて悲鳴が上がり、あっと言う間に通りを満たした。
「何をした」
「何って、爆弾ですよ? さっき自分で言ってたじゃないですか。パラミの得意は爆弾だって」
低い声で問い詰めんとするシュリに、やはりパラミは平然と答える。
「いい線、いってましたよ! それだけですけど……うわっと!」
たまらず、ティガルは彼女に飛び掛かった。
襟首を掴み、尻尾で手首を捻り上げて、容赦なく押し倒し動きを封じる。
若干の抵抗は感じたが、話に聞いた通り大したものではなかった。
「わあ、怖い顔! パラミを捕まえても何にもなりませんよ! ボスの計画は完璧です。最初から!」
パラミは嗤う。
困惑と焦りを誤魔化すかのように「優位」に立とうとするティガルを、心底小馬鹿にしていた。
ティガルはややあってその意図に気付き、歯を食いしばった。
「……っシュリ、こいつの拘束を頼む! おれは下に行く!」
「わかった」
パラミから手を離し、跳躍して通りに下りて行くティガル。
シュリは早鐘が鳴るかのごとき内心をおくびにも出さず、彼を見送った。
***
祭の中心部は、一瞬にして渦中となった。
止まった神輿、逃げ惑う人々、混乱するばかりの兵士たち。
神輿を追いつつ見守っていたモンシュたち3人は、ひとまずはぐれないよう身を寄せ合いつつ、状況を把握せんとしていた。
「ティガルたち、間に合わなかったのかしら……」
クオウが不安げに呟けば、カシャが首を横に振る。
「いいえ、違うわ。まだ爆発が起こる時間じゃないはずだもの」
「理由は不明瞭ですが、早めに作動する爆弾が仕込まれていた、ということですね」
「恐らくは」
ティガルとシュリの役目は、3人にも共有されている。
彼らに知らされた爆弾の情報も、同様に。
それによれば、アグヴィル協会が爆弾を起爆するのは正午とのことだった。
だが現時点ではまだ、正午まで十分に時間がある。
察するに先ほどの爆発は、別種の爆弾によるものであろう。
「巫女様をお守りしろ!」
「市民の誘導は後だ!」
人々の波を躱しつつ神輿に視線を向ければ、兵士たちは混乱しつつも何とか守備の陣形を保とうとしていた。
しかし直後、にわかに彼らの中から声が上がる。
「な、なんだ貴様ら!」
「このっ、神輿に近付くな!」
「応戦! 応戦せよ!!」
人混みでモンシュたちからは見えにくいが、どうやら不審な者たちが現れ、神輿を襲撃せんとしているようだった。
執行団のように統一された装束ではないものの、彼らの正体は明らかだ。
「アグヴィル協会の奴らね……! モンシュ、クオウ、行くわよ!」
「はい!」
「ええ!」
カシャの号令で、まずクオウが先陣を切る。
通りの中心で不安げにそびえる神輿へと目標を定め、両手をかざした。
「エトラル式魔法戦闘術、《氷花乱舞・反転》!」
瞬間、神輿が光に包まれる。
魔法陣が現れたのだ。
陣と光は神輿をちょうど囲い、その外側にキラキラと眩い氷魔法を展開させた。
アグヴィル協会の者たちと兵士たちの足元が凍り付く。
これで一時的に、神輿に手を出せる者はいなくなった。
「兵士さんたち、ごめんなさい……! すぐに解除するから!」
小声で謝るクオウの隣を、今度はカシャが走り抜ける。
その腕にはモンシュを抱えており、彼女はそのまま大きく跳躍した。
放物線の頂点で、カシャはモンシュを宙へと放す。
「今よ!」
「はいっ!」
人々が彼女らの動きを理解するより早く、モンシュは竜態へと変じる。
白い竜の出現に、どよめきが広がった。
「ごめん、なさいっ!」
モンシュは器用に身を翻すと、急降下して神輿を掴む。
足元が凍っている兵士たち及びアグヴィル協会の者たちは彼を阻むことができず、神輿は竜によって空中へと高く持ち上げられた。
「上手くいったわね!」
「まだ気は抜けないわよ。モンシュ、お願いね」
「頑張ります!」
タイミングを見計らって飛び乗ったクオウとカシャを背に座らせ、モンシュは力強く羽ばたく。
ちらりと下を見ると、慌てふためく人々の中に瓦礫を破砕したり、魔法の範囲外だったため動けるアグヴィル協会の構成員を相手取ったりしているライルとフゲンが見えた。
少し視線を移動させれば、ティガルの姿もある。
想定外の事態だが、作戦はまだ破綻していない。
彼らに後を託し、3人は神輿と共に場を去って行く。
しばらく飛行を続け、見えてきたのは神殿。
緊急時に巫女を移送し守る砦として、カシャたちは事前に選んでいたのだ。
追手がいないことを確認してから、モンシュはゆっくりと下降する。
海礼祭で巫女が不在の神殿は、通常時より何倍も警備が手薄になっている。
だが建物自体はこの上なく頑丈であるため、侵入して立て籠もるにはうってつけだ。
「もう大丈夫ですからね」
モンシュは神輿に向かって声をかける。
返事は返って来なかったものの、少し安堵したような息遣いが中から聞こえてきた。
神殿の裏口に回り込み、モンシュは着地する。
神輿とカシャたちを下ろしたのち自らも人間態に戻り、各人の無事にホッと息を吐いた。
しかし。
「なんだ、わざわざ運んで来てくれたのか」
突然、背後から声がして、3人は振り向く。
音も無く、いつの間にかそこに立っていたのは――アグヴィル協会のボス、エニシだった。
彼は僅かに口角を上げ、目を細める。
「ご苦労なことだ」
その眼光は、獲物を狙う狩人のそれであった。