140話 生物兵器と××兵器
大通りを、ゆっくりと神輿が通って行く。
楽しげに笑う人々。
響く歓声。
熱された空気。
それらを薄暗い脇道の奥からじっと見つめる者が居た。
金髪の有角族、アグヴィル協会のマントラだ。
彼女は背負った長剣に手をかける。
鋭い視線が神輿と、その上に乗っているであろう人物に注がれた。
すると、その時。
「あ、あのう……」
「やっほー、こんにちはー。お姉さん、暇そうだね」
マッポとニパータが、彼女の前にひょっこりと現れた。
片や武器を持たずびくびくと緊張しきった様子で、片や剣を腰から下げて気軽な様子で、マントラに話しかける。
通りの民衆は、目の前の神輿に夢中で背後の彼女らに気付いていない。
一方のマッポたちは、明るい祭の中心に背を向けて敵対者との距離を詰めていく。
「……海底国軍ですか」
「そうだよー」
マントラは不愉快そうに、眉間に皺を寄せた。
「舐めた真似をしてくれるものですね。まさか、あなたたち2人だけで――」
言いながら、長剣を一気に柄から抜く。
「私に勝てるとでも?」
空を切るように長剣を振り下ろせば、ヒュッと鋭い音が鳴る。
冷酷な自身に満ちた視線が、容赦なくマッポとニパータに突き刺さった。
が、ニパータは特に萎縮したふうでもなく、肩をすくめて軽く笑う。
「勝てる勝てる。ねー、マッポ」
「えっ!? は、はい! えっと、勝たせていただきます……!」
拭いきれない怯えはあるものの、根本の心持ちはマッポも同じであるようだった。
彼女は大きな肩掛けカバンの紐をぎゅっと握り、マントラを見据える。
「生意気ですね。灸を据えてあげましょう」
マントラは2人の仕草にまた不快感を示した。
直後、地面を蹴り、ひと跳びで彼女らの目前まで突進する。
「おっと!」
「うわわっ!」
長剣が勢いよく振り下ろされるが、ニパータとマッポは同時にこれを回避した。
空ぶった長剣は、しかし代わりに地面に当たって大きなヒビを作り出す。
「わーお。すっごい力。さすが有角族ってカンジ」
ニパータはケラケラと笑いながら、剣を抜いた。
その目は既に笑ってはいない。
「マッポはちゃんと下がっててねー」
「はい! 勿論です!」
迷いなく頷き、マッポは小走りで彼女らから離れる。
「……?」
マントラは訝しげな目でそれを見送った。
遠距離攻撃……ができるような装備は無い。
小細工をするつもりか。
あるいは単に、連絡係として控えるだけか。
考え得る可能性を吟味した後、彼女は結論を出した。
何を企んでいようと問題ない。
まずは目の前の敵、次に遠くの敵。
順次即座に斬り伏せれば、全て上手くいく。
2、3歩後退し、マントラは長剣を構えた。
腰を落とし、グッと足に力を入れる。
「有角剣術・改――《斬り裂く尾》」
低い姿勢での突進、同時に長剣で横に一閃。
近距離からの、リーチの長い攻撃だ。
後ろや横に避けるのでは間に合わない。
ニパータは垂直に跳び上がり、間一髪で刃を回避した。
が、彼女の体が宙に浮いたところへ、マントラは追撃を加える。
「くっ!」
これも身をよじって何とか躱したものの、完全には避け切れずニパータの右上腕が浅く斬り裂かれた。
傷口から緑色の血が散る。
マントラはそれを見ても特に驚くことなく、長剣を構え直した。
着地したニパータは、傷口を左手でぎゅっと押さえる。
数秒そのままにしてから離すと、血はすっかり止まっていた。
「派手にやるね。騒ぎになってもいいの?」
「むしろその方が好都合です」
「あはは、だよねー」
巫女に攻撃するにしろ攫うにしろ、現場は混乱していた方がアグヴィル協会に有利だ。
市民が右往左往するほどに、巫女を守る兵士たちも状況を掴みにくくなるし、どさくさに紛れて良からぬことをしやすい。
だからこそ、雷霆冒険団と海底国軍『箱庭』捜索隊は、こうして水面下での戦闘を試みている。
マナたちが密かに掴んだ情報を元に、アグヴィル協会の実行隊のところへ先回りをし、そもそも事を起こさせないようにしようというわけだ。
「負けらんないよね。ニパータ」
小さな声で、ニパータは己を鼓舞する。
そして自分の後方に居るであろうマッポの顔を思い浮かべ、ふっと微笑んだ。
「海底国軍式剣術」
ニパータは真っすぐに剣を構え、爪先に重心を移す。
「《泡沫》」
とん、と軽やかに跳躍して、宙返り。
優しく撫でるような滑らかな動きで、上方からマントラの肩を狙う。
しかしマントラはそれを長剣で防御し、ニパータの剣は弾かれた。
が。
「――と、おまけ!」
マントラを通り越して着地するや否や、ニパータは足元の土を蹴り上げる。
追撃に備えて即座に振り返っていたマントラは、皮肉にもその動きが仇となり、土を顔に被ってしまった。
「っ!」
咄嗟に手で庇うもその隙を突かれ、腹に蹴りを入れられる。
両者は共に少々後ずさり、体勢を整えた。
「ふざけた真似を……。それが軍人の戦い方ですか」
「そーだよ。アタシたち、ふざけた軍人なの。この国じゃ、まともな方がふざけてるんだよ。知らない?」
「チッ……」
まだ冷静さは十分に残っているが、確かな苛立ちがマントラの心に積もっていく。
「いいでしょう、少し本気を出します」
彼女は長剣を持ち直し、ヒュッと振り下ろした。
直後、再びニパータに接近し、怒涛の勢いで連撃を繰り出し始める。
「うわっ、速……!」
縦に振り下ろし、返す手で上に、一度手元に戻して、連続突き、薙ぎ払い、のち下からの斬り上げ。
目にも止まらぬ速さで繰り出される攻撃に、ニパータは防戦一方だ。
そればかりか、徐々に押されていく。
「あっ、ヤバ」
「有角剣術・改」
彼女の体勢が崩れた瞬間、マントラは駄目押しとばかりに長剣を振り上げる。
「《叩き潰す手》!」
回避は間に合わない。
それでもニパータは、剣を構えて受け止めんとする。
――と、見せかけて。
「よっ、と!!」
左手をバネのように使い、彼女は一気に左後方へと跳んだ。
マントラはすかさず長剣の軌道を変えてニパータを仕留めようとするが、それは叶わなかった。
長剣の刃の一部がドロドロと溶け出していたからである。
「なっ……!?」
突然の出来事驚愕し、目を見開くマントラ。
そこへおずおずと口を出したのは、ニパータの後ろに控えるマッポだった。
「えっと、薬学戦闘術……《強酸のフリル》、です」
そう言って照れ笑いをする彼女の手には、液体の入った小瓶が握られていた。
***
ゆらり、ゆらり、と上下する神輿。
布で覆われたその上部で、キエは沈痛な面持ちで座っていた。
絶え間なく聞こえてくる歓声。
己を望み、称賛し、崇める多くの言葉。
それら全てはキエにとって、重圧でしかない。
死ぬまで続く、巫女という呪縛を強める重圧だ。
キエは巫女になって嬉しかったことなど無い。
遊ぶことも、街を歩くことも制限され、毎日が不自由の連続だった。
その上、幸運にもできた友だちは、大人のしがらみに呑まれて引き離されてしまった。
あの日……イハイがクッキーを持って来た日。
彼が毒で倒れた後、彼を「神殿に忍び込み巫女に毒を盛ろうとした罪人」として処罰しようとする大人たちに、キエはやめてくれと泣いて縋った。
しかし彼は彼女の叫びも虚しく連れて行かれてしまい、キエは酷く落ち込んで「巫女をやめたい」と世話係に言うまでした……のだが、返って来たのはこんな言葉だった。
――構いませんよ、巫女様。
――また巫女を産む「競争」が始まって、私やあの子のような「成り損ない」がたくさん生じても良いのであれば。
以降、キエが巫女の任に対してこれまで以上に従順になったことは、言うまでもない。
しばらく時が過ぎ、イハイが一命をとりとめ、家を放逐されたものの軍に転がり込んだという話を聞いた時、キエは心から安堵した。
もう彼が自分のせいで苦しむことは無いのだと。
けれども今、キエはまた、巫女である自分が誘因となる問題にイハイを巻き込むこととなっている。
彼だけではなく、捜索隊の面々や、本来こちらが助けるべきライルたちまで。
「神様……」
キエは両手を組み、祈った。
どうかせめて、彼らの作戦が上手く行くように。
何もできない自分が、せめて「護られる」ことくらいは全うできるように。
届かぬ願いとわかっていても、懸命に祈る。
その右手の甲に、一瞬、魔法陣が浮かび上がった。